第40話
文字数 3,174文字
蕗子が目を覚ました時、晴明はいなかった。既に起きたようだ。
体を回して壁掛け時計を見たら、ちょうど十二時を回ったところだった。
思っていたよりも長く寝てしまったみたいだが、頭はすっきりしている。
何だか、今朝まで話していた事が遠く感じられた。
思い出してみると、矢張り自分は里美に嫉妬しているのかもしれないと思った。
大体、ここへ来たのは自分だが、元々彼は、蕗子の仕事が無かったらここで一緒に住もうと思っていたように言っていた。
なぜ、里美の思い出が詰まったこの場所で、私と暮らしたいと思えるのか、そこからして理解できない。しかも、幸せな思い出だけではない。
彼女はこの蓼科で亡くなったのだから。
彼女の写真は無いけれど、彼女の焼いた食器は使わないものの、歴然と食器棚の中に陳列している。
あのお風呂のステンドガラスだって……。
見る度に、複雑な思いに駆られるのだった。
階下に降りたら、ちょうど晴明と出食わした。
「やぁ、おはよう。今迎えにいくところだった。食事にしよう」
「おはよう……」
爽やかに微笑みかけられて、蕗子はぎこちなく答えた。
こんな風に、蕗子の方が寝坊して、晴明が朝食の支度をするばかりの三日間だった。今日はブランチだが。
夕飯の支度は二人で一緒にしていた。
「晴明さんは、いつごろ起きたの?」
目玉焼きを崩しながら訊いた。
「うん?そんなに変わらないよ。十一時半頃だったかな……」
取り敢えずホッとする。
あまり差があり過ぎると矢張り恥ずかしいし、情けない。
「野菜とパンがさー。玄関先に置いてあった。寝てたからね」
恥ずかしそうに言う晴明に、胸がキュンとした。
食事が終わって、二人で食器を片づけている時に、「これが終わったら、二人で風呂に入ろう」と晴明が言い出して、蕗子はギョッとした。
「ええー?なんで?」
「なんでぇ、って、起きたばかりで二人ともシャワーも浴びて無いじゃないか。ひと風呂浴びてさっぱりしよう」
「そ、それはそうしたいところだけど、何も一緒じゃなくても……。順番にしましょうよ。晴明さんからどうぞ」
「やだよ」
晴明がむくれた。
「やだよ?じゃぁ、私が先に入るわよ」
「だから、やだよ、って言ってるだろう」
一層むくれている。
「はぁ?何言ってるのよ」
「それは、こっちの台詞だよ。君こそ、何言ってるんだよ。僕は、一緒に入ろうって言ってるんだよ。順番じゃないの。順番なんて拒否するぜ」
「あのー……」
首を振る。振るしかない。
(この人、子供っぽい……)
それに、理解できない面が結構多いかも、とも思う。
勿論、嫌なわけではないのだが。
「どうして一緒を嫌がるんだい。まさか、今更恥ずかしいとか?」
近視の人が焦点を合わせるような目つきで蕗子を見ている。
蕗子は赤くなって横を向いた。
恥ずかしいと言えば、それは恥ずかしいに決まっている。
とは言え、確かに今更だ。この三日間、どれだけ裸で抱き合っていた事か。
「なんだか、昼間の明るいうちからは……ちょっと躊躇われると言うか、何て言うの、その、やっぱり……恥ずかしいのかしら?」
そんな蕗子を見て、晴明は嬉しそうな顔をして笑った。
「そうか。そんなに恥ずかしいって言うなら、僕、目隠しをして入ってもいいよ」
「ええっ?何言ってるの。危ないじゃない」
「君が手を引いてくれれば大丈夫でしょう」
「もうっ……」
蕗子は呆れた。
「どうする?」
「はいはい、わかりました。いいです。目を隠さなくても」
「良かった。見えた方が嬉しい」
こういう人とは、本当に思っていなかった。
二人で浴室に向かい、ほぼ同時に裸になって中に入った。
ステンドガラスの存在が気になるものの、この風呂場は気持ち良くできていると思う。
作りがいい。手入れもしやすい作りになっていて、設計した人間と実際に作った職人の心意気みたいなものが伝わってくる。
こうして二人で風呂に入るのが初めてだったので、気恥ずかしかったのだが、並んで湯船に浸かって外を眺めているとホッとする。
一緒にいる事に違和感が無い。それを何となく嬉しく感じる。
「梅雨も明けて、毎日いい天気で嬉しいよ。温泉も、気持ちいいでしょ?」
「とってもね。まさか温泉が引いてあるとは思って無かったから、最初びっくりしちゃった」
「この辺は引いている所、多いよ。湯量が豊富だからね」
「ねぇ。あの、ステンドガラスなんだけど……」
どうしても気になって仕方がない。
「気に入った?あれは、君の為に急きょ作って貰ったんだよ」
「ええっ?」
蕗子は驚いた。
「そんなの……、だって……、あれって、ここに最初に住んだ時からあったんじゃないの?」
晴明はゆっくりと首を横に振った。
「最初からステンドガラスだったけど、こういう模様じゃなくて、ありきたりな模様でね。それはそれで綺麗だったよ。こういう扉がステンドガラスなんて、滅多にないからね。……里美も喜んでた。でもさ。蘇芳との離婚が成立して、君をここに呼ぶ事になるだろうって思った時、君の為のガラスにしたくてね。ここの地元のガラス細工職人に注文したんだよ。この牡丹は君だよ。
君の花なんだ」
「あたしの……」
どうしてこの人は、こうも予想外の事ばかり言い出すんだろう……。
「私はてっきり……、里美さんもこの意匠を見ていたんじゃないかって……」
晴明はそっと、蕗子の肩に手をかけた。
「君をここに呼ぶのに、里美の匂いは消したかった。焼き物だけは処分できなかったんだ。ごめんよ。でも、他の物は、一切置いてない。僕が今見てるのは、君だけなんだ。だから君は、里美の影におびえる事なんてないんだよ」
そう言って、そっと肩に口づけた。
「晴明さん……」
蕗子の頬に涙が伝った。嬉しいけれど、何故か悲しくもあった。
(里美さん……。ごめんね)
彼女に対する申し訳無さが湧いてくる。
こんなに愛されて、いいんだろうか。
「だけど、私って牡丹……なの?」
牡丹に例えられる程、自分は艶やかではない筈だが……。
「君は自分の事が分かってないよ。蘇芳との事だって、自分の方が劣ってるって思ってるだろ。君の方が蘇芳より遥かに綺麗なのに」
「わたしが?うそ……」
「嘘じゃないよ。蘇芳は性格の派手さも相まって目立つだけだ。目鼻立ちもくっきりしてるからね。でも、美って観点から見たら君の方が遥かに綺麗だ。大体、蕗子さんっていつもすっぴんじゃないか。化粧の濃い蘇芳が派手なのも当たり前だよ。すっぴんで、こんなに綺麗な女性、見た事無いけどな、僕は」
蕗子は自分に対する関心が殆ど無かった。関心があるのは何より建築物。
建築物の美に比べたら女の美なんて比較にならないと、或る意味思っていた。
それに、そちらに没頭して、自分を飾る余裕すらなく、日焼けクリームを塗るのがせいぜいだった。化粧するのも落とすのも時間が勿体ない。
「化粧すらしない女性なのに、必ず言いよって来る男がいるじゃないか。それだけ君が綺麗で魅力的だからだよ。でもあまりに冷たいから、派手な蘇芳に誘惑されればコロリといくのも頷ける。僕には蘇芳のビームは効かないけどね」
晴明は唇を蕗子の白い肌に這わせた。
「ほんのり色づいて、まさに牡丹のようだ。凄く、色っぽくてそそられる……」
うなじから肩にかけて唇を舌を這わせながら、背中から回った手が乳房を捕えた。
熱い吐息が洩れ、昂ぶって来る。
晴明は蕗子の両脇に手を入れて、立たせた。
ざーっと水音がして、蕗子の濡れた体が空気に晒された。その白い裸体にステンドガラスの
牡丹が淡い光を映している。
「凄く綺麗だよ……」
晴明は蕗子の体に絡みついて、口で食み始めた。そうして、十分過ぎるほど愛撫を繰り返し、蕗子の中に入って来た時は、すでに蕗子は朦朧としていた。
余計な事など考えず、ただ愛だけを感じていた。
体を回して壁掛け時計を見たら、ちょうど十二時を回ったところだった。
思っていたよりも長く寝てしまったみたいだが、頭はすっきりしている。
何だか、今朝まで話していた事が遠く感じられた。
思い出してみると、矢張り自分は里美に嫉妬しているのかもしれないと思った。
大体、ここへ来たのは自分だが、元々彼は、蕗子の仕事が無かったらここで一緒に住もうと思っていたように言っていた。
なぜ、里美の思い出が詰まったこの場所で、私と暮らしたいと思えるのか、そこからして理解できない。しかも、幸せな思い出だけではない。
彼女はこの蓼科で亡くなったのだから。
彼女の写真は無いけれど、彼女の焼いた食器は使わないものの、歴然と食器棚の中に陳列している。
あのお風呂のステンドガラスだって……。
見る度に、複雑な思いに駆られるのだった。
階下に降りたら、ちょうど晴明と出食わした。
「やぁ、おはよう。今迎えにいくところだった。食事にしよう」
「おはよう……」
爽やかに微笑みかけられて、蕗子はぎこちなく答えた。
こんな風に、蕗子の方が寝坊して、晴明が朝食の支度をするばかりの三日間だった。今日はブランチだが。
夕飯の支度は二人で一緒にしていた。
「晴明さんは、いつごろ起きたの?」
目玉焼きを崩しながら訊いた。
「うん?そんなに変わらないよ。十一時半頃だったかな……」
取り敢えずホッとする。
あまり差があり過ぎると矢張り恥ずかしいし、情けない。
「野菜とパンがさー。玄関先に置いてあった。寝てたからね」
恥ずかしそうに言う晴明に、胸がキュンとした。
食事が終わって、二人で食器を片づけている時に、「これが終わったら、二人で風呂に入ろう」と晴明が言い出して、蕗子はギョッとした。
「ええー?なんで?」
「なんでぇ、って、起きたばかりで二人ともシャワーも浴びて無いじゃないか。ひと風呂浴びてさっぱりしよう」
「そ、それはそうしたいところだけど、何も一緒じゃなくても……。順番にしましょうよ。晴明さんからどうぞ」
「やだよ」
晴明がむくれた。
「やだよ?じゃぁ、私が先に入るわよ」
「だから、やだよ、って言ってるだろう」
一層むくれている。
「はぁ?何言ってるのよ」
「それは、こっちの台詞だよ。君こそ、何言ってるんだよ。僕は、一緒に入ろうって言ってるんだよ。順番じゃないの。順番なんて拒否するぜ」
「あのー……」
首を振る。振るしかない。
(この人、子供っぽい……)
それに、理解できない面が結構多いかも、とも思う。
勿論、嫌なわけではないのだが。
「どうして一緒を嫌がるんだい。まさか、今更恥ずかしいとか?」
近視の人が焦点を合わせるような目つきで蕗子を見ている。
蕗子は赤くなって横を向いた。
恥ずかしいと言えば、それは恥ずかしいに決まっている。
とは言え、確かに今更だ。この三日間、どれだけ裸で抱き合っていた事か。
「なんだか、昼間の明るいうちからは……ちょっと躊躇われると言うか、何て言うの、その、やっぱり……恥ずかしいのかしら?」
そんな蕗子を見て、晴明は嬉しそうな顔をして笑った。
「そうか。そんなに恥ずかしいって言うなら、僕、目隠しをして入ってもいいよ」
「ええっ?何言ってるの。危ないじゃない」
「君が手を引いてくれれば大丈夫でしょう」
「もうっ……」
蕗子は呆れた。
「どうする?」
「はいはい、わかりました。いいです。目を隠さなくても」
「良かった。見えた方が嬉しい」
こういう人とは、本当に思っていなかった。
二人で浴室に向かい、ほぼ同時に裸になって中に入った。
ステンドガラスの存在が気になるものの、この風呂場は気持ち良くできていると思う。
作りがいい。手入れもしやすい作りになっていて、設計した人間と実際に作った職人の心意気みたいなものが伝わってくる。
こうして二人で風呂に入るのが初めてだったので、気恥ずかしかったのだが、並んで湯船に浸かって外を眺めているとホッとする。
一緒にいる事に違和感が無い。それを何となく嬉しく感じる。
「梅雨も明けて、毎日いい天気で嬉しいよ。温泉も、気持ちいいでしょ?」
「とってもね。まさか温泉が引いてあるとは思って無かったから、最初びっくりしちゃった」
「この辺は引いている所、多いよ。湯量が豊富だからね」
「ねぇ。あの、ステンドガラスなんだけど……」
どうしても気になって仕方がない。
「気に入った?あれは、君の為に急きょ作って貰ったんだよ」
「ええっ?」
蕗子は驚いた。
「そんなの……、だって……、あれって、ここに最初に住んだ時からあったんじゃないの?」
晴明はゆっくりと首を横に振った。
「最初からステンドガラスだったけど、こういう模様じゃなくて、ありきたりな模様でね。それはそれで綺麗だったよ。こういう扉がステンドガラスなんて、滅多にないからね。……里美も喜んでた。でもさ。蘇芳との離婚が成立して、君をここに呼ぶ事になるだろうって思った時、君の為のガラスにしたくてね。ここの地元のガラス細工職人に注文したんだよ。この牡丹は君だよ。
君の花なんだ」
「あたしの……」
どうしてこの人は、こうも予想外の事ばかり言い出すんだろう……。
「私はてっきり……、里美さんもこの意匠を見ていたんじゃないかって……」
晴明はそっと、蕗子の肩に手をかけた。
「君をここに呼ぶのに、里美の匂いは消したかった。焼き物だけは処分できなかったんだ。ごめんよ。でも、他の物は、一切置いてない。僕が今見てるのは、君だけなんだ。だから君は、里美の影におびえる事なんてないんだよ」
そう言って、そっと肩に口づけた。
「晴明さん……」
蕗子の頬に涙が伝った。嬉しいけれど、何故か悲しくもあった。
(里美さん……。ごめんね)
彼女に対する申し訳無さが湧いてくる。
こんなに愛されて、いいんだろうか。
「だけど、私って牡丹……なの?」
牡丹に例えられる程、自分は艶やかではない筈だが……。
「君は自分の事が分かってないよ。蘇芳との事だって、自分の方が劣ってるって思ってるだろ。君の方が蘇芳より遥かに綺麗なのに」
「わたしが?うそ……」
「嘘じゃないよ。蘇芳は性格の派手さも相まって目立つだけだ。目鼻立ちもくっきりしてるからね。でも、美って観点から見たら君の方が遥かに綺麗だ。大体、蕗子さんっていつもすっぴんじゃないか。化粧の濃い蘇芳が派手なのも当たり前だよ。すっぴんで、こんなに綺麗な女性、見た事無いけどな、僕は」
蕗子は自分に対する関心が殆ど無かった。関心があるのは何より建築物。
建築物の美に比べたら女の美なんて比較にならないと、或る意味思っていた。
それに、そちらに没頭して、自分を飾る余裕すらなく、日焼けクリームを塗るのがせいぜいだった。化粧するのも落とすのも時間が勿体ない。
「化粧すらしない女性なのに、必ず言いよって来る男がいるじゃないか。それだけ君が綺麗で魅力的だからだよ。でもあまりに冷たいから、派手な蘇芳に誘惑されればコロリといくのも頷ける。僕には蘇芳のビームは効かないけどね」
晴明は唇を蕗子の白い肌に這わせた。
「ほんのり色づいて、まさに牡丹のようだ。凄く、色っぽくてそそられる……」
うなじから肩にかけて唇を舌を這わせながら、背中から回った手が乳房を捕えた。
熱い吐息が洩れ、昂ぶって来る。
晴明は蕗子の両脇に手を入れて、立たせた。
ざーっと水音がして、蕗子の濡れた体が空気に晒された。その白い裸体にステンドガラスの
牡丹が淡い光を映している。
「凄く綺麗だよ……」
晴明は蕗子の体に絡みついて、口で食み始めた。そうして、十分過ぎるほど愛撫を繰り返し、蕗子の中に入って来た時は、すでに蕗子は朦朧としていた。
余計な事など考えず、ただ愛だけを感じていた。