6-3

文字数 2,015文字

キシャ、キシャ。

テスは呼びかけながらも、形喰(かたく)いから目をそらしません。

機関車と、広大な影のような形喰いとの距離は、その間にも縮まり続けています。

くだらんことは聞くなよ?
キシャ。どうしておまえは化生(けしょう)や他の言葉つかいがいる所にだけ姿を見せるんだ?
まずため息が応じました。
おまえにとって大事なのは……。

ため息に続くキシャの言葉と話しかたには、はぐらかすような気配があります。

テスは急にやるせない怒りと悲しみを感じました。

……今、おまえが無意識のうちに、化生と言葉つかいを同列の存在と見做(みな)したことじゃないか?
……!!

テスは銃を抜きます。

抜きながら身震いし、首を大きく左右に振りました。

……俺は化け物なんかじゃない。
銃を抜いてどうする? 撃っても無駄だぞ。銃弾だろうがなんだろうが、あれは実体あるものは何でも喰う。

形喰いは視界の限り黒く広がりながら押し寄せ、銃の射程範囲内に入りました。

テスの正面、つまり線路上、結界に守られていた直線上だけは進みが遅いことにテスは気付いていました。

結界も、全くの無力ではなく、進行を遅らせるだけの力はあるようです。

その不定系の黒い体の、線路に沿って突出した両側面が不意に持ち上がりました。

波濤(はとう)のように見えますが、不可視の結界に沿って伸び上がり、今度は狭い門のようになりました。

狭い門の両側の上端が、互いに反対側の上端を求めてじわじわとアーチ状に伸び、ついぞくっつきます。

(形喰いには実体がない……。

だから、実体を求めて実体を喰う。

色彩を持たない彩喰(あやく)いが、色彩を喰うように……)

結界の高さの上限で、黒い影は突如、二つの大きな牙の実体を見せました。

海獣の牙のようです。

象牙色の輝きを得て夕日を照り返します。

進路上の客車を嚙み砕かんと、牙が大きく反ります。

テスはその牙へと射撃を開始しました。

向かって左側にあるほうの牙に、弾丸が吸い込まれていきます。

一発、

三発、

五発、

七発、

九発、

十発。

十一発、

十五発、

二十発。

二十発撃って、射撃によって空中で動きを止めていた一対の牙は、ついにその左側を失いました。

砕けて影の中に落ちていきます。

あれとて所詮は化生だ。頭は良くない。

せっかく実体がないのが強みなのに、実体によって喰うことにこだわる。

コンプレックスだよ。

実体だけあり自我がない彩喰いが、記憶を喰って自我を得ようとするのと同じだ。

あれは、どうしても、実体が欲しいんだ。

ところでおまえは怖くないのか?

怖くはない。
射撃を続けます。右側の牙も砕け落ち、影へと還っていきます。

おまえは何故戦う? 何故他の乗客と一緒に列車の中で震えて過ごそうと思わない?

あれに勝てると思うのか?

おまえはまるで、死に場所を探しているみたいじゃないか。

機関車の加速に伴い、煙突から噴きあがる煙の量が、突然倍になったようです。

煙の臭いを一層強くテスは感じた。

俺が怖いのは――
影が細く分かれて立ち上り、棘を持つ(いばら)となります。

キシャ、俺は何でも、何もかもすっかり忘れたわけじゃない。

俺が恐れるのは、キシャ――

二本の半月刀を抜きます。
警笛が響きます。

あてもなく旅を続けなければならないことが怖いんだ!

いつか記憶を全部失って、廃人のようになって、右も左もわからずに荒野をさまよって、

もう何もできずに――

半月刀を、柄頭(つかがしら)の連結器で組み合わせ、実体化した茨へと投げ放ちます。

大気の力を付与(ふよ)されたブーメランは、物に当たっても失速したり落ちたりすることなく、茨の壁を切り裂いて、移動し続ける客車の上のテスの手許(てもと)に戻ってきました。

じゃあ……キシャ……俺は、この夕闇の国で何をすればいい?

何を求めればいい? 何に求められたと思えばいい?

この壊れていく世界で何と戦えばいい? どうすれば滅びを止められる?

形喰いは、次なる実体を見せ始めていました。

遠く、山々を背景に、地平線から広大な麦畑が押し寄せてきました。

豊かに穂をつけ、頭を垂れる麦が、破壊された結界の痕を覆い尽くしていきます。

広がる麦畑を、影から立ち上る背の低い柵が食い止めます。

次に林が生じ、柵と麦畑を視界から遮ります。

形喰いが手に入れた実体。形喰いに喰われた村が、テスの目の前で再現されていきます。

三角屋根を持つ家。

畜舎。

長い煙突を持つ紡績工場。

家。

家。

家。

教会堂。

併設の施療院。

そして家。

家。

家。

牛乳配達員の自転車。

往来を気ままに歩く鶏。

再現された村の手前を先行する不定形の影、形喰いの黒い体が、ついぞ列車に追いつき併走を始めました。
テスの右隣に、大きな水車を持つ製粉所が現れました。

恐怖の悲鳴が聞こえました。

足許(あしもと)、客車にいる人々の悲鳴かもしれず、かつて形喰いに喰われた人々の最期の声の残響かもしれません。

それはレールの上を疾走する機関車の音、その警笛にかき消されながら、微かに、確かに聞こえました。

―つづく―
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