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文字数 3,323文字
二十三時、テスは目を覚まし、不変の夕闇の中で身支度を整えました。
客室をあとにし、黄色と灰色のまだらになった雲の下に出るも、第一甲板にはまだ誰の姿もありません。
指定された時刻はまだ一時間も先です。
テスは観測甲板に上がり、そこから第一甲板を見下ろして、人が現れるのを待ちました。
やがて、船内の全ての時計が一斉に
無人の観測甲板で身を屈めるテスが見下ろす中、彼らはぶつくさ言いながらテスを待ち続けました。
テスは立てた膝の片方に顎を乗せ、彼らの様子を観察しました。
二、三十分のも間、彼らは海風ふきっさらしの状態で、テスを待ち続けました。
気配に顔を向けると、そこにキシャ、書物を抱えた赤毛の痩せぎすの女が立っていました。
テスは第一甲板の男たちに聞かれないように、小声で尋ねました。
例えばだ。
拒絶と否定の言葉を浴びせられて育った人間がいる。
そいつの心の中には恨み憎む言葉が常に渦巻いている。
そしてそいつは無意識のうちに、自分のことを拒絶し否定する人間ばかりと付き合うようになるだろう。
その環境から出ていく力がないからだ。
言葉が違うというのは環境が違うということだ。
そしてある日両者が出会い、ちょっとしたトラブルが起きる。
肩がぶつかったとか、足を踏んでしまったとか、何でもいい。
両者は言葉が通じない。
言語が同じでも、言葉が違うんだ。
痛い目を見るのはどっちだと思う?
前者は後者にけがを負わせ、殺すかもしれない。
そのとき、愛情や思いやりに満ちた優しい世界に生きている者たちは、憎しみ、怒り、恐怖、不安を知り、巻きこまれる。
感覚、主観、ものの考えかた、価値観、そうした自分の世界を壊されて、他人の悪意の世界に巻きこまれるんだ。
ありがちな不幸だよ。
それを拡大したものが、普通の人間と言葉つかいの出会いだと考えろ。
おまえ、初めて大気の力を操れると気付いたとき、どう思った?
本来であればあり得ない動作が可能になったときは?
もし、自分が普通の人間で、他人があり得ない高さまで飛び跳ねたりしたら、どう思う?
そいつが助けてくれたとして、素直に感謝する以上に、怖いと思うはずだぞ?
テスは、自分が見捨ててきた通りがかりの村の人たちを思い出しました。
彼らは恐がっていたのです。テスを侮蔑することで、自分より下の、無力で無害な存在だと無理矢理に納得しようとしていたのです。そうせずにはいられなかったのです。
テスはそっとキシャから目をそらしました。
テスはキシャの目を見つめ返し、その視線の圧力を受け止めながら、二度ゆっくり瞬きしました。一度首をかしげ、またゆっくり瞬きます。
それから不意に早口になりました。といっても、テスの早口は、人が話す平均的な速度と同じ早さなのですが。
大気が嫌悪で身をよじるのを、テスは感じました。
下で、何かが起きているようです。第一甲板を見下ろしたテスは、大気が嫌う気配の源をすぐに見つけました。
雲が空でうごめき、円形に割れました。
太陽が動いて、その円に収まりました。
テスはこれまで二種類の武器を頼りに戦い、言葉の力は補助的にしか使ってきませんでした。
でもそれは、本来の言葉の力の使い方ではないのだと、別の言葉つかいを目撃し、初めて気がついたのです。
黒い太陽が、
太陽は男の右の掌の真上にありました。
男の左手の動きにあわせて、眼球を左右に動かしています。
その忌まわしい目が、観測甲板上のテスを見つけました。テスとキシャをじっと見下ろし、動きを止めます。
テスは半月刀を抜きながら、素早く立ち上がりました。
言葉つかいの男も、第一甲板からまっすぐテスを見上げました。