第1話

文字数 2,216文字

 お彼岸が過ぎ、東京の桜も咲き始めた三月下旬、下の娘である蘇芳(すおう)の帰国の連絡を受けて五條家は(にわ)かに(あわ)ただしくなった。

「帰って来るなら来るで、お彼岸のお墓参りまでに帰って来て欲しかったわ」

 母である真弓が、落ち着かない手つきで料理を盛り付けながら苦情をこぼす。

「確かにな。そしたら、じいさん。ばあさんの墓前で報告もできたんだし」

 父親の広志は冷蔵庫を開けて。何やらキョロキョロしている。

「ちょっとお父さん、冷蔵庫の中身を物色しないで下さいよ」

「いや、シャンパンやビールの準備が大丈夫か、確認しようと思ってな」

「ちゃんと用意してありますよ。冷えた状態でね」
「氷はどうなってる?」
「そちらも大丈夫です」

 そんな両親の様子を気にする風でもなく、五條家の長女である蕗子(ふきこ)は、テーブルの隅で花を活けていた。

 細長いグラスのような花器に、ガーベラとチューリップを中心にして、垂れさがる植物も交えて花嫁のブーケをイメージしてみた。
 結婚した妹への祝福の意味を込めて。

「あら、ステキ」
「そうでしょう?」

 手によりをかけた料理を手早く並べながらも、視界の隅に映ったのだろう。
 惚れ惚れするように目を輝かせていた。
 それでも手は休んではいない。
 母の称賛に、蕗子も目を輝かす。

「それにしても、相変わらずのトラブルメーカーだな、蘇芳は」

 蕗子は笑みを浮かべつつ、黙々と手を動かす。
 内心では同意している。

 四つ離れた妹が、突然ニューヨークへ留学すると言い出したのは、大学を卒業する寸前だった。
 
 学生時代、ダンスサークルに入っていた蘇芳は、毎年行われるコンクールで優勝を争うほどの実力者だった。
 だが、所詮趣味だと家族はみんな思っていた。

 英文科でそれなりに優秀だった蘇芳は、外資系の会社に就職も決まっていた。
 それにも関わらず、卒業間際になって、就職せずにニューヨークへダンス留学すると言い出したのだった。
 当然の事ながら、家族は誰もが反対した。

 しかし蘇芳は、その反対を押し切って、一人でさっさと旅立ってしまった。
 それからの三年間と言うもの、一度も帰国しては来なかった。

 時折来る便りには、厳しいレッスンを続けて日々が充実している事や、バックダンサーとして舞台に出始めた事などを知らせてくるのみ。

 ここまで来ると、親は半ば諦めていた。
 蘇芳は昔から意志が強くて頑固で行動派だった。

 気が強く、押しも強い。
 首に縄を付けた所で、引きちぎってでも飛び出していくような性質だ。

 どうしようもない。
 いずれ諦めて自ら戻ってくるか、もしくは華のある娘だから、案外大成して帰ってくるかもしれない。

 そんな蘇芳が、いきなり帰国すると電話をしてきたのはつい二日前の事だった。

「明後日の日曜日に帰国する事になったの」

 三年もの間、一度も帰国しなかったのに、一体どういう事か。
 こちらでダンスの何かがあるのだろうか?

 それにしても急だ。
 しかし、その後に続いた言葉に両親も姉も仰天した。

「あたし、結婚したのよ。それで彼が四月から日本で仕事をする事になったんで、一緒に帰国する事にしたの」

 驚かすにも程がある。

 寝耳に水だった。
 交際している相手がいる事すら、誰も知らなかった。

 華やかで綺麗な娘だからボーイフレンドがいても可笑しくはない。
 だが、ダンスに心血を注いでいただけに、結婚なんて全く考えていないと思っていた。
 まだ二十六歳でもある。

 相手は三十五歳の画家だと言う。
 四月から某美大で美術史を教える事になった為、住まいを日本に移す事にした。
 それを機に、蘇芳も日本に戻る事に決めたそうだ。

「勝手過ぎるわよね、蘇芳は」

 両親とも、どうやら納得いかないようだ。
 それもそうだろう。了解を得るどころか、全て事後承諾だ。

 留学の時もそうだった。折角の就職を棒に振ったのである。
 そして結婚だ。

 どうしてこうも、重要な事なのに何も話さず、何の前触れも無く勝手に決めて行動してしまうのか、姉である蕗子にも理解不能だった。

 いや、昔から勝手ちゃんではあった。
 だから、蘇芳のやりそうな事だとは思う。
 ただ、ここまで勝手になれる神経が理解できない。

「留学の時も驚いたが、今回はさすがになぁ。……結婚したなんてな」

 ダイニングテーブルに頬杖をついて、広志は気難しそうな顔をした。
 やり手の銀行マンとして日本や世界を駆けまわり、難しい仕事もこなしてきた男が、もうそうそう難しい事は無いだろうと思われる年齢になったのに、今まで出会ったどの難問よりも難しい、と思っているように見受けられる。

「お前の教育が悪いからだ、なんて言わないで下さいよ」

 真弓が先回りするかのように言った。

「そんな酷い事、俺が言うかよ」

 広志は批難の目を向ける。

 母の言葉は冗談だろう。
 ドラマや小説では、こういう時にお決まりのような亭主の言葉なんだろうが、五條広志がそんな人物で無い事は、妻も娘も重々承知している。

 それなのに、何故そんな事を言ったのかと言えば、母も動転しているからに違いない。

「あのこは、ほんとに型にはまらない子だわ。私たちきっと、長生きできないわね」

 尤もな言い分だと蕗子は思った。
 蕗子自身も、彼女に何度も煮え湯を飲まされている。

 あれだけ自由気ままで勝手に生きれたら、ストレスも溜まらないだろうし、きっと長生きするだろう。
 そして、すぐ近くにいる家族は、その反動を受けて早死にするに違いない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み