5-2

文字数 3,139文字

話に聞いたヒヤシンス通りの公会堂は、三十分も歩けば見つかりました。

蓮が浮く池の前にある、石造りの建物で、出入り口を覆面の男たちが固めていました。

テスは公会堂の側面に回り込み、クェテのズボンから掏った覆面をかぶりました。

肩まで伸ばした後ろ髪はストールの中に押し込んで隠し、大気をまとい、壁を三角に蹴って公会堂の窓のひさしに飛び乗ります。

窓を割って鍵を開け、中に滑り込みました。

(倉庫か……)

その部屋は埃っぽく、暗く、彫像や季節ものの装飾品が雑然としまわれていました。

内鍵を開けて外に出ると、そこにも不変の角度で西日が差しており、やはり埃っぽいことから、普段はあまり使われていないことがわかります。

階段から見下ろすと、覆面をした何人かの人々が、シャンデリアの下がるエントランスに集っていました。

石の手すりにもたれかかって何かを囁き交わしていた二人組が、テスの気配に気付いて階段を見上げました。

覆面をしたテスが堂堂と下りていくと、その態度から仲間だと思ったのでしょう。テスは誰にも呼び止められませんでした。

覆面の人々を追って、ある一室に入ると、そこは天井の高い、彩色されたガラス窓で彩られたレストランでした。

中央のテーブルに人々が神妙な面持ちで集まっています。

テスはその群れに加わって、椅子に座りました。

……で、結局今日は何だって言うんだ?
水色の覆面をした男たちが、テスの周囲で囁きかわします。
さぁな。それについては俺も知らないよ。緊急の話としか聞いてないぜ。
お前も電話で起こされた口かよ。
だから最初にそう言っただろ? 聞いてなかったのかよ。
それから五分と経たずして、二つを残して全ての椅子が埋まりました。

太陽のバッジを胸につけた男が入ってきて、場が静まりました。

もちろん、その男も覆面をしています。

彼は一番上座の椅子につきました。

これで空席は残り一つです。

全員揃っていないようだが、定刻なので始める。
太陽のバッジの男が言いました。

突然の召集で驚いているだろうし、本当は今日用事や仕事がある者もいるだろう。

手短に終わらせよう。だが大事な知らせだ。

昨日、死者の町にて、処刑執行部役員の同志ネサルが亡くなった。
生じかけたざわめきを鎮めるように、上座の男の近くに座る別の男がなめらかな口調で尋ねました。
同志よ、それは言葉つかいの仕業ですかな?
そうだ。

大きなざわめきと興奮した吐息が、食事のないテーブルを温めます。

テスは交わされる言葉の内容よりも、声そのものに意識を集中しました。

男が多いが、女もいます。

子供の声まで聞こえます。

一人、思春期を迎える頃の女の子がいました。

左右に座るのは、彼女の両親なのでしょう。

差別主義者の両親を持つ、純粋培養の差別主義者……。

ざわめきはたっぷり一分続きましたが、代表者の沈黙に気がつくと、一人、また一人と黙っていき、何かを自粛するように静まり返りました。
生前の彼女の手記によれば、その言葉つかいは『治癒と再生者の協会』、つまり言葉つかいの協会に属していない。
野良(のら)の言葉つかいか……。

同志ネサルは海路で一人の言葉つかいを抹消している。

はじめ、その報復かと思われたが、どうやら違うらしい。

彼女が亡くなった死者の町の同志によれば、この町の支部から派遣されて現在調査に入っている協会員たちは、海路での件については別の言葉つかいが絡んでいると考えているようだな。

痕跡を残さずに一人の男を消そうとなると、言葉つかいの力を用いるか海に投げ込むしかない。

だがここにいるみんなが知っている通り、ネサルは女性だ

しかも、かなり痩せている……。
テスの斜め向かいの若い男が呟きました。
つまりあの女、野良の言葉つかいの手柄を横取りしたってわけか。
口を慎め。我々は同志ネサルの報復をすべく野良の言葉つかいを狩らなければならない。だが、言葉つかいの協会も、そいつを追うはずだ。
ネサルの手記に、その者の正体は書き残されているのですかな?
ネサルによれば、そいつはテスと言うらしい。
テス、テス、と囁きが飛び交う中、代表者は手にした書面に顔を向けました。

だがこれは電話で聞き取った内容だ。

死者の町から派遣されてきてた同志クェテとニサが、手記と人相書きを持って来てくれている。

この中にいるはずだが……。

再びの沈黙。

それを破ったのは、ドアのノックでした。女性の党員が入ってきて、覆面で覆われた顔を代表者の耳に寄せました。

彼女が何かを囁くと、代表者は目に見えて動揺しました。

台本通りではない事態が起きたようです。

緊張した様子で小声でやりとりし、女性が出ていくと、しばらくじっとうなだれてから、テーブルを見回し、口を開きました。

落ち着いて聞いてほしい。みんな、これは悪い知らせというか、何というか、驚かないでほしいのだが……。

まず、死者の町からきた同志の一人が覆面を紛失した。

ほう……ですが、そこまで動揺するほどのことですかな?

続きを聞け。

死者の町から来た同志は今話した通り二人。ニサとクェテだ。面識ある者もいるだろう。覆面をなくしたのはクェテで、今ニサと一緒にホテルにいる。ここにはいない

俺たちは、あの兄妹の分も合わせて、人数分の椅子を用意した……。

……つまり、今空いている椅子は、二つでなければならんわけだ。

だが一つしか空いていない

混乱が生じる前に、代表者は立ち上がり、覆面を脱ぎ捨てました。
全員、覆面を取れ。端から一人ずつだ。

代表者とテスの間には、十人ばかり人がいました。

その人々が特に慌てる様子もなく、次々覆面を脱いでいきます。

テスの番が来ました。

テスは動じることなく覆面を脱ぎました。

左隣の男も、続けて覆面を脱ぎます。
更に隣の男が覆面に手をかけたところで、代表者が声をあげました。

ちょっと待て。誰だお前。

代表者はじっとテスを注視しています。

テスは変わらず堂々と答えました。

マリス。クェテの従兄弟です、同志。

一緒に来ていたのですが、クェテが困ったことになったので代理出席いたしました。

そんな話は聞いていないぞ。

受付では話したのですが……。

直接お話を通すべきかと思ったのですが、時間がありませんでした、同志。申し訳ございません。

代表者はテスを見つめるのをやめ、書面に目を落としました。

色ガラスの窓から差す暗い光の中でも、男の指に力が入っているせいで書面に皺が寄っているのが見て取れます。

……同志ネサルの手記によれば、(くだん)の野良の言葉つかいは二十代前半から半ばの男性、緑の長い髪をしている……。
偶然です。クェテとニサに聞けばわかります。
と、再びノックの音がして、先ほどの女性が入ってきました。もう一人、別の女性が一緒にいました。

ニサです。

覆面をしていても、来ている服でわかります。

いよいよテスの心臓が早鐘を打ち始めました。

ニサは大判の封筒を代表者に渡し、空いている席に座ろうとしました。

が、もう一人の女性に耳打ちされ、驚いた身振りをしたものの、黙って一緒に出ていきました。

ネサルの手記の実物と人相書きだ。

代表者は封筒から一枚の紙を取り出しました。

テスは幸運を願いました。
たとえばネサルの絵が下手で、彼女の作った人相書きがテス本人とは似ても似つかぬものであれ、というような。

代表者は目をしばたたきながら、五度ほどテスと人相書きを見比べて――

ふぅむ……。
存外落ち着いた様子で、紙をテーブルに伏せます。
そして息を吸い込みました。
その男を捕まえろ!!!

全員が浮足立つ中で、テスは椅子を後ろに倒して立ち上がり、高く飛び上がりました。

両腕で首と頭を庇い、大気を蹴ってガラス窓に肩から激突します。

こもったレストランの空気から、町の、沈鬱だけど流れのある、新鮮な空気へと飛び出していきました。

―つづく―
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色