第53話
文字数 2,028文字
二日後の事だった。
連休なので事務所の一般業務は休みだが、クライアントの都合で仕事になることが多い。この日もそうで、蕗子は保土ヶ谷区のA邸に訪れていた。
この日は朝から霧雨に近い、細かい雨が降っていた。連休だと言うのに生憎の天気だ。
晴明の方は大学祭で学生たちの展示のサポートをしに行っていた。
「こんな天気のせいか、寒いですねぇ」
施主の主人の方が外を見て呟くように言った。部屋には電気ストーブが点いている。古い日本家屋のせいか隙間風が入って来るようで、こういう日は底冷えがすると言う。
それに部屋の中が暗くなるので照明が点いていた。
新しい屋敷では、採光も断熱もしっかりして、尚且つ通気性の良い住みやすい家になるだろう。
日が暮れて来た頃、打合せを終えて帰り支度をし始めた。そんな時にカバンの中の携帯が鳴った。
慌てて取り出してディスプレイを見ると未登録の知らない番号だ。
(誰かしら?)
「ちょっと、失礼します」
席を立ち、離れた場所に移動してボタンを押した。
「はい……」
「あ、もしもし?小野です。晴明の友人の。蕗子さん?」
「あ、小野さん。蕗子ですけど、どうかしたんですか」
蕗子は電話の相手が慌てた様子である事に、胸騒ぎがした。
何かあったのか。
「蕗子さん、君は今どこにいる?」
「えっ?横浜の保土ヶ谷ですけど……」
「ああ……」
小野は消沈したような声を出した。
「どうかしたんですか?小野さん!」
「ああ、すまない。晴明が交通事故に遭ったんだ。重体なんだよ」
「ええっ?」
(交通事故……、重体?重体って、どういう事?)
ニュースでよく聞く言葉だが、身近で遭遇した事が無かったので『重体』と言うのがどういう状況を現しているのか、よく分からなかった。
「とにかく、今すぐ病院に来るんだ。……間に合えばいいが」
「え?間に合えばいいって、どういう事なんですか?」
「……出血が多くて危険な状況なんだ。とにかく急いで」
蕗子は呆然とした。病院の名を告げられて電話は切れた。
(どうしよう……。どうしよう、どうしよう)
頭が混乱する。
「どうかされたんですか?」
蕗子の様子に施主が声をかけて来た。
「あ、あの……、夫が事故に遭ったみたいで、重体だって……」
「なんですって?それならすぐに行かないと!」
呆然と震えている蕗子に、施主はタクシーを呼んでくれた。
施主が運転手に事情を話してくれたお陰で、運転手がより早く到着するように臨機応変にルート選択をしてくれたので、一時間ほどで病院に到着した。
だがその間も、気が気ではなく、胸の動悸が高くて息が詰まりそうだった。
到着してみると病院は休日で休みだった。救急の方へ行くように言われて、慌ててそこへ駆け込む。
蕗子の姿を見た小野と白川教授が、立ち上がった。
「あ、蕗子さんっ」
「小野さん、白川先生……」
二人の顔を交互に見る。
まだ落胆していないその顔を見て、取り敢えず間に合ったようだと思った。
「今、手術中なんだよ。予想よりも出血してるみたいで危険だって」
小野は電話で話していたのと同じ事を蕗子に言った。
「一体、……どういう事なんですか?どんな事故だったんですか」
蕗子は肩で息をしながら問う。
「蕗子さんが帰る前に帰宅しておきたいって、大学を出たんだ。で、大学の近くの交差点でね。見通しが良いくはないけど、特別悪い所でも無い。いつもは渡る人間が多いが、今日はこんな天気だし、寒いしで、人出が少なくてね。だからなのか、乗用車が信号が変わると同時に曲がって突っ込んで来たんだよ。晴明は、タイミングが悪かった。信号を渡ってる途中で点滅したから、急いで渡ろうとしたらしいんだけど、走りかけてコケたみたいなんだ。目撃者の証言なんだけどね。足を引きずってる感じで歩いてて、途中から走ろうとして失敗したみたいでコケていた、ってね。天候のせいで薄暗くて運転手はよく見えなかったらしい。曲がった目の前に晴明がいて、急いでブレーキを踏んだけど間に合わなかったって……。足を怪我していたせいなんだろうな。普段のあいつなら、こんな事にはならなかったと思う。ああ見えて、身のこなしは軽いし……」
(ああ……)
ショックだった。
足の怪我さえ無かったら……。
それは私のせいだ。
あの時、父に刺されるような事がなかったなら……。
蕗子はドロリとした鉛でも飲みこんだように、胸が重たくなるのを感じた。
「周辺に何人か目撃者がいて、すぐに救急車と警察に連絡してくれた。左足に外傷を負っていて、結構出血してる。それと内臓もやられてて、そこからも出血してるんだ。手術はその処置の為にしてる」
「ゆ、輸血は?」
「病院で用意したのだけでは足りなかったから、俺と教授がした。今のところは、足りてるみたいだけど……」
蕗子はくらっとして、近くにある椅子に倒れ込むようにして座った。
「蕗子さん!大丈夫か」
小野と白川教授が蕗子の肩に手をかけた。
蕗子は頷きながら、手で顔を覆った。
連休なので事務所の一般業務は休みだが、クライアントの都合で仕事になることが多い。この日もそうで、蕗子は保土ヶ谷区のA邸に訪れていた。
この日は朝から霧雨に近い、細かい雨が降っていた。連休だと言うのに生憎の天気だ。
晴明の方は大学祭で学生たちの展示のサポートをしに行っていた。
「こんな天気のせいか、寒いですねぇ」
施主の主人の方が外を見て呟くように言った。部屋には電気ストーブが点いている。古い日本家屋のせいか隙間風が入って来るようで、こういう日は底冷えがすると言う。
それに部屋の中が暗くなるので照明が点いていた。
新しい屋敷では、採光も断熱もしっかりして、尚且つ通気性の良い住みやすい家になるだろう。
日が暮れて来た頃、打合せを終えて帰り支度をし始めた。そんな時にカバンの中の携帯が鳴った。
慌てて取り出してディスプレイを見ると未登録の知らない番号だ。
(誰かしら?)
「ちょっと、失礼します」
席を立ち、離れた場所に移動してボタンを押した。
「はい……」
「あ、もしもし?小野です。晴明の友人の。蕗子さん?」
「あ、小野さん。蕗子ですけど、どうかしたんですか」
蕗子は電話の相手が慌てた様子である事に、胸騒ぎがした。
何かあったのか。
「蕗子さん、君は今どこにいる?」
「えっ?横浜の保土ヶ谷ですけど……」
「ああ……」
小野は消沈したような声を出した。
「どうかしたんですか?小野さん!」
「ああ、すまない。晴明が交通事故に遭ったんだ。重体なんだよ」
「ええっ?」
(交通事故……、重体?重体って、どういう事?)
ニュースでよく聞く言葉だが、身近で遭遇した事が無かったので『重体』と言うのがどういう状況を現しているのか、よく分からなかった。
「とにかく、今すぐ病院に来るんだ。……間に合えばいいが」
「え?間に合えばいいって、どういう事なんですか?」
「……出血が多くて危険な状況なんだ。とにかく急いで」
蕗子は呆然とした。病院の名を告げられて電話は切れた。
(どうしよう……。どうしよう、どうしよう)
頭が混乱する。
「どうかされたんですか?」
蕗子の様子に施主が声をかけて来た。
「あ、あの……、夫が事故に遭ったみたいで、重体だって……」
「なんですって?それならすぐに行かないと!」
呆然と震えている蕗子に、施主はタクシーを呼んでくれた。
施主が運転手に事情を話してくれたお陰で、運転手がより早く到着するように臨機応変にルート選択をしてくれたので、一時間ほどで病院に到着した。
だがその間も、気が気ではなく、胸の動悸が高くて息が詰まりそうだった。
到着してみると病院は休日で休みだった。救急の方へ行くように言われて、慌ててそこへ駆け込む。
蕗子の姿を見た小野と白川教授が、立ち上がった。
「あ、蕗子さんっ」
「小野さん、白川先生……」
二人の顔を交互に見る。
まだ落胆していないその顔を見て、取り敢えず間に合ったようだと思った。
「今、手術中なんだよ。予想よりも出血してるみたいで危険だって」
小野は電話で話していたのと同じ事を蕗子に言った。
「一体、……どういう事なんですか?どんな事故だったんですか」
蕗子は肩で息をしながら問う。
「蕗子さんが帰る前に帰宅しておきたいって、大学を出たんだ。で、大学の近くの交差点でね。見通しが良いくはないけど、特別悪い所でも無い。いつもは渡る人間が多いが、今日はこんな天気だし、寒いしで、人出が少なくてね。だからなのか、乗用車が信号が変わると同時に曲がって突っ込んで来たんだよ。晴明は、タイミングが悪かった。信号を渡ってる途中で点滅したから、急いで渡ろうとしたらしいんだけど、走りかけてコケたみたいなんだ。目撃者の証言なんだけどね。足を引きずってる感じで歩いてて、途中から走ろうとして失敗したみたいでコケていた、ってね。天候のせいで薄暗くて運転手はよく見えなかったらしい。曲がった目の前に晴明がいて、急いでブレーキを踏んだけど間に合わなかったって……。足を怪我していたせいなんだろうな。普段のあいつなら、こんな事にはならなかったと思う。ああ見えて、身のこなしは軽いし……」
(ああ……)
ショックだった。
足の怪我さえ無かったら……。
それは私のせいだ。
あの時、父に刺されるような事がなかったなら……。
蕗子はドロリとした鉛でも飲みこんだように、胸が重たくなるのを感じた。
「周辺に何人か目撃者がいて、すぐに救急車と警察に連絡してくれた。左足に外傷を負っていて、結構出血してる。それと内臓もやられてて、そこからも出血してるんだ。手術はその処置の為にしてる」
「ゆ、輸血は?」
「病院で用意したのだけでは足りなかったから、俺と教授がした。今のところは、足りてるみたいだけど……」
蕗子はくらっとして、近くにある椅子に倒れ込むようにして座った。
「蕗子さん!大丈夫か」
小野と白川教授が蕗子の肩に手をかけた。
蕗子は頷きながら、手で顔を覆った。