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文字数 4,246文字

お前!

不意に声をかけられ、テスは街角で足を止めました。

港と町の中心部を繋ぐ大通りで、家具の工房の前を通り過ぎるところでした。
声の主はテスの真後ろにいました。
前に、寝台車で同室になった男でした。

同行者が二人います。

ほら、やっぱりそうだ!
無事だったんだな。

そりゃお前、こっちの台詞だよ。

あんな何にもねぇ場所で下りて、どうするつもりかと思ってたぜ。

俺なりに心配したんだよ。

どうだ、何かあったか? あの場所で。

何もなかった。
だろーな。
男は同行者を振り向いて、手招きしました。
こいつだよ、こいつ。昨日話して聞かせただろ? 俺が今まで生きてて初めて出会った言葉つかいさ。名前は……何だっけ? また忘れちまったよ。
テス。
……で、お前はオルゴ。

お!

覚えててくれたのか!

こいつらとはさっきの船で一緒になったんだ。

どうだ、今から一緒に宿探さないか? 折半(せっぱん)したほうが安上がりだろ?

……が。

二人の内の一人が、何も言わずにテスとオルゴに完全に背を向けて、歩いて行ってしまいます。
残る一人が遠慮がちに言いました。

あまり言わないほうがいいぜ……言葉つかいだってこと。

そして、もう一人を追うように、テスたちから離れていきました。

風が吹き、人もまばらな大通りに、テスとオルゴが残されました。

…………………………。

ぅ、うん、まあ、気にすんな!

あいつらとは船でたまたま一緒の客室だっただけさ。それだけだ。でも、お前は命の恩人だろ?

オルゴ……
……ありがとう。

テスはオルゴと連れ立って歩きました。

狭い裏道に入っていきます。

オルゴはどうして旅をしているんだ?
家族のところに帰るのさ。

こんな俺にも、二十年も前にはいっぱしの夢があったのさ。

小銭をかき集めて家飛び出して、別の大陸に移って、結局その日暮らしを二十年だ。

里心ついて郷里に手紙を出せば、兄貴の言うことにゃ母親が危篤(きとく)だとよ。

その返信を受け取ったのが先月の話さ。

そうか……。

早く帰って、母親に、会えるといいな。

裏通りでは、老人がギターを奏でて歌っています。

悲しげな声の、悲しげなバラードです。

聴衆が群がって、ときおり誰かが老人の足許(あしもと)の帽子に小銭を投げ入れます。

そして少し離れたところに――。
鳥だ!
この世界で初めて見る、生きている鳥がいました。

鳥売りの少女がテスをじっと見つめていました。

歌う老人や聴衆たちから少し離れた場所にいて、椅子を持ち出し、机を置いて、その机の上や下に大小の鳥籠を並べています。どこか生気のない顔の、大きな目をした十三、四の少女です。

どうした? 見たいのか?
オルゴの問いかけに返事をせず、テスは鳥たちに引き寄せられていきました。

緑色のハト。

三角形に立った冠羽と太く短い嘴を持つ真っ赤なコウカンチョウ。

腹が黄色で胸がピンク、首が水色で顔面が赤という派手な色彩のコキンチョウ。

みな、首を後ろによじって翼の間に(くちばし)を差して眠ったり、首を下によじって翼の下に嘴を差して羽繕いをしたりしています。

鳥たちは目を開け、または動きを止め、それぞれ顔をテスに向けました。いくつもの黒くつぶらな目がテスとオルゴを見ました。
この世界で初めて目にする生きている鳥に、テスは夢中になってしまいました。

すると、鳥売りの少女が声をかけてきました。

お兄さん、鳥、買う?
少女の居ずまいには、どこか違和感がありました。
全体的にずれているような、少女と世界がぴったり重なりあっていないような、少女が景色から浮き上がっているような……。
テスの凝視をどう解釈したのか、少女はこう続けました。

あたしはキユ。あたしを買ってもいいよ。

そういう商売もしてる。

そのときテスは、少女から呼気が感じられないことに気がつきました。

もう一度机の上の鳥籠に目を移すと、そこには黄色い体、白いしま模様の入った黒い翼と尾羽、額に紺碧の羽毛を持つヒワが囚われていました。

その鳥もまた、少女と同様の違和感を放っていました。

テスは気がつき、つい驚きとともに口にしてしまいました。

この鳥、死んでる……
すると、そのヒワは最期の呼吸をするように黄色い胸をへこませていき、目を閉じ、止まり木から滑り落ちました。

キユと名乗る少女は無表情で死んだヒワを見つめました。

目を上げ、テスの気まずい視線を受け止めると、どこか感慨深げに呟きました。

お兄さん、言葉つかいだ。
キユは凍りついた目をテスから逸らさぬまま、ほっそりした指で鳥籠を開け、愛情のない手つきでヒワの死骸を掴んで取り出しました。
どうしてわかったんだ?

死んだものを生かしたり、また死なせることができるのは、言葉つかいだけだもの。

お兄さん、いいこと教えてあげる。死者は瞬きしないんだよ。

たっぷり十秒、二人は見つめあいました。

その間、テスは自分の瞬きを数えました。

テスは二回瞬きましたが、キユは瞬きをしませんでした。

お兄さん、船で来たの?
ああ。
じゃあ、気をつけたほうがいいよ。自分が言葉つかいだってこと、人にバレないように。
キユは左手で机のひきだしを開け、ヒワの死骸を入れて閉めました。
この鳥は、あたしが逃がしたことにしておくね。
どうして言葉つかいであることを隠したほうがいいんだ?
殺されちゃうから。

ホントかどうかはわからないけど、言葉つかいはみんな、もともとこの世界の人じゃないんだって。よその世界から落ちてきたって大人たちは言う。

それに、言い伝えだけど、本来ヒトではないものが言葉つかいになるって信じられてるから。

ヒトではない?
だけど、おじいちゃんたちは、言葉つかいがあたしたちを解放してくれるって信じてる。

キユの目が、歌う老人へと動きました。あの老人がキユの祖父のようです。

この街はね、あたしたちの隔離所なんだ。
死んだ人たちの?

そう。

あたしたちは働く。

(もう)けは生きてる人が没収する。

あたしたちにご飯はいらないし、新しい服も、きれいな家も、別に欲しくないから。

悪い言葉つかいがそれを始めた。

彼によってあたしたちは『裏切り者の墓』から引き出された。

その人は何だってできた。

キユは空を指しました。
建物、みんな同じ高さで潰れてる。
鐘楼(しょうろう)で見たとおり、どれもある一定の高さで切り落とされたように、町のすべての建物が高さを揃えています。
かつてあの高さまで、空が落ちてきたよ。
あの高さまで。

あたしたちを監督する、一人の生きた看守が、あたしたちに同情して逃がそうとした。

その裏切りに怒った悪い言葉つかいが力を見せつけた。

空を落とし、建物を潰して、人を恐がらせた。

テスとキユは、互いの無表情を見つめあいました。

()い言葉つかいが来て、悪い言葉つかいを殺した。

あたしたちは殺してほしくて善い言葉つかいに味方した。

生きている人間に反逆したの。

だから、生者は死者を憎んでる。

その善い言葉つかいはまだいるのか?

ううん、殺されてしまった。

この街に言葉つかいはいない。

だから、あたしたちは、ずっとこのままでいる。

…………。

キユは消えてしまいたいのか?

ううん、今はまだ……。

気遣うように、祖父がいるほうに目をやりました。

老人は先ほどのバラードとは別の曲を歌っていました。

もう少し、生きる……。

(かね)を打ち鳴らして、逞しい男たちの一団が裏道に押し入ってきました。

何ごとかと驚いた聴衆たちが、素早く数人が散ったのをきっかけに一斉に離れました。

男たちは五人いて、二人が老人の前に行き、一言も声をかけることなく、何のねぎらいも気遣いもなしに帽子の中の硬貨を(さら)いました。

略奪みたいです。

二人がキユの前に来ました。

残る一人は少し離れたところで彼らの働きを監督しています。

今日は一羽も売れてないよ。

男が、キユに眉を片方吊り上げました。
あたしも売れてない。
鳥が一羽いなくなってるな。
逃げちゃったの。
逃げただと? 今までそんなことは一度もなかったろうが。
じゃあ今日が一度目なんだ。
男は右の拳を左の掌に叩きつけ、(あん)に殴るぞと脅しました。
うまいこと言って、売り上げをちょろまかすつもりじゃないだろうな!

男は机の後ろに回り込み、キユを壁に突き飛ばし、ひきだしに手を伸ばしました。

キユは何か言おうとしましたが、ひきだしが開くほうが先でした。

ひきだしを開けた男は、黄色い小鳥の死骸を見て凍りつきました。

言葉つかいだ! 死者を殺せるやつがいる! 言葉つかいがいるぞ!
 

すぐに他の男たちがやってきて、キユを取り囲みました。

大きく分厚(ぶあつ)い掌の一つが、キユのほっそりした肩を民家の壁に押しつけました。

おいキユ、これは一体どういうことだ?
俺だ。
黙って様子を見ていたテスは、男たちに一歩踏み出しました。
俺が言葉つかいだ。
お、おい――

五人の男たち全員が、テスを怖い顔で睨みつけました。

これまで様子を監督していた、とりわけ腕っ節の強そうな男がテスの前に進み出ました。

この世に言葉つかいは必要ない。

……殺してやろうか。

お前は敵だ。

俺に敵対する意志はない。
そんなことは関係ない。問題は、お前が言葉つかいだってことだ。
どうするつもりなんだ?
男は腰を屈めてテスに顔を近付けました。

強い悪い言葉つかいを殺したのは、強い善い言葉つかいだった。

言葉つかいは脅威だ。

我々は善い言葉つかいも悪い言葉つかいも殺す。

そんな……。

……お前たちは何だ?

新生アースフィア党だ。
(新生アースフィア……この言葉、船で……)
男は後ろの仲間たちを振り向きました。
おい! 執行部のネサルが今日の船で到着してるはずだ。探してこい!
言葉つかい、キユ、お前らはちょっと来い。
テスは一歩前に出て、自分の周りの人々、オルゴと、キユと、心配して近付いてきたキユの祖父とを見やりました。
この人たちは関係ない。たまたま同じ場所にいただけだ。
お前!
キユは鳥を隠した。お前を庇うためだろう。
違う。俺が勝手にひきだしに入れた。
……!

ふん……。

だったら、一人で大人しく来るんだな。

そうしたら、この人たちに危害を加えないって、約束してくれるか?

男は答えず、テスの腕を鷲掴みにしました。

錠のかかった扉の前に連れて行き、腰にぶら下げた鍵で錠を開け、埃臭い倉庫の中にテスを引きずりこみました。

他の男たちも後に続きます。

音を立て、倉庫に内鍵がかけられました。

裏通りには、あまりのことに立ち竦んでいるオルゴと、無表情のキユ、そして歌声と同じくらい悲しそうな顔をした老人が残りました。

間もなく倉庫の中から、人を殴り倒す音が聞こえました。
―つづく―
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