第7話

文字数 2,716文字

「ちょ、ちょっと、蘇芳。何言ってるのよ。晴明さんはプロの画家じゃない。アトリエは仕事場でしょ。それをアマチュアのダンサーがダンスする為のスタジオに改築って、信じられないんだけど」

 蘇芳は小馬鹿にしたように笑った。

「信じられなくても、そうなんだからいいでしょ。晴明は了承済みなんだから」

「了承済みって……」

「それに、アマチュアのダンサーって酷い言い草じゃない?確かにプロとはまだ言えないかもしれないけど、アメリカではちゃんと舞台に立ってギャラを貰ってたのよ。日本でも本格的に活動できるように、自宅で自由にレッスンしたいの。夫がいいよって言ってくれてるのに、何の問題があるって言うの?」

 睨みつけるようにして言う蘇芳に、蕗子はたじろいだ。

「五條さん、落ち着きなさい。妹さんのおっしゃることも、尤もだと思うよ」

「さすが所長さん、懐が深いと言うか話しが分かりますね」

 艶やかに微笑む蘇芳を見て、こうやって相手をたらしこむんだと思った。
 いつでも、こうやって自信たっぷりに微笑みかけ、大抵の相手はこの笑顔にぞっこんになる。

「蘇芳さんは、人を乗せるのがお上手なようだ。それなら、担当は別の者にしましょうか?姉妹だとかえってやり難くありませんか?」

 財前の提案に蕗子はホッとした。自分としてはそうしてもらいたい所だった。
 何せコンペも抱えている。

「いえ、お心遣いは有難いんですけど、費用を全部主人が受け持ってくれる代わりに、主人がどうしても、姉に頼みたいと言ってまして」

「ええっ?」

 何故、そんな事を。唖然として言葉が出ない。
 戸惑っている蕗子の様子を見て、財前が訊ねた。

「実は今、お姉さんは大事なコンペの仕事を抱えておりましてね。時間的に厳しいんですよ。うちには幸い、優秀な一級建築士がもう一人おりますので、その者に任せて頂いて十分ご期待に添えると思えるんですが」

 吉田の事だ。蕗子も彼なら十分やってくれると思う。それに男だ。
 きっと蘇芳の我がまま放題を喜んで受けてくれるに違いない。

「私も、姉に拘ってないんですけど、一応正式な依頼主である施主は主人になるわけで、その主人が『お姉さんの顔を立てなきゃ申し訳無い』って。かなり拘ってるんです。それに、主人は事前に姉の仕事内容とかも調べたみたいで、それで気に入っちゃったみたいなんですよね。だから、頼むなら是非姉にって……」

 蘇芳は困ったような顔をした。
 蕗子も困って財前と顔を見合わせた。

「五條さん。これ程までに見込まれたんだ。やってあげなさい」

 財前の言葉に、脱力した。自分の仕事内容まで調べられたのなら仕方が無い。
 事務所のホームページには、これまで請け負った仕事内容が掲載されてある。
 誰がどういった建物を担当したのか、簡単な依頼内容と完成写真が載っており、蕗子は過去に多くの建物を担当してきたが、スタジオを作るのは初めてでは無かった。

 プロの振付師もいるし、趣味でダンスをやっていて、自宅内の一室をダンススタジオにしたいと言った注文も複数受けている。最近は需要が多いのだ。
 そういった物があるのを知って、余計に頼む気になったのかもしれない。

「分かりました。……それで、肝心の施主さんはいらっしゃらないんでしょうか」

 客となれば、妹であっても言葉使いを変えないとならない。
 蕗子は他人の目で蘇芳を見た。

「晴明は、今日は大学なの。だから、ちょうどこの時間が空いた私が来たってわけ。まずは、妹の私から話をつけておいた方がいいかなって思って」

 妹の方は馴れ馴れしい口調だ。

「そうですか。では、今後の事ですけど、どうされますか?契約の打合せには施主さんにいらして頂かないと困りますが、スタジオを実際に使用されるのは奥様なわけですし」

「奥様って……」
 蘇芳は他人行儀な姉に戸惑っていた。

「これからの打合せには、お二人で来て頂きたいのですが、察するに難しそうですよね」

「あの、二人で来れる時には二人で来ますけど、私の方が色々忙しくて……。晴明は大学以外では家で仕事をしてるから、現場の立ち合いや打合せなんかは晴明が中心になるかと」

 言葉遣いが乱れて来た。
 他人に話せばいいのか姉に話せばいいのか、迷いながら言葉を使っている感じがした。

「それは了解しましたが、スタジオを実際に使われるのは奥様ですので、奥様の方からのご要望等、事前に伺っておきたいんですが」

「分かりました。大体は晴明に伝えてあるんだけど、一応、私の方からも言っておいた方がいいですよね……」

 なんだか奇妙だ。相手が妹だからだろうか。
 それに、この三年間、一度も会っていないし、直接話した事もなかったのだ。

 会ってしまえば懐かしく、一挙に会う前に引き戻された感じがしたが、実際の蘇芳は三年前の
蘇芳とは違っていた。
 そのギャップを埋めようにも、帰国後も会うのはこれが二度目だし、その間に電話なりメールなりでもあれば、少しは隙間が埋まるんだろうが、それすら無かった。
 
 これが赤の他人であったなら、違和感があっても気にはならない。
 小一時間の打合せの後、蘇芳は帰っていった。

「想像以上に綺麗な人でしたね~」

 原田が鼻の下を伸ばしている。見れば、吉田もだった。

「華やかな人ですよね。羨ましいくらい」

 波絵もうっとりした顔をしている。

「まるで花が咲いたように明るい雰囲気になったね」

 財前だけが、いつもと変わらず仄々とした表情だった。
 さすがに大人だけに簡単には籠絡されないんだろうか。それともタイプではないとか。
 いや、大人だから表情に出さないだけなのかもしれない。

「もう結婚しちゃったんだよね?残念だなぁ。日本にいたら紹介してもらってたのに」
「原田さんじゃ、無理無理。即玉砕しちゃうんじゃないですか?」
「酷い事言うね、波絵ちゃんは。蕗子さんは、どう思います?お姉さんから見て、俺、駄目ですかね?」

 不毛な事を訊いてくる。

「フリーだったら、原田君だって可能性はあったと思うわよ。あのこ、面喰いじゃないから」
「あはははっ、良かったじゃないか原田君」

 吉田が愉快そうに大声を出した。
 この人はどうなんだろう?訊ねてみた。

「笑ってるけど、吉田さんはどうなの?」
「ええっ?俺?」

 急に振られてシャックリでもしそうな顔になって、笑いを止めた。

「俺は決まってるでしょう。蕗ちゃん一筋だよー」

(あー、馬鹿だ)

 原田と波絵がヒューヒューと冷やかす。こういう台詞は今に始まった事じゃない。
 だから蕗子も真面目に取り合わない。

 だけど……。

 もし、私がこの人と付き合っていて、蘇芳が独身だったら。
 蕗子は頭を振った。どちらも有り得ない。有り得ない事を考えても不毛だ。

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