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文字数 6,744文字

 何度目かのトライアンドエラーの後、静流は本当の自分の姿を思念から呼び出すことに成功し、デチュラと顔を合わせることに成功した。寄り道をしたわけではないのに時間が経ったことにむしゃくしゃする気持ちを半ば抑えるように、静流はラウレンスにこう言った。
「お前はその恰好のままでいいのかよ」
「ええ、耳と尻尾の感覚があるというのは、じつに珍しい。貴重ですから、体験せねばと思い」
 デチュラの呼びかけで、その場にいた四人は彼女の家へと入ることになった。
 思念だけが飛ばされたせいか、視覚と聴覚以外の機能が働いていない。匂いや、感触といったものがないのだ。だから地面を歩いても足の裏に土が当たらない。
 家の扉が閉まると、前と大して変わらない部屋が待ち受けていた。唯一の違いは、土鍋の中は空っぽだということだろう。机の上に出しっぱなしにされていた皿の上は、食べた後のようになっている。
「シズルが来た理由はわかってるわ。最優先にすべきことがあるものね。アルカディアでしょ」
「察しがいいんだな」
「けれど、残念なお知らせをしなくちゃならないわ。紗季と私は、ニムロドの件をまず調査する必要があるの。つまり、たかだか人間のミオンなんかにかまっている暇はないっていうこと。ディーグのこともあるわ。ミオンの件については手伝いはできない。悪いわね」
 デチュラは椅子に座り、足を組んで悪びれる風もなくそう言った。
 二つの件で世話になっているのだから、これ以上食い下がるわけにもいかない。高度な話術さえ学んでいれば静流でもデチュラを介抱することはできたのかもしれないが、半ば機械的に動いていた彼は、自分の会話能力の低さは自覚しているものだった。
「ところで、そっちのボクはどなた? 見ない顔ね」
 静流が紹介しようとしたが、先に口を開いたのはラウレンスだった。
「お目にかかれて光栄です。私は、ラウレンスと申します」
「フゥン。シズルが連れてきたってことは、協力者っていうことよね。敵のスパイじゃないといいんだけど」
「ご冗談を。三界において、スパイは意味を為さない。簡単に見破られてしまうからです。香術師(こうじゅつし)によって」
 香術師という言葉を静流が聞きなれていないことは、デチュラは分かっていた。
 表には出てこない、裏稼業だからだ。
「シズル、香術師というのは言うなれば嘘発見器よ」
「分かりやすくて助かるよ」
「そういう超能力を持った人間が多くいるの。別名、マインドオブザーバー。相手の思考を読むって勘違いされがちな超能力者だけれど、本質は違うわ。彼らは、相手の目的を見るの。正当な使い方をされた場合はマインドオブザーバーっていうけれど、シズルのいた世界のように、裏社会の人間が使う場合は香術師って呼ぶわ。ここまで調べられたラウレンスは、どうやら使える才能はありそうね」
 ラウレンスは頭を下げ、短く礼を述べた。
 相手の目的を知る超能力者だ。もしその能力を戦いで活かせれば、一手先の行動が読めるのだろうか。
 だが、戦いにおいて一手先の行動を読むというのは大した意味をもたらさない。静流は一時期、相手の行動を読む練習をしていた。もし眉間狙いの右正拳を放てば、相手は三つの選択肢のいずれかを取る。反らして回避するか、腕で静流の腕を薙ぎ払うか、受け止めるか。
 反らされた場合は、薙ぎ払われた場合は、受け止められた場合は。その全てを考え、最善手を模索した。だが結局は、戦いの場において最も使われるのは頭脳ではなく、身体的な反射反応だ。
 それでも相手の攻撃線が分かるビジョンが見られて、回避できたとする。もしくは、自分の攻撃を相手がどのように回避するかビジョンが見えたとする。しかし、最終的に敵は違う行動を起こすのだ。これは間違いなく、そうなっている。
「その通りだ、シズル」
 どこから声が聞こえてきたのか周囲を探れば、今しがた入ってきた扉の外からだった。声の正体はクラッセルで、彼は扉を開けて笑顔で入ってきた。デチュラは立ち上がり、文句を言いたげに指をさしている。
「相手の一手先が見えれば、必然的に僕らの行動は変化する。僕らの行動が変化するということは、敵の行動も変化するということ。戦いにはなんの意味もない。だからマインドオブザーバーは、戦わない」
「その覗き見する癖、直さないとみんなに嫌われるぜ」
「人間にはね。でも旧人から嫌われたことは一度もないよ。悪の道に進んでるものでなければ、僕を嫌う理由もないからね」
 傍目から会話を眺めていたデチュラが、嫌味を言いたげにしていた。静流は黙って、言葉の道を彼女に譲った。
「で、何しにきたの。あんたは」
 兄を相手にすると、デチュラは口調が少し変わる。着飾っていた上品さが崩れるのだ。
「やっぱり考え直してほしいんだ。ディーグを打ち倒すのは。ニムロドはいいんだが」
「あんたが危惧してるのは何? 私がいなくなること、それともアフターの世界? どちらにせよ私には関係ないわ」
「僕には関係がある。君がシズルの肩を持ちたくなる気持ちも分かる、だが……」
 心配、不安。そういった調味料が混ざった顔でクラッセルは沈黙した。デチュラも、誰も話さない。しかしラウレンスが、沈黙の創造主に声をあげた。
「先生。私は、この世界に変革をもたらす時期が来たのだと、そう感じざるを得ません。五界ほど憎悪に満ちた世界はありませんが、三界も完璧ではない。むしろ、日に日に(やつ)れていくばかり。ウラジーミル・レーニンは言いました。今対処しなければ致命傷になるであろう。行動を遅らせることは死と同じである――私は、罪人として、この世界に呼ばれました。(しか)らば、与えられた役目を全うすることこそ、存在意義なのでしょう。ですが、私はそれ以上にこの世界を愛してしまった。ディーグ、グノーシスコンツェルン。彼らを止めれば、堕落も止まる。しばし、私共の為すことに目を瞑ってはいただけないでしょうか」
 入り組んだ冷静という感情のパズルの中に、そこかしこに散りばめられた熱意をクラッセルは感じ取った。ラウレンスが自分の考えを表に出すのは類稀だ。したがって、彼は旧人だというのに面を押され、後に引けない苦笑を見せた。
 デチュラはといえば、感心した様子でラウレンスを凝視していた。
「僕は唯一の手伝いをしたよ、君たちを止めるってことだ。それでも道を進むなら、僕は止める権利はない」
「カッコウつけないで言っちゃえば?」
 デチュラは茶化すように言葉を続けた。
「ディーグを打ちのめすところを、見たくなったって」
「い、いや。別に、そういう邪(よこしま)な感情があるわけじゃ」
「前に散々いじめられてたものねー。人間を飼ってた頃。大事にしていた人間の心、ズタズタに壊れたんでしょ。その復讐をしたいっていう気持ちは、間違いじゃないわ」
 クラッセルも復讐の念に耐えてきたのだ。ここまで止める理由はそこにあるのだろうか。超えてはいけないラインを超えそうになっていて、それでも踏み止まっていた。そのラインを、横で静流やデチュラが超えそうになっている。
 そしてクラッセルは、苦笑していたが、諦めたような笑みに変わった。
「僕はこれ以上、一切手伝えないよ。教師としての役割もあるんだ。というより、教師としては君たちを止めるのが正解なんだから」
「別に期待してないわ。わかったら、とっとと帰って教え子達の寿命を延ばしてあげたらいいんじゃない。明日にはまた一人減ってるかもね」
「笑える冗談を言う術、いつか教えないとな。じゃあ僕はお邪魔らしい、失礼させてもらうよ」
 退散するクラッセルの背中を目で追って、扉が閉まるとデチュラは組んでいた足を解いて立ち上がった。
 木の箪笥を開き、中を両手で物色するとメモ帳のようなものを取り出した。表紙はダークブルーの皮で「生き方」とでかでかと書かれている。
「アルカディアの件、私は手伝えないけどこの子なら手伝ってくれるかもね」
「メモ帳と仲良くしてたら、いいことがあるんだろうな」
「十年くらい前に私が書いたものよ。まさかここで使うことになるとは思わなかったけどね。使い終わったら返しなさいよ、貴重品なんだから」
 ラウレンスは慇懃に胸に手を当て、礼をした。その動作はどこか、カミツナギを想起させるものだ。
 家の執事に来てくれるのがラウレンスだったら、四六時中付きまとう杞憂(きゆう)に悩まされることもないのだろう。バラエティには欠けるが、執事にバラエティを求めるのもおかしな話である。
「じゃあ、俺達も失礼する。ニムロドのこと、頼んだぞ」
「ただの延命措置になるかもしれないけれどね。任されたわ」
 家を出ていこうとした時、後ろからデチュラが静流の名前を呼んだ。
「ミオン、よかったら助け出してあげて。私が言っていいことか分からないけど」
「知り合いなのか?」
「全然。でもほら、私もさ……人間、嫌いじゃないから」
 言いにくそうにしていたデチュラを、紗季は微笑ましく見守るようにしている。静流はふと、静かな笑みに誘われて顔を綻ばせた。
 メモ帳を持ったまま家を出て、ラウレンスの指示通りに瞑想じみたことをしたら、頭から吸い込まれるような感覚の後に、コダスティーヌという名前の銅像のあるテレポーターに戻ってきた。
 手にはまだデチュラから渡されたメモ帳が握られている。
「ラウレンス、どうして俺はメモ帳をまだ持ってるんだ。思念が物を持てるか?」
「不思議な話とは思いますが、旧人が物の持ち出しを許可すれば思念体でも持ち出せるそうです。原理や理屈は、残念ですが分かりかねます。強いて言うなれば、テレポートしているのがただの思念ではないかもしれない、ということくらいでしょうか」
「お前の説明が間違ってたってことか」
「はい。私も技術者ではないため、恩赦(おんしゃ)を頂戴できればと」
「責めるつもりはねえよ。さて、それじゃあこれからどうするか……。それが問題だ」
 調べることは山積みだ。これから先のことを考えると眩暈がするほど、何もわからないことだらけだった。
「そのメモ帳を、一晩お貸しいただけないでしょうか。隅まで読み、活用できる情報を確認いたしましょう。その情報が正しいのかの裏付けも、なるべく行いたく思います」
「面倒ごとを押し付けることになるぜ。いいのか」
「私一人では、到底何もできないでしょう。ミオンを助け出すことも。ですから、この事は任されてほしいのです」
「分かった。頼んだぞ」
 メモ帳をラウレンスに渡し、二人はそれぞれの家に帰ることになった。
 カッヘルバフの町は似たような地形が多く、店やビルの些細な違いを目印に歩かないとすぐに迷子になってしまう。まだ町を歩き慣れておらず、土地勘もない静流には帰るのも一苦労だった。もしテレポーターが体ごと飛ばしてくれれば、甘えていただろう。
 歩いていると、かつて紗季が暴走運転をした車の店に辿り着いた。店の名前はウッズマンといったはずだ。ここまでくれば、家までの道のりは分かる。だが、静流は帰路から逸れて店に入ることにした。
 店に入ると店主のジャンベリンがスーツを着た旧人だか人間だか区別のつかない男に、前と変わらないやさぐれた口調で車について敷衍(ふえん)していた。男は腕を組んでいる。
 静流はジャンベリンに暇ができるまで、近くにあった丸椅子に座ることにした。座って真っ先に、地面から一輪の小さな白い花が咲いていることに気づく。花の名前に疎いから、名前は分からない。細い触覚のようなものが花の中央から伸びていて、天井に向かって伸びている。花弁は六枚あって、隣の花弁と重なりつつ円形に生えている。
 ジャンベリンとは似ても似つかない花の美しさに、静流は暫く目を奪われていた。その自分に気づくと、自分とは不釣り合いだと感じて花から目をそらした。魂の穢れた人間に見つめられれば、花も迷惑だろう。
 しばらくして客は隣のビルに入っていき、ジャンベリンが静流に近づいてこういった。
「おう、まだしぶとく生きてたか」
「その命も、あと少ししたらどうなるか分かったもんじゃないがな。ニムロドに目を付けられた」
「そりゃ、厄介だな。あの連中から逃げたって人間も何人か知ってるか、ほんっと一握りだからな。生存率はよくて一パーセント。悪くてそれ以下ってところか」
「百回戦ったら一回は勝てるんだな。それが分かっただけでも上々だ」
 彼は服の中から煙草を取り出して、煙を焚いた。
「で、今日は車に乗りにきたのか。暴走が気に入ったか?」
「悪いんだが、そうじゃない。アルカディアってやつのこと、何かしらないかと思って」
 ジャンベリンの煙草から灰が地面に落ちて、それと同時に彼は深みのある皺を作ってみせた。名前すら聞きたくないといった様子だ。
「奴は、究極のエゴイストだよ。俺の店にも来たことがあるが、三回目で出禁にした。何をしたと思う?」
「想像もしたくない」
「人間の死体を乗せて、車内デートときたもんだ。最初俺は奴が一人で来たかと思った。まさか、デカい鞄の中に折りたたまれた人間が入ってるって思わないだろ」
 静流の中で、焦燥感が高まっていった。
「継ぎ接ぎの人間を乗せてたが、車の運転をどっかでミスったんだろうな。三回目、ここに帰ってきたときは車内が血まみれだったよ。でも奴は何も気にしない様子で帰ってった。奴は正直イカれてるよ。関わらないほうがいい」
「ミオンって人間が酷い目にあってる。できれば助けたい」
「オススメはしないぜ。恨みを買うことになる。アルカディアはな、一度怒りに火がついたら、多分収拾がつかなくなるやつだ。俺は嫌だぜ、お前がバラバラになったって耳にするのは」
 争いを好む可能性があるということだ。より残虐に、殺人鬼のように。
「旧人を殺すにはどうすればいい」
「お前、本気で言ってるのか」
 ジャンベリンは吸殻を指で弾いて、入り口付近にある灰皿にゴールを決めると、もう一本の煙草を持ち出した。
 嘘ではない。真剣そのものの目で静流は彼と目を合わせた。
「旧人の罪のルールって知ってるか」
「罪のルール……聞いたような気がするが、詳しくは分からないな」
「旧人はな、普通に生活していたら歳を取らない。不老不死ってところだ。だがな、罪を重ねることによって歳を取り、老いていく。罪を重ねすぎたら最後には衰弱し、寝たきり老人そのものだ」
 今まで三界にいて、一度も知らなかったルールだ。旧人は、人間に知られたくないルールなのだろう。
 歳を取っているということは罪を犯している証拠だからだ。ならば、幼い姿をしているデチュラは罪を重ねていないということだ。反対にジャンベリンは多くの罪を犯しているということになる。
「このルールも、旧人もよく分かってないから研究は進んでいるんだが、罪には度合いというのがある。小さな罪なら、少ししか歳を取らない。だが大きな罪は、一気に老け込んじまうときたもんだ」
「なるほどな、この世界に刑務所が見当たらない理由だ」
「まあ厳密にいえば、八界ってところはヤバいところなんだがな。旧人が旧人を殺害すると、問答無用でそこの刑務所にぶち込まれる」
「人間を痛めつけることは、罪にはならないのか。罪のルール理論でいくと、アルカディアは大変なことになってるはずだが」
「罪にならねえんだよな。三界にとって人間は不浄の物だ。もともと三界にいた生物を傷つけることは罪になるが」
 どこまでも人間に手厳しい世界だということが、確かな事実だった。
「まあ俺が言いたいのはな、旧人は罪のルールに大体が苦労してる。多分それは、アルカディアも例に漏れないはずだ。罪を犯させるような真似をすれば、怯むだろうな」
「簡単じゃない話だ。銃がいかに便利だったか思い知らされる」
「五界はよくも悪くも、単純だよ、俺からすりゃな。さて、せっかくだから車に乗って帰れよ。説明書をちゃんと読めば脳みそがひっくり返ることもないぜ」
 静流は断ろうとしたが、情報をもらっておいて無賃で帰るのはジャンベリンの失礼に当たるような気がした。情報料というのは、いつの時代も高いものだ。
「車を運転したことがなくても運転できるなら、やってみてもいいぜ」
「最初は苦労するだろうが、三界の車は単純だ。乗ってみろよ」
 言われるがまま、静流は車に乗り込むことにした。もしここまでがジャンベリンの計画通りなら、高圧的な態度でも商売が続いてる理由だろう。
 説明書は、以前紗季が座っていた運転席の前にある、小さなホルダーの中に収められていた。車内スピーカーからそれを読むように指示がある。読んでいるうちに景色は変わっていった。
 とりあえず考えるべきことは、スピードを出しすぎないことだろう。
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