第12話
文字数 4,329文字
翌日事務所は休みだった。
昨日の今日で財前と顔を合わさずに済んで蕗子はホッとした。
蕗子は池袋に出て、サンシャインにあるプラネタリウムに入った。
ちょうど十一時の回が始まる所だったので、急いでチケットを買った。
中に入ると大分席が埋まっている。係員に案内された席に着くと、そっと溜息をついた。
(良かった……)
これを逃すと次の上映時間まで一時間近く待つ事になる。その間、ふらふらとサンシャイン内を見て回れば良いだけなのだが、無性に星が見たい欲求に駆られていたので、その流れを堰き止められずに済んだような気になってホッとしたのだった。
間際に入ったので間もなく扉が閉まり、場内が暗闇に包まれた。
この瞬間、自分の肉体の存在をあやふやに感じる。
都会に住んでいると人工の星ばかり見て、夜空の星はあまり見れない。
余程、空が澄んだ時くらいだ。
だから蕗子は時々プラネタリウムを訪れる。
疑似体験ではあるけれど、満天の星空に包まれると心が安らいだ。そして、いつも、この真っ暗闇になる瞬間、肉体が無くなって心だけが浮いているような、そんな錯覚を覚えるのだった。
最初の頃は、どこか心許なくて不安に感じたが、回を重ねるうちに、なんだか心地良くなってきた。遥か昔、生命の原初に戻ったような気分になる。大袈裟だろうか。
やがてゆっくりと上空のスクリーンが明るくなり始め、星々が姿を現す。
この回は、星の誕生、生命の誕生、宇宙の神秘、まだ見ぬ宇宙の姿と、春の星座から壮大な宇宙の映像が映し出され、蕗子はその素晴らしさに圧倒された。
なんて美しいのだろう。ただただ魅かれるばかりだ。
こうやって見ると、人間なんて本当にちっぽけな存在だ。いつもそう感じる。
四十分間の映像が終わった後も、余韻に引かれ、すぐに立ち上がれなかった。
どうせ出口は混んでいる。座ったまま、暗くなったスクリーンにボーっと目をやっていたら、
突然声を掛けられた。
「蕗子さん?」
背後からの男性の声に驚いて振り返ると晴明が立っていた。
「晴明さん……」
意外な場所で出会った事にお互い戸惑っていた。
蕗子は困惑しながら立ち上がった。
「あなたも見に来てたんですか。びっくりしましたよ」
晴明が笑顔になった。
「私の方こそ、驚きました。あの、お仕事は?」
「今日は休みです。蕗子さんは?」
「私もです」
「そうですか。それは良かった。じゃぁ、これからランチでも、いかがです?」
「あの……」
満面の笑みを浮かべられて、一瞬戸惑った。
「これから何か用事でも?」
晴明が訝しそうな顔をしたので、「いえ、そんな事は」とすぐに否定した。
慌てている自分を滑稽に感じる。
「じゃぁ、行きましょう」
にこやかに笑うと、晴明は歩きだした。慌ててその後を追う。
エレベーターに乗り、下まで降りて建物の外にでる。エレベーターは混んでいた。晴明とは横並びに乗り、腕が触れた。
箱の中から吐き出されるように外へ出ると、「和食でいいですか?」と訊かれた。
「美味しい店を知ってるんですよ。懐石料理ですが、堅苦しくなくてね」
そう言われて連れて行かれた店は、路地を入ったビルの三階にある、懐石料理屋らしい質素だが清潔感のある佇まいの店だった。
既に昼時なので混んでいたが、幸い一席だけ空いていた。
商売柄、蕗子はつい室内の様子を首を巡らして見てしまう。
「そんなにキョロキョロしていると、御のぼりさんかと思われちゃいますよ」
楽しそうに笑っている晴明を見て、頬が火照る。
「ごめんなさい。でも癖なの。つい……」
「分かりますよ。ただ、あまりに不躾 でしょう。もう少しさりげなく見たらどうです?」
身が縮こまりそうな程、恥ずかしかった。
「ところでプラネタリウムにはよく行くんですか」
「ええ。星を見るのが好きなんですけど、都会じゃなかなか見れないでしょう?」
「そうですね。久しぶりに帰国して、東京ってこんなに星が見えなかったかな?って思いましたよ。ニューヨークでも、セントラルパークにでも行けばそれなりに見えますからね」
「え?見えるんですか?」
蕗子は驚いた。
「満天の星とは言いませんが、東京都心よりは遥かに見れます。勿論、マンハッタンのど真ん中じゃ無理ですけどね」
「あの、夜の絵ですけど、あれはファンタジー的ですよね。どこかの景色をモチーフにして描いてらっしゃるんですか?」
「興味がありますか?」
僅かに口辺に笑みを浮かべて、じっと見つめられた。
暗くて深い湖のような、静かで、けれども底の方から青い炎が煌めいているような不思議な眼だ。
「そうですね……。あります」
戸惑いながら、蕗子ははっきりと答えた。視線が外せない。
「嬉しいな。興味を持ってもらえて。あの絵は空以外の背景は、色んな場所のスケッチを元にしています。自分のイメージに合いそうな物を、その都度選んで描いています」
「色んな場所のスケッチって言うのは?その場所も、自分のイメージを元に探したりするんですか?」
「いえ。明確に、こういう風景をと求めて行く事はないですね。ふら~と出かけて、描きたいと思った場所に出会った時に描く。そんな感じかな」
少年のような笑顔を浮かべた。先ほどの眼とは違う、爽やかな眼だった。
その時によって色々と表情が変わるこの人の眼に惹かれる。
そう思って蕗子は自分を戒めた。
(この人は妹の夫だ)
「あなたはどうなんです?」
「私?」
「ええ。蕗子さんの、仕事の為のイマジネーションっていうのは、どこにあるんですか?」
いきなり難しい事を訊いてくる。
「そうですね……。そういう事、あまり考えた事が無いから上手く言えないけど、矢張り根本的には、普段から見聞きしている様々な事から生まれてくるって感じでしょうか。何か、偉そうですけど」
ゆったりした笑みが返って来た。
「いえ、そういうものだと思いますよ。でも、普段何気なく見たり聞いたり感じたりした事を、
そうやって想像の翼を持って広げていける人となると、そう多くは無いと思います。だから蕗子さんも僕と同じ芸術家肌の人なんだなって思いますね」
「そんな。芸術家肌だなんて」
蕗子は否定するように手を横に振った。
「でも蕗子さんは、大学で建築学を学んだんですよね。当然、その歴史も学んだんでしょうから、美術とは無縁とは言えないんじゃ?」
「それは確かにそうですけど……」
「建築自体、最早芸術でしょう。ただの、無機質で機能的なだけの物を作る為に建築家になったわけじゃないですよね?」
「ええ、まぁ……」
「五條家に初めて伺った日、あなたが活けた花を見て、この人は芸術家だなって感じたんですよ」
確かにあの時、この人にそんな事を言われたが、蕗子は自分を芸術家だと思った事は一度もない。確かに建築は芸術でもあると思うものの、自分自身は職人だと思っている。
「あまり、褒めないでください。こそばゆい感じがします」
「それはすみません。そんなに恐縮しなくてもいいのになぁ」
出された懐石料理は美しいだけでなく、とても美味しかった。
上品だが、それぞれの素材に存在感があった。
懐石料理は美しく盛り付けられて、気取ったばかりの料理が多いと感じる中で、ここの料理は違っていた。
「どうです?或る意味、庶民的な印象が無いですか?」
晴明に言われて成る程と頷く。
確かにそうだ。だが、それでも上品だった。
「美しいものは、気取らなくても美しいんです。それがよく分かってる料理人だって思うので、気に入ってるんですよ。勿論、旨いし」
「そうですね。私もそう思います」
「本当に?」
「ええ」
嬉しそうな笑顔に、蕗子も優しく微笑んだ。
その微笑みにつられて、つい気になっている事を訊ねてしまった。蘇芳との事だ。
あれからどうなったんだろう。
上手くいっているのだろうか。この人を見る限り、問題があるようには見えない。
日本の生活にもそろそろ慣れただろう。
「あの……、蘇芳とはどうですか?相変わらず掴まりませんけど、夫婦の時間とかちゃんと持ててます?」
ふっと表情が止まった。
動画が静止画になったような、そんな印象だ。
だが一瞬で元に戻ると、晴明は苦笑めいた笑みを浮かべた。
「どうして、そんな事を訊くんです?」
「えっ?あの、その……」
うろたえた。視線が宙を泳ぐ。目を合わすのが気恥ずかしい。
「ごめんなさい。余計なお世話でしたよね」
慌てて言った。よく考えれば姉とは言え、おせっかいな事に違いない。
「いえ……。確かに蘇芳は相変わらず忙しく飛び回ってますから、蕗子さんの心配も当然の事ですよ。ただ……」
「ただ?」
下に向けていた視線を晴明に向けると、晴明は悲しそうな目で蕗子を見ていた。
なぜ、そんな目で見るのだろう。こちらまで胸が痛む。
「そろそろ出ましょうか」
そっと視線を外した晴明は伝票を手に取った。
「今日は僕の方でお誘いしたので、御馳走させて下さい。お世話になってるし」
「でも……」
戸惑う蕗子に構わずに、晴明はすたすたと会計まで歩いて行く。
蕗子は慌ててその後を追った。
矢張り、余計な事を言ってしまったのか?もしかしたら、蘇芳と上手くいっていない?
「ごちそうさまでした」
店を出て、蕗子は礼を言った。
「どういたしまして」
晴明はそう言うと、エレベーターを使わずに階段を下りて行く。
なんだかよく分からないまま、蕗子は後に続いた。
駅までの道すがら無言だった。蕗子からも話しかけにくい雰囲気が漂っている。
(やっぱり、失敗だったな)
プラネタリウムからずっとステキな時間だったのに、残念だった。
こんな事なら、この人と出会わなければ良かった。私に気付かないでくれてたら良かったのに、とさえ思う。
池袋の駅に着いた。
「じゃぁ、これで。近いうちに、また会えるかもしれません」
「そうですね」
設計図は完成しており、あとは施工の為の様々な書類に署名と捺印をしてもらう。
「今日は、本当にごちそうさまでした」
蕗子は改めてお辞儀をした。
「蕗子さん」
「はい」
晴明は真剣な顔で蕗子を見ていた。
「僕は後悔しています」
「えっ?」
思いも寄らない言葉が突然飛び出してきた。
「後悔って、どういう事ですか?」
まさか、蘇芳の為のスタジオ作りを後悔しているとでも言うのだろうか。
そんな事を今さら言われても困る。蕗子は眉をひそめた。
「蘇芳と結婚した事です」
「えっ……?」
いきなり頭を殴られたような衝撃を受けた。
(そんな事……。一体、どうして?)
「入籍する前に帰国していれば良かった」
言葉が継げない。
何を言ったら良いのかまるで分からなかった。
ただ呆然としている蕗子に、「じゃぁこれで」と言って晴明は去っていった。
昨日の今日で財前と顔を合わさずに済んで蕗子はホッとした。
蕗子は池袋に出て、サンシャインにあるプラネタリウムに入った。
ちょうど十一時の回が始まる所だったので、急いでチケットを買った。
中に入ると大分席が埋まっている。係員に案内された席に着くと、そっと溜息をついた。
(良かった……)
これを逃すと次の上映時間まで一時間近く待つ事になる。その間、ふらふらとサンシャイン内を見て回れば良いだけなのだが、無性に星が見たい欲求に駆られていたので、その流れを堰き止められずに済んだような気になってホッとしたのだった。
間際に入ったので間もなく扉が閉まり、場内が暗闇に包まれた。
この瞬間、自分の肉体の存在をあやふやに感じる。
都会に住んでいると人工の星ばかり見て、夜空の星はあまり見れない。
余程、空が澄んだ時くらいだ。
だから蕗子は時々プラネタリウムを訪れる。
疑似体験ではあるけれど、満天の星空に包まれると心が安らいだ。そして、いつも、この真っ暗闇になる瞬間、肉体が無くなって心だけが浮いているような、そんな錯覚を覚えるのだった。
最初の頃は、どこか心許なくて不安に感じたが、回を重ねるうちに、なんだか心地良くなってきた。遥か昔、生命の原初に戻ったような気分になる。大袈裟だろうか。
やがてゆっくりと上空のスクリーンが明るくなり始め、星々が姿を現す。
この回は、星の誕生、生命の誕生、宇宙の神秘、まだ見ぬ宇宙の姿と、春の星座から壮大な宇宙の映像が映し出され、蕗子はその素晴らしさに圧倒された。
なんて美しいのだろう。ただただ魅かれるばかりだ。
こうやって見ると、人間なんて本当にちっぽけな存在だ。いつもそう感じる。
四十分間の映像が終わった後も、余韻に引かれ、すぐに立ち上がれなかった。
どうせ出口は混んでいる。座ったまま、暗くなったスクリーンにボーっと目をやっていたら、
突然声を掛けられた。
「蕗子さん?」
背後からの男性の声に驚いて振り返ると晴明が立っていた。
「晴明さん……」
意外な場所で出会った事にお互い戸惑っていた。
蕗子は困惑しながら立ち上がった。
「あなたも見に来てたんですか。びっくりしましたよ」
晴明が笑顔になった。
「私の方こそ、驚きました。あの、お仕事は?」
「今日は休みです。蕗子さんは?」
「私もです」
「そうですか。それは良かった。じゃぁ、これからランチでも、いかがです?」
「あの……」
満面の笑みを浮かべられて、一瞬戸惑った。
「これから何か用事でも?」
晴明が訝しそうな顔をしたので、「いえ、そんな事は」とすぐに否定した。
慌てている自分を滑稽に感じる。
「じゃぁ、行きましょう」
にこやかに笑うと、晴明は歩きだした。慌ててその後を追う。
エレベーターに乗り、下まで降りて建物の外にでる。エレベーターは混んでいた。晴明とは横並びに乗り、腕が触れた。
箱の中から吐き出されるように外へ出ると、「和食でいいですか?」と訊かれた。
「美味しい店を知ってるんですよ。懐石料理ですが、堅苦しくなくてね」
そう言われて連れて行かれた店は、路地を入ったビルの三階にある、懐石料理屋らしい質素だが清潔感のある佇まいの店だった。
既に昼時なので混んでいたが、幸い一席だけ空いていた。
商売柄、蕗子はつい室内の様子を首を巡らして見てしまう。
「そんなにキョロキョロしていると、御のぼりさんかと思われちゃいますよ」
楽しそうに笑っている晴明を見て、頬が火照る。
「ごめんなさい。でも癖なの。つい……」
「分かりますよ。ただ、あまりに
身が縮こまりそうな程、恥ずかしかった。
「ところでプラネタリウムにはよく行くんですか」
「ええ。星を見るのが好きなんですけど、都会じゃなかなか見れないでしょう?」
「そうですね。久しぶりに帰国して、東京ってこんなに星が見えなかったかな?って思いましたよ。ニューヨークでも、セントラルパークにでも行けばそれなりに見えますからね」
「え?見えるんですか?」
蕗子は驚いた。
「満天の星とは言いませんが、東京都心よりは遥かに見れます。勿論、マンハッタンのど真ん中じゃ無理ですけどね」
「あの、夜の絵ですけど、あれはファンタジー的ですよね。どこかの景色をモチーフにして描いてらっしゃるんですか?」
「興味がありますか?」
僅かに口辺に笑みを浮かべて、じっと見つめられた。
暗くて深い湖のような、静かで、けれども底の方から青い炎が煌めいているような不思議な眼だ。
「そうですね……。あります」
戸惑いながら、蕗子ははっきりと答えた。視線が外せない。
「嬉しいな。興味を持ってもらえて。あの絵は空以外の背景は、色んな場所のスケッチを元にしています。自分のイメージに合いそうな物を、その都度選んで描いています」
「色んな場所のスケッチって言うのは?その場所も、自分のイメージを元に探したりするんですか?」
「いえ。明確に、こういう風景をと求めて行く事はないですね。ふら~と出かけて、描きたいと思った場所に出会った時に描く。そんな感じかな」
少年のような笑顔を浮かべた。先ほどの眼とは違う、爽やかな眼だった。
その時によって色々と表情が変わるこの人の眼に惹かれる。
そう思って蕗子は自分を戒めた。
(この人は妹の夫だ)
「あなたはどうなんです?」
「私?」
「ええ。蕗子さんの、仕事の為のイマジネーションっていうのは、どこにあるんですか?」
いきなり難しい事を訊いてくる。
「そうですね……。そういう事、あまり考えた事が無いから上手く言えないけど、矢張り根本的には、普段から見聞きしている様々な事から生まれてくるって感じでしょうか。何か、偉そうですけど」
ゆったりした笑みが返って来た。
「いえ、そういうものだと思いますよ。でも、普段何気なく見たり聞いたり感じたりした事を、
そうやって想像の翼を持って広げていける人となると、そう多くは無いと思います。だから蕗子さんも僕と同じ芸術家肌の人なんだなって思いますね」
「そんな。芸術家肌だなんて」
蕗子は否定するように手を横に振った。
「でも蕗子さんは、大学で建築学を学んだんですよね。当然、その歴史も学んだんでしょうから、美術とは無縁とは言えないんじゃ?」
「それは確かにそうですけど……」
「建築自体、最早芸術でしょう。ただの、無機質で機能的なだけの物を作る為に建築家になったわけじゃないですよね?」
「ええ、まぁ……」
「五條家に初めて伺った日、あなたが活けた花を見て、この人は芸術家だなって感じたんですよ」
確かにあの時、この人にそんな事を言われたが、蕗子は自分を芸術家だと思った事は一度もない。確かに建築は芸術でもあると思うものの、自分自身は職人だと思っている。
「あまり、褒めないでください。こそばゆい感じがします」
「それはすみません。そんなに恐縮しなくてもいいのになぁ」
出された懐石料理は美しいだけでなく、とても美味しかった。
上品だが、それぞれの素材に存在感があった。
懐石料理は美しく盛り付けられて、気取ったばかりの料理が多いと感じる中で、ここの料理は違っていた。
「どうです?或る意味、庶民的な印象が無いですか?」
晴明に言われて成る程と頷く。
確かにそうだ。だが、それでも上品だった。
「美しいものは、気取らなくても美しいんです。それがよく分かってる料理人だって思うので、気に入ってるんですよ。勿論、旨いし」
「そうですね。私もそう思います」
「本当に?」
「ええ」
嬉しそうな笑顔に、蕗子も優しく微笑んだ。
その微笑みにつられて、つい気になっている事を訊ねてしまった。蘇芳との事だ。
あれからどうなったんだろう。
上手くいっているのだろうか。この人を見る限り、問題があるようには見えない。
日本の生活にもそろそろ慣れただろう。
「あの……、蘇芳とはどうですか?相変わらず掴まりませんけど、夫婦の時間とかちゃんと持ててます?」
ふっと表情が止まった。
動画が静止画になったような、そんな印象だ。
だが一瞬で元に戻ると、晴明は苦笑めいた笑みを浮かべた。
「どうして、そんな事を訊くんです?」
「えっ?あの、その……」
うろたえた。視線が宙を泳ぐ。目を合わすのが気恥ずかしい。
「ごめんなさい。余計なお世話でしたよね」
慌てて言った。よく考えれば姉とは言え、おせっかいな事に違いない。
「いえ……。確かに蘇芳は相変わらず忙しく飛び回ってますから、蕗子さんの心配も当然の事ですよ。ただ……」
「ただ?」
下に向けていた視線を晴明に向けると、晴明は悲しそうな目で蕗子を見ていた。
なぜ、そんな目で見るのだろう。こちらまで胸が痛む。
「そろそろ出ましょうか」
そっと視線を外した晴明は伝票を手に取った。
「今日は僕の方でお誘いしたので、御馳走させて下さい。お世話になってるし」
「でも……」
戸惑う蕗子に構わずに、晴明はすたすたと会計まで歩いて行く。
蕗子は慌ててその後を追った。
矢張り、余計な事を言ってしまったのか?もしかしたら、蘇芳と上手くいっていない?
「ごちそうさまでした」
店を出て、蕗子は礼を言った。
「どういたしまして」
晴明はそう言うと、エレベーターを使わずに階段を下りて行く。
なんだかよく分からないまま、蕗子は後に続いた。
駅までの道すがら無言だった。蕗子からも話しかけにくい雰囲気が漂っている。
(やっぱり、失敗だったな)
プラネタリウムからずっとステキな時間だったのに、残念だった。
こんな事なら、この人と出会わなければ良かった。私に気付かないでくれてたら良かったのに、とさえ思う。
池袋の駅に着いた。
「じゃぁ、これで。近いうちに、また会えるかもしれません」
「そうですね」
設計図は完成しており、あとは施工の為の様々な書類に署名と捺印をしてもらう。
「今日は、本当にごちそうさまでした」
蕗子は改めてお辞儀をした。
「蕗子さん」
「はい」
晴明は真剣な顔で蕗子を見ていた。
「僕は後悔しています」
「えっ?」
思いも寄らない言葉が突然飛び出してきた。
「後悔って、どういう事ですか?」
まさか、蘇芳の為のスタジオ作りを後悔しているとでも言うのだろうか。
そんな事を今さら言われても困る。蕗子は眉をひそめた。
「蘇芳と結婚した事です」
「えっ……?」
いきなり頭を殴られたような衝撃を受けた。
(そんな事……。一体、どうして?)
「入籍する前に帰国していれば良かった」
言葉が継げない。
何を言ったら良いのかまるで分からなかった。
ただ呆然としている蕗子に、「じゃぁこれで」と言って晴明は去っていった。