第14話

文字数 4,457文字

 最初にきちんと計算して正確に設計し、正確に材料を切りだして正確に組み立てていけば、
予定通りのものが完成する。
 完成した時の喜びの大きさと言ったら無い。
 絵画では無く、写真でもなく、工芸でも無い、大きな芸術品。

 だが人生は違う。
 設計図通りにはいかない。

 当たり前だ。そんな事、分かり切っている。
 それでも誰もが幸せな人生の設計図を描き、未来予想図を夢想する。そして(つまづ)いて、こんな筈じゃなかったと思う。

 蕗子は自分の人生の設計図を描いた事は無い。
 ただ仕事が好きで、それに打ち込んできただけだ。

 仕事の上で、成功もあれば失敗もあるだろうと思っていた。
 それを繰り返して成長していくんだと。
 そんな思いの中に恋愛や結婚への思いは殆ど無かったと言って良い。

 だから、まさか自分がこんな事に巻き込まれるとは夢にも思っていなかった。

 財前と晴明。職場の上司と妹の夫。どちらも自分にとっては困った相手だ。

 まずできれば、同じ職場の人間と恋愛沙汰になりたくなかった。
 関係が悪くなった時に、同じ職場だと互いに気不味くなる。それが仕事に影響するからだ。

 そもそも蕗子の恋愛は、これまで一度も上手くいったことが無かった。
 原因は、どれも全て蘇芳だった。

 蕗子の相手は、何故か(ことごと)く蘇芳に心変わりした。
 蘇芳に紹介すると決まってその後、「蘇芳ちゃんが好きになった。ごめん」と言って去っていく。

 蘇芳は蘇芳で「ごめんね」とは言うものの、全く悪びれる風もなく、暫く付き合っては振る。
 つまらない人だった、自分を束縛してくるのが耐えられない、そんな理由で。

 蘇芳は、そんな過去の事で蕗子が彼女を恨んでいると思っているようだが、それは誤解だ。
 蕗子は全く恨みには思っていなかった。いつもいつも、またか、と思うだけである。

 何故なら蕗子自身が、最初から相手の男を大して好きなわけじゃ無かったからだ。
 知り合って、感じの良い相手から「付き合って欲しい」と告白され、好感の持てる相手だったから、取り敢えず付き合ってみるかと思って付き合い始める。

 だが、気持ちはそれ以上にはなっていかない。
 蕗子が何より熱中しているのは建築の事であり、それ以外は些末事項に過ぎない。だから相手はきっと物足りない思いを抱いた事だろう。

 そんな時に魅力的な蘇芳を知れば、気持ちがそちらに移るのも当たり前なのかもしれないと、
蕗子なりに納得していた。
 ただ、「ごめんね」と言っている蘇芳自身は、故意に姉の相手に色目を使っていると感じていた。

 相手の気持ちを引くような目つきや素振りをわざとしている。
 なぜ、そんな事をするのかは分からない。

 だからその後は、蕗子は簡単に交際を始めるのをやめた。
 そうすると、恋愛や結婚を否定している、行かず後家のように言われたりするのだから、世間は全く口さがないと思う。

 それでも、そんな雑音は気にしてはいない。自分は自分だ。
 他人に迷惑をかけない範囲で好きに生きたい。自分の人生だから。

 それなのに、なぜ妹の夫が。

 最も有り得ない相手だと思う。

 だが。

 ――僕は後悔しています。
 ――入籍する前に帰国していれば良かった。

 あの言葉は、こういう事だったのか。

 初めて五條家で晴明と会った時。
 交わした瞳に感じた想い。

 ずっと、何か磁場のようなものを感じていた。
 その度に否定し、考えないようにしてきた。
 当然だ。妹の夫なのだから。

 蕗子は打合せの為に、神奈川県A市に向かった。
 同僚の吉田と二人、社用車での移動だ。東名に乗ればすぐだった。

「所長と何かあった?」

 東名に乗って落ち着いた頃、前触れもなくいきなり吉田に訊かれた。
 うろたえながらも平然を装う。

「何かって?」

 蕗子は朝出勤した時、財前に対して何事も無かったように振る舞った。
 いつも通りに振る舞ったつもりだ。
 財前もそんな蕗子の態度に少しほっとしたような表情を浮かべながらも、矢張り同じように振る舞っていた。

「いや。何て言うか、二人ともどことなく、よそよそしい感じがしたんだよ。ちょっと見じゃ、分からない程度だけど」

 蕗子は沈黙した。どう答えたら良いのか分からなかった。
 いつも通りに振る舞っているつもりだったのに、矢張り傍からは変だと感じられたのか。

「多分、原田君も波絵ちゃんも、気付いてないと思うよ。俺だけ気付いちゃったみたいだ」
「じゃぁ、吉田さんの勘違いよ」
「そうかなぁ……」
「随分、自分に自信を持ってるのね」

 自分の言葉に棘があるのを感じ、自己嫌悪する。

「君の事だからさ」

 明るく笑いながら言うから、いつも本気に受け取っては来なかったが、本気だったのか。

「本気にしてないでしょ」

 矢張り、笑っている。

「ごめんなさい。本気にしてなかったけど、本気だと分かっていても私は駄目。応えられないから」

「分かってるよ。だから、君が負担に感じないようにしてきたんだ。まぁ、それで君の気持ちが
俺に向いてくれたらとの願望もあったけどね」

 そうだったのか。
 好意を感じてはいた。好いてくれていると思ってはいた。
 だけど、どこまで本気なのかは分からなかったし、分かろうともしなかった。
 煩わしかったからだ。
 色恋沙汰になってゴチャゴチャしたくなかった。

「君の目は仕事にしか向いて無い。でも、真剣に仕事に打ち込んでる姿がとても綺麗でさ。俺はそばで一緒に仕事をしてられるだけでも嬉しいんだよ。君は誰のものにもなりそうになかったからね。だけど、所長にはずっと嫉妬してた。お互いに特別に思ってる感じがしたから」

「私、所長の事を特別に思ってるなんて事は無いわよ?」

 口調がムキになっていた。

「いいよ、ムキになって否定しなくても」
「だって、本当に」
「いいんだ、って。分かってるんだ。色恋じゃないって事くらい」

 その言葉に逆に驚いた。

「それって、どういう意味なの?」

「所長は魅力的な人だよ。ルックスもいいし、仕事もできて。皆の憧れだろ?君の特別って言うのは、そういう事。所長は別格な感じ?」

「ああ、そういう事……。そう言ってくれて、ちょっと安心したかも」

「なら、良かった。でさ。所長もさ。部下として特に君を可愛がってきてたろ?依怙贔屓って訳じゃないけどさ。自分を慕う優秀な部下だったら、上司として可愛がりたくなるのも当たり前だからね」

「それは、吉田さんだって同じじゃないの?」

「俺は違うよ。蕗ちゃんは、他の人間とは違う、何て言うか特別な才能を感じるんだ。所長は優秀だから、誰よりもそれを分かってると思う」

「そんなの……、買い被りよ。可愛いって言うのなら、出来の悪い子供ほど可愛いって言うじゃない。そっちじゃないのかな」

「何言ってるの。謙遜もし過ぎると嫌みに聞えるよ」

「嫌みって……、酷い言われようだわ」

 蕗子は笑った。なんだか、吉田に救われている気がする。この人は暖かい。
 どんな事でも笑いに変えてくれる。そんな風に感じる。

 この人を好きになれていたら良かったのに。
 そしたら自分は、共に同じ道を歩めるパートナーを得て、充実した人生の未来予想図を描く事ができただろうに。

「とにかくさ。いい感じの親密感とでも言うのかな。そういうのが所長と蕗ちゃんの間に感じられるんだけど、なんか今日は、それがちょっと違う感じ?……って言うか、今日だけじゃないかな。ここ最近、なのかな……」

「そっか……。ほんと吉田さんって見た目によらず、敏感?」

「ははは。いつもおちゃらけてるから皆、油断してるんじゃないの?(あなど)るなかれ、俺の千里眼は凄いよー」

「千里眼!」
 蕗子はプッと思わず吹きだした。

 この人には話しておいても良いかもしれない。蕗子はそう思った。

「所長ったらさ。ついこの間、正式に離婚したんですって」
「ええっ、ほんと?」
「うん」
「いや~、別居の件は知ってたし、いずれ離婚なのかな?と思ってはいたけど、予想より早かったって言うか、……そうかぁ。本当に離婚しちゃったのか」

 吉田の驚きはよく分かる。蕗子も全く同じ思いだった。
 するだろうとは思っていたが、まだもう少し先かと思っていた。

「でね……。事もあろうに所長ったら、ね。私の事が……」
「好きだって?」

 言い淀んでいる蕗子の後を吉田が代弁した。
 なんて事の無いような言い方だったから、蕗子は思わず運転中の吉田の顔を見た。
 吉田はいつもと変わらない微笑を浮かべたまま、前を見てハンドルを握っている。

「驚かないの?」
「驚いてる」

「嘘。全然、驚いてる感じしない」
「ははは。話しを聞く前は予想して無かったけど、『私の事が』って聞いたら、そっか、って予想ついたよ、自然にね。でも、勿論驚いてるよ?あの所長が、そんな事を言ったんだってね。所長なりに色々考えて勇気を出したんじゃないのかなぁ」

 あまりに呑気な様子に、蕗子は少し苛ついた。
 どうして、そんなに軽々しいんだ。

「折角の予想だけど、当たっているようで、外れてるわよ?」

 蕗子はわざと意地悪い調子で言った。

「え?どういう事?違うの?」

 吉田は少し慌てた様子を見せた。
 そんな吉田を見て、蕗子はほくそ笑んだ。

「所長が『俺は君を』って言い出して、私はその先を言わせないように止めたの」
「と、止めたぁ?告白を中断させたって事?」
「分かりやすく言えば、そういう事ね」
「ああ、なんてこった。君って人は残酷な人なんだねぇ」

 吉田は溜息をつくように、はぁ~と息を大きく吐いた。

「残酷ってどうして?正直な所、所長からそんな告白をされても私にとっては迷惑なだけだもの。聞きたくなかった。聞いたら終わりだって、そう思ったんだもの」

 怒りと悲しみが入り混じったような、複雑な思いに満たされる。

「それはさ。分からなくは無いけど、所長自身、それなりに考え、迷い、決意した結果の告白だったんじゃないかな。子供じゃあるまいしって思うかもしれないけど、男ってそういう所があるんだよね。いつまで経ってもさ。逆に、あれだけの地位と年齢を重ねた男性の方が、そこへ至るまでの過程が大変だったと思う。だから、断るにしても、ちゃんと聞いてあげて欲しかったなって思うんだよね。なんか、所長が可哀想になってきた。恋敵だってのに、俺、馬鹿かもね~」

「そんな事言われても……」

「まぁ、もう済んじゃった事だもんね。今さらだよね。だから何も無かったような対応してるんだね。なるほど、分かったよ。それはそれで正解だと思う。暫くはそんな感じで静観するしかない。ただ、もしまた、言われそうになったら、取り敢えず全部言わせてあげた方がいいと思う。
全部言えなかったら気持ちのやり場っての?納めどころ、かな。無くなっちゃうでしょ。言った方がスッキリして、あとは振られても諦めがつきやすいって言うかさ。俺、そう思う」

 なるほど。吉田の言う事も何となく分かる気がした。

「だけど吉田さん、まるで所長の兄か父みたいじゃない?」
「ほんとだよねー。俺って本当に馬鹿みたいだよ。まるで道化」

 吉田は情けなさそうに笑った。

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