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文字数 3,712文字
この世界は壊れています。
人間を見ればわかります。
テスが安ホテルの食堂に行くと、客の一人がラジオのスイッチを入れました。
食堂に管弦楽団が奏でる室内音楽が広がります。
ダイヤルを回す太い指を、テスは見守ります。
目当ての番組がなかったらしく、男はいらいらしながらテーブルに戻っていきました。
クェテは家族を大事にしなさすぎなのよ。
それに、クェテ……家のガレージで火炎瓶を作って、誰でも触れるような状態で放置したり、みんなでそれを投げたりすることが……私には、お父さんのお見舞いに行ったり、お母さんのお誕生日を祝うことより大切だとは思えないのよ。
それに、私が入れ込んでた頃の党と今の党は違うわ。
ニサはズボンのポケットを探り、折り畳まれた布を取り出すと、開き、テーブルに叩きつけました。
それは両目と口の周りが白く縁取られた覆面で、青空みたいにきれいな水色でした。
ニサは再びクェテとしっかり目を合わせ、言い放ちました。
それから一気にまくし立てました。
――とにかく、今回の仕事はちゃんとやってくれ。わかってるな。ヒヤシンス通りの公会堂だ。
早く食えよ! 党集会に間に合わなくなったらどうするんだよ!
ああ、まったく、お前はほんとにお気楽だよな。別にお前は自分の好きにすればいいけど、俺の顔に泥を塗るような真似だけはするなよ。大体お前は昔から――
ニサもまた、目の光を消して諦めきった顔をしました。
兄妹は喧嘩を続けました。喧嘩と言っても、クェテが一方的にニサの欠点をあげつらい、それをニサが死んだ目でただ聞くだけのものです。
テスは食事を終えて立ち上がりました。
クェテの後ろを通るとき、彼のズボンの尻ポケットにも同じ覆面が入っていることに気がつきました。
テスは、クェテが座る椅子の座面と背もたれの間からそれを
身支度を整え、安ホテルを出ます。
雑踏の声と音が、テスに降り注ぎます。
小さい子供が舗道に座り込み、泣いています。
シュークリーム、シュークリーム!
ママ、シュークリームぅ!
子供は泣き続けました。
母親は抱っこどころか手を引いてやろうともせず、どうにでもなれとばかりに子供を置いて歩き始めました。
子供は慌てて立ち上がり、泣き喚きながら追っていきました。
ふん、わかったら二度と友達と旅行に行きたいなんて言うなよ! 大体誰だ、そんな非常識な――。
誘ってきた友達の名前を言ってみろ、俺が縁を切っておいてやる!
お前のために言ってやってるんだろうが!
それとも言えないような相手か! えっ!?
まさか浮気じゃないだろうな!!
その家の通りを挟んだ向かいはちょっとした公園で、そこでは六、七歳の子供たちが花壇の隅に集まっており、一人の子供を座らせて、襟もとから服の中に花壇の土や、ミミズの類を入れて泣かせていました。
自転車に乗った男が公園の中を横切ろうとし、子供たちに声をかけました。
すると、いじめられていた子供が立ち上がり、縋るように両手を広げて自転車に乗った教師に駆け寄ろうとしました。他の子供たちがそれを捕まえて、後ろに投げ飛ばしました。
教師は笑いながら自転車を漕ぎだしました。
公園を過ぎると、路上にクレープ売りの屋台が出ていました。
若い男の店員が一人おり、一見身なりのいい老人が屋台の店員に話しかけました。
突然のクレーマーの出現に、若い店員は固まっています。
老人は屋台をがんがん蹴り始めました。
何で自分が売っとるものの商品知識をちゃんとしておかんのだ!
お客様に何かわからんものを食わせとるのか、この店は! えっ!?
お前じゃ話にならん! 責任者を呼べ!! 呼んで来い!!!
さらに歩くと、鈴の音を鳴らして、高級感のあるホテルのレストランのドアが開きました。
男の子と、男の人が出てきます。
この世界は壊れています。
人間を見ればわかります――。
青空だけは忘れたくない。
テスは願います。
テスは祈ります。
――青空だけは奪わないでほしい。
――運命に慈悲があるのなら、どうか……。