9-7
文字数 1,843文字
崖に沿って海に下りる細い道がありました。
石が転がる下り坂に、テスは姿を隠します。
サラの視界に入るところで戦いを始めたら、サラが駆けつけてくる恐れがあります。
――ついさっき、自分はジュンハに殺されるべきだったのかもしれない、と思ったばかりなのに?
坂道の右側は切り立つ崖で、左は石の転がる斜面でした。もうサラに見られることはありません。
振り向いたテスは、坂の上に立つジュンハ、その手の銃、そして銃口を見ました。
振り向いたテスは、坂の上に立つジュンハ、その手の銃、そして銃口を見ました。
ジュンハの銃から灰色の塊が撃ち出され、それが大きな布のように広がります。
テスは何も持たない左手を、大きく半円に振りました。
風が起き、頭上に広がる灰色のものを払いのけます。
それは
網目の向こうに、崖の上からテスを見下ろすジュンハの姿が見えました。
二発目が撃ち出され、テスは石の転がる斜面に身を投げます。
尖った石の上を転がり、下の荒磯 にほとんど叩きつけられるように滑落を終わります。
石で切れ、顔からも手からも血が滲み出ています。
テスは膝立ちになります。
ジュンハの姿は見えませんが、上から声が降ってきます。
坂の上に、赤すぎる空の光を照り返すジュンハの髪が見えました。
言っても、テスの声は届きません。心の中で答えます。
――偶然、運悪く、俺の近くにいたからだ。
と。
身を寄せる岩陰の上を、いくつもの短剣が覆います。
テスが風を起こすと、呼応するように短剣が言葉になりました。
俺の妻は、
言葉つかいの奴らに家をつぶされて、
その下敷きになった。
文字通り身を刺す言葉。
あとに俺とサイアが残った。
風で吹き散らそうとするけれど、あの銃には言葉の力を
テスは岩陰から飛び出します。
男親に女の子は育てられないと言われた。
子供のいない姉夫婦にサイアを差し出せと言われた。親切
追い立てられて飛び出したテスに、今度は崖の上から火球が迫ります。
それを構成する言葉と共に。
悲しみの感情と共に。
……そうしたほうがよかったのかもしれない。
次の岩陰へ。
子供らしいことは何もさせてやれなかった。
俺は妻の復讐、復讐、それしか考えてなかった。
新しい友達ができた町も、俺の都合で引っ越した。
学校にもろくろく行かせてやれなかった。
いつも一人にさせて。
しっかりした子だと、賢い子だと思って、
そう思うことで俺はむしろあの子に甘えてたんだ。
悲しみが、悲しみの言葉が、磯の岩を削ります。
俺はあの子をいつも一人にして。
一人。一人。一人。一人。
俺は。俺は。
どうしてあのとき――
テスは腰の後ろの銃を抜きます。
前転し。
岩陰から飛び出し。
どうしてあのときサイアを一人でトイレに行かせたんだ!!!
石の斜面の上に、ジュンハの姿がちらりと見えました。
テスは銃を向け……
引き鉄 にかけた指が凍ります。
……サイア。
大気が揺らぐのが見えて、テスは咄嗟に伏せました。
俺が殺したんだ。
熱の塊が海に吸い込まれ、消えました。
音もなく。
自分のことしか考えてなかった。
あの子のことを見ちゃいなかった。
その生きかたであの子を死なせたんだ。
サイアは俺が殺したんだ。
俺が殺した、殺した、殺した、殺した……
視線を前に向けます。
石の転がる磯は、行く先で切り立つ崖に塞がれています。
逃げ場はありません。
短剣も火球も消え、ジュンハの攻撃に隙ができました。
テスは顔を上げます。
坂の上に、夕日に赤く塗りつぶされたジュンハの姿が見えます。
表情はわかりません。
殺意はわかります。
殺意のままに、ジュンハが銃をテスに向けるのが見えます。
裂かれた心が同時に矛盾することを思います、強く。
心と心がぶつかり合い、
火花を散らし、
その衝撃で思考を止め、
頭が白くなる、その瞬間。
体が動きます。
記憶を失う前に、訓練された通りに。
銃声。
自分がそれをしたのだとわかるのは、坂の上でジュンハが大きく体を傾けてから。
ジュンハがよろめき、銃を落とします。
テスは顔を背けます。
目を閉ざします。
それでも耳に、ジュンハが石の上を転がり落ちてくる音が聞こえます。
……それで、全てが終わりました。
―つづく―