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文字数 2,684文字
サラは押し黙っています。
彼女が出て行ってしまうのではないかとテスは恐れました。
一人にしておいてほしいと願っていたにも関わらず、今、サラに一人でいてほしくなかったのです。
迷った
サラは少し顎を上げ、動揺しながらテスに目をくれます。
そしてまた、うなだれて何か迷い、迷いながら口を開きました。
目の前にサラがいる限り、あの男はサラを虐げるでしょう。
今日も、明日も、あさっても。
サラが神を信じようとも……。
テスは、実行する気もないその言葉を飲み込みました。
喜んで悪いことをしながらも、どこかでこんなことはやめたいって叫んでる。
誰かを憎みながら、同じ相手がいつか心の平和を得て、幸せになることを望んでる。
互いにひどいことをしあうときにさえ、頭の片隅で一緒に過ごした楽しい時間を思い出したりしている。
心がいくつにも裂かれて、そういう矛盾したことを、平気で同時にするの。
胸の前で指を組み、サラは祈りました。
そして指を解くと、右手をテスの膝に添え、弱弱しく微笑みかけてきました。
膝にあるサラの手の重みを感じたとき、その手は温かく、柔らかいのではないかという気がしました。
ほとんど無意識の行動でした。
テスは左手を動かして、サラの手に重ねました。
自分一人が生きるために、何人もを
汚れた手、血にまみれた手で。
サラの手は、思った通り、温かく、柔らかく、日々の労働で荒れているにもかかわらず、繊細でした。
自分のことを知ってほしいという願望が沸き起こり、止めることができませんでした。
不思議と疲労が癒えていき、感情が戻ってくるのをテスは感じました。
ふと、サラは何かに気付いたような顔をし、籠に右手を突っ込みます。
そして油紙で包んだパンを差し出しました。
包みを受け取り、広げてパンの匂いを嗅ぐと、食欲などなかったはずなのに、それを食べたいと思いました。
ハムとチーズが挟んであります。
口に入れると、ちょうどよく胡椒がきいていました。
サラが再び胸の前で両手を組みました。
テスは、サラの父親が彼女に酷いことを言ったのを思い出し、付け加えました。
サラは両手を組んだまま、顔を上げようとはせず、むしろ深くうなだれました。
鼻をすすり上げます。
息が震えます。
テスは痛ましく思いました。
もう一度手を触れあいたいと願いますが、サラがそれを望むことかどうか、わかりませんでした。
震える声に、テスは身を乗り出します。
不意に、外の羽音が遠のき始めました。
窓から光が射し、サラの姿に薄い
雨は続いていました。
僅かな雲の割れ目から光の柱が斜めに降り立ち、輝く雨のひとつひとつの雫に虹を宿らせました。
……虹。
光は目に新しく。
雨は無音でした。
―つづく―