第54話

文字数 2,159文字

「小野さん……、先生……、どうしよう?わ、私……どうしたら……。は、は、晴明さんが……、イヤイヤ、わたし……」

 蕗子は激しく頭を振った。
 あの人を失いたくない。絶対にイヤだ。

「蕗子さん、気をしっかり持つんだ。彼は今、必死に戦ってるんだよ」

 白川教授の低く優しい声が頭上で諭すように言った。

 その直後、手術室のドアが開いて、ストレッチャーに乗った晴明が出て来た。
 管がたくさん繋がれていて、酸素マスクが口許を覆っていた。

「晴明さん!」
 蕗子が慌てて駆け寄った。小野と白川もそれに続く。

「このまま、集中治療室に入ります」
 看護師はそう言って、三人を押しのけるようにして移動した。
 大勢のスタッフがその後に続いた。三人もその後に続く。
 晴明が集中治療室に入った後、医者に呼ばれた。

「ご家族は?」
 辺りを見回す医者に、「妻です」と蕗子が一歩前に出た。

「他に近親の方は?」
「おりません」

「そうですか。分かりました。とりあえず止血手術は済みました。ですが、かなり出血した事もあり、大分衰弱しています。それと、肺の機能が少し低下していますし、術後感染症の危険もありますので、まずは今夜が最大の山だと思います」

 医者の言葉にふらついた蕗子を、白川と小野が抱きとめた。

「蕗子さん、しっかりっ」

 蕗子は頷きながら、地面を踏みしめるように足に力を入れた。

「家族の方は、中で待機していて下さい。状態がいつ変化するか分かりませんので」

 そう言われて、蕗子は中に入った。
 消毒をし、ガラス越しに中が見える小部屋に通された。

「何かあったら、呼んでくれ。すぐに来るから」
 小野と白川はそう言って、引きあげていった。

 まるでテレビドラマでも見ているようだ。
 あれは忠実に再現されているんだな、と感心した。
 蝋人形のように真っ白な晴明を見ていると、怖くなってくる。

(なぜ、こんな事に)

 刺された上に、その傷が原因で転んで轢かれるなんて。
 呪われているとしか言いようが無い。

(呪われている……?)

 父の言葉が蘇る。
 まさかこれは、天罰なのか。

 異母兄妹なのに愛し合った二人は、結局片方の死によって別たれた。
 禁断の愛を貫き通した二人への罰だったのか。そして今度は、妹の夫と愛し合い結婚した私へ罰が下った?

 そんな風には思いたくない。そんな筈、ある訳が無い。
 私達は何も悪い事はしていない。
 それなら何故、負い目を僅かでも感じているのか。

 だけど……。
 交通事故……。

 里美も交通事故で死んだんだった。

 里美さんは、肺をやられて亡くなったと晴明から聞いた。
 確かさっき、医者は肺の機能が低下していると言わなかったか?

(まさか、これは符号?)

 自分の考えを追い出すように、蕗子は頭を振った。
 そんな事ない、そんな事ない。

 蕗子はたくさんの管に繋がれた晴明をジッと見た。そして胸の中で呼びかける。

(晴明さん!頑張って。お願いだから死なないで。私を置いていかないで)


 死ぬ事なんて考えちゃいけない。
 死んだらどうしよう、なんて思ってはいけない。
 負の感情を追い出して、ひたすら生きる事を祈るんだ。
 生きて、生きて、生きて!!必死でそう叫ぶ。

「少し休まれてはどうですか?」
 看護師に声を掛けられた。

「でも……」
 蕗子は首を振る。
 席を外しているうちに何かあったらと思うと席を外せない。

「大丈夫ですよ。今のところは安定してるみたいだし。少しでも変化があったら、すぐにお知らせします。これを持って出て下さいね」

 院内用のポケベルを渡された。蕗子をそれでやっと休憩する気になった。
 廊下に出ると、帰ったと思われた小野と白川が長椅子に座っていた。

「あの……、帰られたんじゃ?」
「一端帰ったんだけど、心配で戻って来た。何かあった時に君ひとりじゃ大変だろうしね」
「あ、ありがとうございます……」

 蕗子は二人の優しさに感謝した。
 心細かったから、お陰で少し気を強く持てそうだ。

「容体はどうなの?」
 三人は連れだって、喫茶室の方へ向かった。
 部屋は二十四時間利用できるが、店は営業していない。自販機が置いてあるので、それで三人はコーヒーを買った。

「今のところは、安定してるようです。変化があったら知らせてくれるからって、こんな物を持たされました」

 蕗子は渡されたポケベルをテーブルの上に置いて、微かに笑みを作った。

「そうか。確かに君も少し休んだ方がいい」
「お二人には、迷惑ばかりおかけてして申し訳ありません」
「何を言ってるんだ。迷惑だなんて思って無いよ」
「はい。わかってます。だから、凄く、ありがたくて。感謝してます。すごく、心細かったから。……頼れる人が誰もいないし」

 力が入らなくて声が震えた。

「わかってるよ、俺達は。みんなわかってる。だからさ。遠慮しなくていい。晴明だって、よくわかってるから、俺達、あんなにあけすけに喋れるんだよ。本音と建前なんて使い分けないんだ。だから君も、気にする事はないんだよ」

 小野の正直さが身に沁みる。
 こういう時こそ、この人の正直さが有難い。

「小野さんが、そう言ってくださるんで、私も正直に思った事を話しますね。……今度の事ですけど、これって……、やっぱり、私達に対して天罰が下ったんでしょうか?」

「天罰だってぇ?」
 素っ頓狂な声で問い返された。

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