第26話

文字数 3,616文字

「行人と離婚したから、あいつは阿部姓になった。母親の籍に移ったんだ。行人は、すぐに愛人と籍を入れて一年後に娘が生まれた。だが行人ってヤツは、本当にどうしようもないんだな。それから十年後、妻子を捨てて舞妓と心中したんだよ。なんだ、ちょっと太宰みたいだな。だけど、そういう所、あいつと似て無いか?他に好きな女ができたからと、簡単に妻を捨てる所がさ」

 下品な笑みを浮かべている父に腹が立った。

「お父さんは、そんな事を言いたくて来たの?」
「いいや、違う」

 笑いを納めて、急に真剣な顔つきになった。

「そんな事でお前が気持ちを改めてくれるなら、それに越した事は無いと思って言っただけだ。本題はこれからだ」

 これ以上、まだ何かあるのか。

「いいか。これから先が恐ろしい話しなんだよ。行人が再婚した元愛人とその娘だが。行人が亡くなって五年後に、母親の方が再婚したんだ。それで苗字が変わった。向坂って苗字だったか。子連れの再婚だ。娘の方は美大に進学して陶芸の道に進んだ。これも親の血ってわけかな。で、この娘とあいつが出逢ってな。恋に落ちたんだよ」

「えっ?」
 この娘と恋に落ちた……。だから?

「なんか、よく分からない。どういう事?」
 問わずにいられない。

「そうだな。分からないよな。俺だって分からない。分かりたくも無い。なんでも娘が陶芸の個展を開き、それを見に来た晴明と偶然出会い、互いに異母兄妹とも知らずに、恋に落ちたんだそうだ。出逢ってひと目で恋に落ちたって点は、お前たちと同じじゃないのか」

 異母兄妹と知らずに恋に落ちた。

 不幸な事だと蕗子は思った。
 だが、何かが引っ掛かる。

 確か、妻がいたと言っていた。入籍はしてなかった妻が。
 そして交通事故で死んだと。その妻って言うのはまさか……。

「運命のいたずらって言うんだろうな、こういうのを。まぁ、当然ながら結婚しようって事になったようだが、その時点になって娘の母親が気がついた。反対したが娘は聞かない。仕方が無く、阿部の叔母に掛けあった。阿部の母親は既に亡くなっていたようだ。そうして、二人は双方の親や親戚から猛反対を受けたが、そうされればされる程、燃え上がるのが恋ってもんだよなぁ。だから、双方とも、止むを得ずに真実を告げたんだ。当人たちに」

「それで……?」
 蕗子は自分が震えている事に気付いた。

「呆れるのはその後さ。兄妹だったんだ。腹違いとは言え。どんなに愛し合っていても、そうと知ったら別れるものだろう。泣く泣くであっても。可哀想だが仕方が無い。それなのにだ。二人はな。別れ無かったんだ。駆け落ちした」

「駆け落ち……」

 そうか。別れ無かったのか。
 晴明らしいと思えなくもない。

「お前、分かってるのか?二人は兄妹なんだぞ?それなのに、そうと知りながら駈け落ちし、夫婦同然に暮らしてたんだ。蓼科でな」

 蕗子は伏せていた顔を上げて、広志を見た。
 広志は嫌悪の表情を浮かべている。

「それで、亡くなったのね。彼女は」
 蕗子の言葉に広志は目を見張った。

「知ってたのか?」
 蕗子は頭を振る。

「入籍こそしてなかったけど、妻がいたって。そして交通事故で亡くなったんだって事は聞いたけど、それだけ」

「そうか。それでも、それだけでもお前には話したんだな、彼女の存在を。蘇芳はそれすら知らなかったぞ」

 今思えば、それも理解できる気がした。
 蘇芳は今とこれからの事しか考えない。自分の思いをぶつけるだけで、相手の思いは汲もうとしない。

 最初から愛してはいなかったのだから、話すのも無用だと思ったに違いない。
 それに、忘れたかったと言っていた。

「何故お前には話したんだろうな。何か意図でもあったのか。いずれにせよ、あまりにもモラルに欠けている。父親の比じゃないだろう。血を分けた兄妹と分かりながら、乳繰り合うなんて畜生以下だ。ケダモノだ」

「ケダモノ?」
「ああ。人間のやる事じゃない。近親相姦なんだぞっ」

 広志の目が異様だった。まるでアブノーマルである事を喜んでいるような興奮の様が伺える。蕗子はそんな父親の方こそ、余程おぞましいと感じた。

「蘇芳はショックを受けていたよ。当たり前だ。あんなケダモノと、……やってたんだからな」

 そう言って、蕗子を刺すような目で見た。
 蕗子は胡乱げに見返した。

「なんだ、その目は。その目で見るのは俺じゃないだろう、阿部だ。過去を隠して、更に姉妹の双方を弄んで、家族を引き裂いた。まさに疫病神だ。死んだ娘だって、あいつと駈け落ちして蓼科なんかへ行かなければ、死なずに済んだかもしれないんだ。その時は辛くても、いずれ立ち直って別の男と幸せになっていたかもしれない。それを強引に駈け落ちさせたんだろうよ、あいつが。お前にしたのと同じように」

 強引に……。その言葉が胸を刺す。強引と言えば強引だ。

 君と一緒になれないくらいなら、死んだ方がマシだと言っていたのを思い出した。
 そうまで得たかったのか。彼女の事も。
 情熱的とも言えるし、悪く言えば自己中と言えるかもしれない。

「これで分かっただろう、あいつがどんな男なのか。非常識で独善的で思いこんだら突っ走る。モラルも周囲の目も、相手の気持ちもお構いなしだ。そうして、心変わりをすれば簡単に掌を翻して冷淡になる。だから、いずれお前も同じような目に遭うに違いない。それに何より、近親相姦を平気でするような男を愛せるのか?俺は嫌だ。絶対に認めない。悪い事は言わないから、すぐに別れるんだ」

「そんな事……、突然言われても」

「何を言ってるんだ。考えなくても分かる事だろう。大体、おぞましいと思わないのか。身の毛がよだつだろう。血を分けた妹と平気で交わってたんだぞっ」

 蕗子は両耳を塞いだ。

「そんなに強調して言わないで」

「お前は現実から目を背けるつもりか?あいつと続けていても不幸になるだけだ。幸い今あいつは蓼科だろう。戻って来ないうちに、ここを引き払って家へ戻るんだ」

「えっ?」
 思いもしなかった事を言われて、蕗子は問い返した。

「ここを引き払う?」

「そうだ。当たり前だろう。蘇芳と離婚した途端、頻繁にここで逢い引きしてるそうじゃないか。同棲してないだけマシだが、全く呆れたもんだ。お前がこんなに身持ちの悪い女だとは思って無かった。ガッカリしたよ」

 吐き捨てるように言う広志に、ガッカリしたのはこっちの方だと言いたかったが、蕗子は口を噤んだ。

「そう言えば、ここを借りるのに財前さんが保証人になってるそうだな。財前さんも、つい最近離婚したそうじゃないか。それも、お前が関わってるという話を聞いたが、全くお前ってやつは。独身男より、既婚者が好きなのか。それとも、既婚男好きするタイプなのか。我が娘ながら呆れるばかりだ」

 もう我慢できなかった。

「いい加減にしてっ!所長には感謝こそすれ、中傷するなんてとんでもない事よ。一体私の何が気に入らないのか知らないけれど、幾ら娘だからって言っていい事と悪い事があると思う。散々人を愚弄しておいて、戻ってこいなんてとんでもない話しだわ。私は家へは二度と戻りません。
その覚悟で家を出たんだから。晴明さんとの事をどうするかは私の問題。もう三十なんだから、親に口出しされる年じゃない」

 言っているうちに口調が激しくなってくるのを感じたが、何とかこれ以上激さないよう我慢した。感情的になり過ぎても得はしない。

「本当にお前にはガッカリだ。親がこれだけ心配してると言うのに。あんなケダモノが、そんなにいいのか。今回の調査結果のコピーをな。蓼科のあいつの所へ送ったからな。自分の所業を暴露されて、驚いてる事だろうな。もしかしたら、自分から身を引くかもしれない。そうしてくれと祈るばかりだ」

 広志はそう言って立ち上がると、軽蔑したような目で部屋を見まわした後に出ていった。
 蕗子は大急ぎで玄関へ行って、鍵をわざと音を立てて締めた。
 そしてその場に座り込み、泣いた。

(どうして?なぜ?)

 理不尽な、やり場のない怒りと悲しみが湧いて来て、涙が込み上げてくるのを止められない。
 晴明の過去、そして父の姿。どちらもショックだ。

 蘇芳贔屓ではあっても、ずっと父親として尊敬していた。
 バリバリと働く有能な社会人として、そして家族を守る父親として、尊敬していたのに。
 人としての品格を失くしてしまったとしか思えない。

 そして晴明。こちらはただ混乱するばかりだ。
 異母兄妹……。近親相姦……。

 そうと知らなかったうちはともかく、知っても尚、愛し合う事をやめられなかった二人。
 それほど深く愛し合っていたんだろう。それなのに、彼女は死んでしまった。

 彼の悲しみはいかばかりか。
 もう二度と、誰とも愛し合えないと思ったのも頷ける。

――でも、君と出逢ってしまった……。

 私は本当に愛されているのだろうか?そして私自身は?

 ただ悲しくて、ひたすらに泣き続ける蕗子だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み