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文字数 2,447文字

空の雲が伸ばされて、黒い太陽を隠します。

テスはとうに自分の力を空に向けるのをやめていました。

ティルカ――。
礼拝所の入り口にたどり着いたヤトが、右腕を横にかざし、テスに駆け寄ろうとするティルカを制します。

まだらに染まる雲の間を光の帯が走りました。

テスは確信を得て大気をまとい、大きく後ろへ飛びました。

耳をつんざく轟音と共に、紫色の雷が天から降りて祭壇の前の地面を打ちました。

ヤト、やめろ!

間一髪。

祭壇の後ろの巨石の上に片膝をついて飛び乗ったテスは、ティルカの叫び声を聞きました。

テスは取り乱してるんだ! それか誤解を――。
雷鳴の低い唸りが頭上を覆った瞬間、テスは巨石を飛び降ります。
よせ!!!

ティルカの叫びをかき消して、雷が巨石を打ちました。

二発、三発、四発と、雷は立て続けに落ちてきます。

テスは空に意識を集中し、雷が落ちる直前の、言葉の力の濃淡と反射神経だけを頼りに野外礼拝所の奥へと走りました。

雷が地を這います。
テスは礼拝所の後ろの廃屋の、三角形の屋根に飛び乗ります。

ヤトもテスを見失ってはいません。

ヤトが右手を上げます。新しい力がテスの頭上に満ちました。

(雷――じゃない!)

テスは右手を胸に当て、首にかけた陶片の護符を、服越しに握りしめました。

直後、石つぶてのような物が空から降り注ぎます。

テスは大気の円柱を建ててその中心に立ち、旋風を起こしました。

風の鎧が降り注ぐものを砕き、跳ねのけていきます。

(ひょう)です。

その透明な雹はナイフと同じ鋭さを持っていました。

雹のナイフは風の刃に粉砕されて、きらめきながら散っていきます。テスの風に砕かれなかった雹は、大きな音を立ててスレートを砕き、屋根に穴を開けました。

テスに当たらぬとわかると、ほどなくして雹はやみました。
俺をここから出せ。
駄目だ。お前がしたことを許さない。

謝ってくれ!

テス、頼むから! ヤトと、街のみんなと、アルネカ様に謝るんだ。アルネカ様には俺が()()してやるから!

許されたとしても、この街に留まるつもりはない。

お前たちの預言者のために、言葉つかいとして働くことはできないんだ。

だから、ここから出してくれ。

外に出て何になる? 外は危険だ。言葉つかいを迫害する奴が大勢いる!
外には鳥がいる。
???
生きている鳥がいる。
…………。
ヤト、結界を解いてくれ。
………………。
空に紫電が走りました。それが答えでした。

テスは屋根を走り、隣の家の屋根に跳び移りました。

テスがいた家の屋根を打ち据えた雷は、蛇のように幾筋にも分かれて空中を這い、テスを追います。

その最初の一つが体に触れる前に、テスは腰の後ろの銃を抜き、両手で構えて撃ちました。

銃弾が礼拝所に立っているヤトの足許(あしもと)を削り、砂が舞い上がります。

ヤトが驚いてティルカと共に後ずさり、集中が切れました。同時に雷の蛇も消えました。

ヤト!!

風の力がテスの体から噴きだして、全包囲へと広がりました。

テスの足許から円形に、砂塵が散らされていきます。

風は屋根の上から礼拝所におり、ヤトとティルカに向かって砂を散らして威嚇します。

俺は物理武器を持っている。結界を解除しろ! そしたら殺しはしない!

風をいっそう強めます。

風は砂で濁り、ヤトとティルカの姿をおぼろな影に変えます。

口を手で押さえているらしい、ティルカのくぐもった声がなお聞こえてきました。

テス! 頼むからよく考えてくれ! ここに住むのだって悪い考えじゃないだろ?

着る物も、食べる物も用意される! 迫害されることだってない!

嫌だ! 俺は出ていく。出ていって鳥を見たいんだ。

生きている鳥を!

もう一度見たいんだ!

お前は鳥の息子か!?

その執着、普通じゃないぞ!

新手(あらて)の気配を感じました。

体を下方向に引っ張る力を感じました。

テスは直感を頼りに屋根を蹴り、真上に飛び上がりました。

直後、屋根が崩落。

足許に目を凝らしました。
そこは闇でした。
深い大地の裂け目へ、家が落ち、小さくなっていきます。
空中で大気の壁を作り、左足で蹴って、自らが放った強風の中へと身を投げます。ティルカとヤトの後ろに、小柄な人影が見えました。
(もう……交渉は無理だ……)

これ以上留まっていれば、街じゅうの言葉つかいを呼び寄せることになるでしょう。

そして、恐らくはティルカ以外の全員がテスを殺そうとするでしょう。

多勢に無勢です。

そして、殺されるつもりはありません。

地面は最初に崩れた家を中心に崩壊し続け、テスの足場を奪っていきます。

テスは空中に留まり、両手で銃を構えました。

そして、ヤトの後ろの人影の頭に銃口を向け、引き(がね)を引きました。

命中するのを見定めて、テスは風を鎮めます。

言葉つかいの力を失って、虚無に変じた地面がたちまち修復されていきます。

戻ってきた砂地に片膝立ちの姿勢で着地し、舞い上がったままの砂に目を細めながら、テスは続けてヤトを撃ちました。
ヤトは言葉もなく地面に突っ伏しました。

――――――――――
野外礼拝所に残るのは、テスとティルカだけとなりました。

ヤトが死に、結界は解けたはずです。

テスは立ち上がりながら、ヤトの後ろに倒れている言葉つかいの姿を確かめました。

……!
まだ子供……
……リーユーでした。

テス……。

これが何になるんだ?

テスはティルカの目をちらりと見ました。

銃を収め、背を向けます。

お前は何をしたいんだ?

俺たちの世界を壊しっ、

殴りつけるような音と共に、ティルカが絶句しました。
テスは慌てて振り向きます。

まず目に入ったのは、前のめりに体を屈めるティルカの姿。

ついで、苦しげな音を立てて口から吐き出される血。

ティルカの背から腹にかけて、槍の穂先が貫通しています。

太陽のように黒い槍が。

下がりなさい、役立たず。

それを聞き届けたティルカの体が、膝から地へと崩れ落ちました。

ヤトとリーユーの血を吸った砂の中に倒れ、それきり二度と動きません。

そして、その女、アルネカが、礼拝所の入り口に現れました。

盲目の言葉つかいが……。

―つづく―
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