9-3

文字数 1,442文字

丘と林を越え、その小さな村に着くまでに空は雲で覆われて、雨が降り始めました。

テスには雨を()けられるところに急ごうという気さえ起きませんでした。

すぐにずぶ濡れになり、水は服の表面から中へ浸透していき、体を冷やしました。

そのうちに、村の外れの池にたどり着きました。

池と村は言葉つかいが立てた石碑と結界で守られています。

雨で波打つ池の(ほとり)に膝をつき、水を飲むと。

畔に立つ痩せた木の陰から人が出てきました。
水瓶を手にした、若い娘でした。
………………。
………………。

雨が()むのを待っていたのでしょうか。

テスが立ち上がると、娘は何か話しかけてこようとしました。テスは目をそらして立ち上がりました。
娘に背を向けるとき、テスの目に天を黒く覆う化生(けしょう)の群れが映りました。

城壁に囲まれた街へと下りていきます。

あそこ……人がいるのでしょうか。

餌になるものがなければ、化生は留まりませんから……。

とても答える気になれません。

娘を見ようという気も起きません。

テスは立ち去ろうとしました。

待って。
娘が木陰から出てきて、後ろからテスの肩に触れました。
私たちの村で休んでいってください。
テスは黙って首を振ります。
では、せめて化生が去るまで……。
歩き続けますが、娘はついて来ます。
ずぶ濡れではありませんか。服がこんなに水を吸って……。
…………。
せめて、火に当たっていかれませんか? 村の集会所が使えますし、事情は何も聞きませんから。
娘はさらに、テスの左の二の腕に触れました。
お願いです。どうか……。
それで、テスは足を止めました。
娘の優しさが本物なのか、確かめてみたくなったのです。

娘はサラと名乗りました。

見た目にも純朴な娘で、サラは池を迂回して言葉通りにテスを村へと導きました。

野外に人はいませんでしたが、畜舎からは物音や(せき)の音がして、覗き込めば、不信に満ちた暗い目に出会うことができました。

それらの目は、この世界の多くの人々がしている目でした。

雨と嫌悪の視線を浴びながら、村の集会所にたどり着きました。

およそ働き口などなさそうな小さな村です。

その中央に位置する、漆喰で作られた円柱の建物が集会所です。

明かりはありません。

中は一間(ひとま)だけで、その円形の部屋の中央にあるストーブにサラが火を入れました。

排気用の管がストーブから天井に伸びています。

サラは部屋の隅からスコップで石炭を運んできて、ストーブに投じ、それから椅子を一脚持ってきて、丁寧に右手で示しました。

どうぞ、掛けてください。
テスは濡れたマントやストールを脱ぎもせず、力なく椅子に掛けました。

…………。

(街にいた人々はどうなっただろう?)

(死んだのだろうか?)

何人かは生き残るかもしれません。

でも何人かは死にます。

化生によって死ぬのではなく、テスによって死ぬのです。

テスを追ってここに来たのですから。

そしてテスが、危機を知らせることをせず、一人で逃げたのですから。

それでも、生き残った者たちが追跡を続ける可能性を考えると、ここにも長くは留まれません。

サラが手を伸ばして、テスのストールを外そうとしました。

テスは首を横に振りました。

髪から雨の(しずく)が垂れ落ちます。

サラの手が動きを止めました。

テスが目を上げてサラの視線の先を辿ると、テスの両手首に止血のために巻かれた、血で濡れた布を見ていました。

サラが恐れを込めて尋ねます。

どこから逃げてきたの……?
テスは答えず、ただ、サラの目をじっと見つめました。
―つづく―
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