第10話

文字数 2,568文字

 翌日、蕗子は二級建築士の原田と事務所で提携している測量士を連れて阿部邸へと出向いた。

 前回、財前と共に訪れた時は、ざっと下見をしておおよその見当をつけていたが、今回の測量で大きな違いが無い事を確認し、蕗子はホッと胸を撫で下ろした。

 予想に反した問題と言うのは、施工過程の中で往々にして出てくるものなので、最初から躓いていては意気をくじく。
 特に今回は、大がかりな改築と言うわけではない。

「良かったですね、問題が無くて」
「そうね。まぁ、予想通りだけど」

 原田に笑顔を向けながら、蕗子はアトリエに目をやった。

 アトリエは東側に面した部分が大きな窓になっていて、外から中の様子がよく見える。
 ガランとして殺風景なのは、既に晴明が片づけた後だからだ。

 晴明が閉店間際に事務所にやって来て、これから見に来ないかと誘われた時は当然ながら断った。
 夜に見に行っても意味が無い。

 確かに建物の中身を見る事はできるが、まずは何より全体の立地だ。
 勿論、中身を見る事も当然だが、昼間に行けば両方見れるのだから、わざわざ夜に出向く必要はない。日を改めて、財前と出向いた。今日は二回目の訪問と言う事になる。

「何か気になる事でもありますか?」

 蕗子達が仕事をしている間、少し離れた場所で見ていた晴明が、じっとアトリエを見つめている蕗子に声をかけた。

「いえ……。どういう風に作って行こうか色々とシュミレーションをしていたんです」

 土地柄や周囲の景観、地の特徴、採光や風の入り方など、様々な環境を踏まえながら建物のあり様を考えるのが蕗子の最初の一歩だった。

「蕗子さんは、長く妄想するんですよねぇ」

 原田が半ば呆れ、半ば感心するような顔になって言った。

「妄想?」

 晴明が不思議そうな顔をした。それを見て蕗子は苦笑した。

「もう、原田君。変な事を言わないでよ。妄想なんて失礼な」

 物を作る前には必ずイマジネーションを働かせるんだと言うと、晴明は真面目な顔で頷いた。

「蕗子さんのおっしゃる通りです。全体のイメージを考えて、細部にまで思いを巡らせるのは、
どんなジャンルでも必要な事ですよ」

 真摯な眼差しをジッと注がれて、蕗子は何となく戸惑った。
 本来なら戸惑う事などない、依頼主との普通のやりとりな筈なのに。
 蕗子は思わず視線を外した。

「そうよ、原田君。何事も、まずは最初が肝心。全体像をしっかりと考えておかないと、後から色々としわ寄せがくるものよ」

 蕗子は原田に振った。

「それはそうだとは思いますけど、蕗子さんのは特に長いからイマジネーションが膨らみ過ぎてるんじゃないのかなぁ?ってね」

 負け惜しみのように言う原田に、測量士の三輪が口を挟んだ。

「それが逆に良い結果を生んでると思いますよ。蕗子さんの担当された物は、どれも秀逸だって僕はいつも思っています」

「あら、三輪さん……」

 いつも黙々と自らの仕事に打ち込んで、あまり喋らない三輪からの褒め言葉に蕗子は驚いた。
 四十を少し過ぎたベテランである。その人からの言葉は重みがある。

「僕もそう思います。イマジネーションは膨らみ過ぎるくらい膨らんだ方が良いんですよ。発想が豊かなほど、取捨選択の幅も広がりますからね。より良い物づくりには大事な事です。改めて、蕗子さんにお願いして良かったと思いますね」

「そんなに褒めないで下さい。照れるじゃないですか。それに、過剰に期待されないで下さい。プレッシャーになりますから」

 頬が微かに赤らんでいるのを感じた。
 晴明はそんな蕗子に柔らかな笑みを向けた。

「大丈夫です。プレッシャーなんて感じずに、あなたの感性でのんびり取り組んで下さい。それに、蘇芳とは姉妹な訳ですから、彼女の望むものも自然と理解して下さるものと思ってますし」

「それが一番問題かもしれません。だって、あの子、ワガママなんですもの」
「あはは。確かにそれは言えていますね」

 屈託ない晴明の笑顔に、一瞬だが胸の高鳴りを感じた。
 そんな自分を訝しく思う。

「では、これで失礼させて頂きます」

 蕗子は話しを打ちきって頭を下げた。
 原田と三輪もそれに習うようにお辞儀をした。

「もう帰られてしまうんですか?お茶でも飲んでいかれては?」

 残念そうな顔をしている。

「いえ、ご厚意は有難いんですが、まだこの後も仕事が押してるものですから」

 本当はお茶を頂くくらいの余裕はあるのだが、蕗子は気がすすまなかった。
 仕事が押していると言うのも嘘では無い。
 原田も三輪も、この後も其々に仕事が待っている。

「そうですか。では、またの機会に」

 晴明は、まだ名残惜しそうな顔をしていた。
 三人は改めて挨拶をして、駅へと向かった。

「今日は蘇芳さんがいなくて、残念でしたね」

 原田が本当に残念そうな声を出すので、顔を見ると顔の方もガッカリしている。

「まぁ、僕は今後も会える機会はあるかと思うけど、三輪さんは今日しか無いですもんね。三輪さん、損しましたよ~」
「どういう意味ですか?」

 三輪は不思議そうに原田と蕗子の顔を交互に見た。
 蕗子は口をへの字に曲げた。

「蕗子さんの妹さんですよ。蘇芳さん、すっごく綺麗な人なんですよ。ダンサーなんて勿体ない、女優さんにでもなった方が良さそうな、華やかな女性で、見たらウットリする事、間違い無しです」

「へぇ。そうなんですか。まぁ、蕗子さんの妹さんなら美人さんに間違いないんでしょうね。会っておいて損は無いでしょうけど、まぁ、別にそれくらいで残念なんて、少し大袈裟じゃないのかなぁ」

 のんびりした口調に、原田が唾を飛ばす程の勢いで言う。

「三輪さんは一度も会ったことが無いから、そんな呑気な事を言えるんですよ。男なら、必ずと言っていいくらい、ポォ~としちゃうような人なんですよ?」

「ははは……、そうですか。それじゃぁ、確かに残念かもしれませんね」

 三輪は変わらず呑気な口調だった。
 そんな三輪の反応が気に入らないのか、原田はブツブツと文句を言っている。

「だけど、あの人……、あ、阿部さんですけど、随分と名残惜しそうな様子でしたねぇ。そんなにお茶したかったのかな。蘇芳さんが留守がちで寂しいのかな……」

 原田がぽつりと口にした。
 その言葉を耳にして、矢張りすれ違いが多いのが良くないのかもしれないと、蕗子は蘇芳の話しを思い出したのだった。
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