7-4

文字数 1,762文字

風を血除けに使ったものの、テスの髪にも、顔にも、灰白色のマントにも、点々と血がついていました。

テスはその姿で教会堂に戻りました。

アルカディエーラは前庭に立ち、聖典を読んでいました。

ちゃんと皆殺しにしましたか?
ああ。
大変よろしい。
アルカディエーラは本を閉じぬまま、満足そうに頷きました。
それでいいのです。あなたはあなたの存在を認めず、殺しにくる者、また、過去にあなたを殺そうとした者を殺さなければなりません。
過去にも?

もちろんです。

その殺意の原因があなた自身の中から取り除かれたとは限らないのですから。

あなたには、あなたの脅威を全て排除する必要があります。

いくらなんでも言うことが極端です。

テスは困惑します。

何をそんなに恐れているんだ? アルカディエーラ。
恐れている?
俺にはそう見える。殺される心当たりがあるみたいだ。

本を閉じ、アルカディエーラは一歩、二歩、三歩と前に出ました。

そしてテスに背を向けて、語り始めました。

私には息子がいました。
その過去形が引っ掛かります。
……その子はどこにいるんだ?
知りません。産んですぐ捨てましたから。
アルカディエーラの口調に変化はありません。
どうして。

逆子(さかご)で生まれてきて、縁起が悪かったからです。

それに私も当時は子供みたいなもので、まだ遊びたい盛りでしたから。

何かがテスの深いところに沈む記憶を撫でました。

その感触に、テスは誰にも見られず目を見開きます。

それで、父も、死産だったことにしようと家令に言って、捨ててこさせたんです。

悪魔封じの印を頬に描いて。

生きている内に拾われれば、血塗られた手の卑しい者たちが、その子を殺し屋として育てることを知っていました。

テスは唾をのみます。

口の中はからからに乾いていましたが、もう一度、何かをのみ込むように喉仏を上下させました。

もしも……その息子が生きていたら?
殺します。
その息子が、別にお前を憎んでいないとしても?
殺します。私がその子に憎まれることをしたのには、変わりありませんから。
そうか。
テスの声が不意に低くなります。

アルカディエーラが弾かれたように振り向きました。

次の瞬間、銃声とともに、彼女は本当に弾かれました。

血が散り、体を一回転させて、どさりと重い音を立て倒れます。

前のめりに倒れたアルカディエーラの後ろでは、テスが銃を両手で握っていました。
アルカディエーラは何もない前方へと弱々しく手を伸ばし、呻きながら()き込みます。

テスは彼女の足許(あしもと)から、頭へと回り込みました。

銃をホルスターに収めます。

産んでくれてありがとう、母さん
そして、アルカディエーラの手が伸びる先で、しゃがみ込み、片膝をつきました。
感謝している。……これは本心だ。

暗緑色の髪。

茶色い目。

テスにあまりによく似た顔立ちの女アルカディエーラは、頬を地面にこすりつけ、僅かに顔の角度を上げました。

その顔に血の気はなく、目はあっちを向いたりこっちを向いたりしており、定まりません。

唇は血で真っ赤です。

彼女は何かを言おうとして、弱々しく血の混じった咳をしました。

指先が、力なくテスの膝を撫でました。

私が…………。
テスは顔を寄せ、微かな息に混じる声と、唇の動きに集中しました。
……話したことは……すべて忘れなさい…………。
テスは頷きます。
ああ……そうする。

生……る…………めに……のまま…………

心……失く…………。

……。
優し……子………………。
唇は、二度と動かなくなりました。
ぐったりと倒れているアルカディエーラの瞼を、テスは閉じてやりました。立ち上がり、その亡骸を呆然とした面持ちで見下ろします。

彼女は殺されたかったのだとテスは考えました。

ところでどうして彼女が自分の母親だとわかったのか、自分にそう確信させたものが何だったのか、テスにはわかりません。
アルカディエーラが語った内容に関連しているはずですが、彼女が何を言ったかさえ、もはや思い出せません。

出自に関する記憶が完全に失われたのだとテスは理解しました。

思い出す可能性は、もう決してありません。

それに(あわ)せて、なくした記憶に関連するアルカディエーラの話の内容も、頭から滑り落ちてしまったのです。

アルカディエーラはもう語りません。

テスはアルカディエーラの亡骸を見るのをやめ、背を向けました。
―つづく―
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色