第62話

文字数 3,243文字

「墓参りついでにさ、阿部の人間たちが、叔母を中心として、君に逢いたいって言って来たんだ。あの人達にとってみれば、今度の事は寝耳に水だからね。メディアで大々的に個展の事が紹介されたろ?その時に、妻がって言ってるから、いつの間に?って仰天したらしい。連れて来て紹介しろって。基本的には喜びムードだから、心配いらないよ。君に逢えばきっと喜んでくれると思う」

 元々疎遠だった阿部の実家。
 母親と二人で東京に住んでいた時も疎遠だったと言う。
 それなのに、里美との件を知った時、大慌てで上京してきた叔母。

 里美が死んで、生きる屍のようになってしまった晴明に、何の手も差し伸べてはくれなかった親戚達。
 それでも、こうして有名になれば、態度がガラリと変わる。
 これでまた晴明の身に良くない事が降りかかりでもすれば、掌を返すのだろうか。

「あなたは、いいの?それで……」

 蕗子は訊いた。
 この人のこれまでの孤独な人生を思うと、蕗子自身も彼の親戚達に対して複雑な思いを抱くのだった。

「僕はさ。あの人達にとって、最初から異邦人で、僕にとっても、あの人達は異邦人だって思ってた。それでも親戚には変わりない。あの人達のお陰で、母も僕も暮らしに困る事無く生きることができたんだし。それに、何より母のお墓もあるから。母に君を紹介したいんだ。親戚はそのついでだよ。でもきっと、みんな喜んでくれる筈。今度こそ、僕は本当の幸せを掴んだんだから。あの絵の実物に逢えるって皆、胸を躍らせて待ってるよ」

「あら……」
 そんな風に言われて、蕗子は頬を染めた。

「君の事は僕が守る。誰にも何も言わせない。君は僕の大事な天使なんだ。天使が傷ついたら、僕も傷つく。だから、大丈夫。心配いらないよ」

「わかった。晴明さんがそれでいいなら、私もそれでいいから。あなたの事を信じてる。だから……」

 蕗子は微笑んだ。

「ありがとう……。あとね、蘇芳からメールがきた」
「えっ?蘇芳から?」

 蕗子はドキリとした。

「報道で僕の個展の成功を知ったって。でもって、君を描いた僕の絵も、ネットのニュース映像で見たそうだ。凄く驚いてたよ。まさか、僕たちが一緒になるとは思ってなかったって。お父さんからは何も聞かされてなかったらしい。でもって、おめでとうってさ。個展の成功と、僕たちの結婚に対して。絵を見て分かったって。ただ、君には直接言えないから伝えておいてくれってね」

「そうなの……。良かった。祝って貰えて。蘇芳は蘇芳なりに、あなたの事が好きだったのよ。いずれ別れがきたとしても、こんなに早くは無かったろうし」

 晴明は首を振った。

「そうかもしれないけど、長く続いたとも思えない。蘇芳は激しいから、結局僕の淡泊さにジレンマを起こす事になったと思う。冷たい夫婦生活が目の前にあったようなものだ。蘇芳も感じてたから、一層ダンスに夢中になったんだよ」

「私だって、あなたと一緒になってから、前より一層、仕事に夢中だけど?」

 蕗子は小首を傾げるように、笑みを浮かべて言った。
 晴明はむくれ顔になった。

「いい物あげようって思ってたのに、そんな事を言うならやめようかな」

「え?なんなの?いい物?それって、もしかして、クリスマスプレゼントとか?」

 二人で初めて迎えるクリスマスイブだ。
 未だかつて、蕗子は男性とクリスマスの夜を過ごした事が無かった。
 それだけに新鮮だったし、ロマンティック度が違うと思っていた。

「まぁ、そうとも言えるけど……。君はクリスマスプレゼント、用意してくれてあるのかい?」
「あ……」
「まさか、無い、とか……」

 怖い顔をして蕗子を見る。

「や、やだわぁ。あなたが、そういう物を要求する人だとは思ってなかった」

 本音である。そういう物質的なものには拘らない人だと思っていた。
 だが、結婚と言う形には拘った。だから、一応、念のために用意はしておいた。
 もぞもぞとバックから包みを出した。それを見た途端、晴明は満面に笑みを浮かべた。

「全く君って人は、勿体つけて……。無いような振りなんてするもんじゃないぞ」
「だって……」
「いいから」

 観念して、差し出した。受け取った晴明は、嬉しそうに包みを見つめている。
 少しの間見つめてから、そっとテーブルの上に置いて、自分もカバンの中から包みを出した。

「はい。これが僕からのクリスマスプレゼント」

 渡された包みは、B4くらいの大きさの箱包みだった。

「じゃぁ、一緒に開けようか」

 頷いて、包みを開けた。中から出て来た箱を開けたら……。

「あ……、ネグリジェ?」
 またネグリジェなのか、と思ったが。

「どうだい?それ、いいだろう?シルクシフォンなんだ。凄くロマンティックだと思うよ。それを着たら、天使度、大幅アップ」

 嬉しそうに表情を緩め、白い顔に薄らと赤みが差している。
 晴明の言う通り、凄く素敵でロマンティクなデザインだった。
 これなら確かに、お姫様や妖精のようかもしれない。

「マフラーだね。カシミアの。凄く肌触りが良くて気持ちいいよ。ありがとう」

 本当に嬉しそうに首に巻いてるのを見て、蕗子はホッとした。

「あなたに似合うって思ったの。寒くなってきたから、ちょうどいいかなって。大学の先生だしね。良い物を身につけないと笑われるじゃない?」

「ありがとう。毎日使わせて貰う。こんな風に、愛する女性に選んで貰った物を身に付けられるなんて、幸せだよ。で……」

 晴明は再びカバンの中をゴソゴソとしだした。

「どうしたの?」
「うん……」

 曖昧な返事をしながら、「実はさ……」と、小さいケースを取り出した。

「もっと早くに渡すつもりだったんだ。だけど事故に遭って、それどころじゃなくなってしまって……。注文してからも、予想以上に時間がかかってさ」

 そう言いながら晴明が蕗子の目の前に出したのは指輪だった。

「折角結婚したって言うのに、ごめん。式も挙げて無いのに、指輪まで無いなんてね」

 蕗子はびっくりした。もう、指輪の事なんて忘れていた。
 差し出された指輪は綺麗なプラチナで、中央がピンクゴールドになっていた。

「一応ね。セミオーダーなんだ。幾つもあるサンプルを元にアレンジして作って貰ったんだよ。そのピンクゴールドは、運命の赤い糸をモチーフにしてる。僕たちが、赤い糸で結ばれた運命の相手なんだって証し。だから、僕たちの愛は終わる事は無いんだ」

「晴明さん……」

 蕗子が晴明を見ると、晴明は大きく頷いた。

「さぁ。手を出して。はめてあげるから」

 言われて蕗子は手を出した。
 晴明の大きな手が伸びて来て、そっと蕗子の左手を取り、薬指に指輪をはめた。

「ぴったり……」
「良かった……。じゃぁ、今度は君がはめてくれ」

 晴明にもう一つの指輪を渡された。当然ながら、蕗子の物より大きい。
 それをまじまじと見た。とても綺麗だ。高級なものだと分かった。

「さぁ」

 出された手を取り、そっと指輪をはめた。
 二人の指に同じ指輪が輝いている。

「先生、指輪しないの?って女生徒達に何度も言われてね。しないのは罪だ、とも言われたよ。だから、気持ちはずっと焦ってた。渡すタイミングもあるしね。こうして、個展も無事に開催できて、盛況で終える事ができた。ちょうどクリスマスイブだし、この日しかないって思ったんだ。ちょっと遅くはなっちゃったけど、許してくれるよね」

 蕗子は頷いた。言葉が出て来ない。
 本当に感動した時には、言葉って出て来ないものなんだなと思った。
 それでも言いたい。感謝の言葉を。
 愛の言葉を。

「ありがとう……。とっても嬉しい。本当に……。愛してる。これからもずっと」

 蕗子は万感の思いを込めて晴明を見た。
 かつての晴明の暗く深かった瞳が、今は愛に満ちていた。
 あの、月と星の間の絵のように、晴明の愛が蕗子を照らし、天使にしてくれているのだ。

 それなら私は喜んで天使になろう。そしてこの人をずっと守っていくんだ。

 蕗子は二人の指に光る指輪に、そう誓うのだった。


   The end.

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