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文字数 3,984文字
口から鎖が撃ち出されるのが視界の端に見えました。
鎖は重々しい音を立てましたが、回避するまでもなく、テスがいた場所に届く前に形を失いました。
テスの傷ついた体はずきずき痛みます。
動揺するネサルを残し、テスは大気の足場を固め、踏みました。
空中高く、後ろに飛び、逃走を試みました。
残されたネサルが地上で叫びました。
その場から遠ざかりながら、テスの左手が半月刀へ、右手が銃へ伸びますが、
ためらいがその手を止めました。
荒野に突っ立っている痩せっぽちのネサルに、テスは武器を抜かずに叫びました。
地上への降下を始めるテスに向けてネサルが引き
怒りの気がテスの左右をかすめ、その余韻を心に残しました。
その『怒り』は太さが人間の胴体ほどもある鉄の槍になりました。
テスが着地すると、その背後に大地を揺らして槍が降り注ぎ、土煙をあげました。
ネサルはひたすら撃ち続けています。
降り注ぐ槍は円を描き、その中心にテスを閉じこめようとしています。
テスはストールを上げて鼻と口を土煙から守り、交差する二本の槍の間から円を抜け出しました。
土埃に身を隠します。
降り注ぐ槍がたてる轟音の中に、駆け寄ってくるネサルの足音が聞き取れます。
そして、記憶の中のキシャの声が聞こえます――。
槍の雨がやんだ隙に、テスは地を抉る槍の木立の後ろに身を隠し、ネサルと自分の間を遮る強い風を起こしました。
ネサルが風の壁を撃ちます。実体のあるものは撃ち出されませんが、風の勢いが薄れました。
あの銃は、かつて言葉つかいの技師が開発した、言葉つかいでない人々が化生から身を守るための武器だと聞きます。
副次的なものなのか、言葉つかいの言葉を打ち破る性質があるようです。
テスは戦うよりも、逃げることを選びました。
後方に飛ぶテスが空中に作った大気の足場を撃ちました。
足場が消える直前、テスはそれを蹴り、地面への自由落下を始めました。地に叩きつけられる直前、翼を広げたように速度を落とします。
ネサルが駆け寄りながら撃ちますが、もともと射撃が下手なようです。かすりもしません。
機関車の車両ほどもある太さの、黒光りする、長い長い槍です。
テスは荒野に身を投げ出し、伏せて回避しました。
風を起こし、槍が過ぎ去っていきます。
視界の彼方へ消えていくその槍の射程を見て、テスは悟りました。
逃げきれないと。
あの銃は現実的な殺傷力を持っているのだと。
そして、ネサルは銃を撃てるのだと。
テスを逃がしはしないのだと――。
ネサルの銃は、彼女の膝のすぐ前に落ちていました。
彼女は手を伸ばそうとしたが、転んだ拍子に痛めたらしく、右手首から先は力なくぶらぶらしていて動きません。
ネサルは左手で自分の銃を掴みました。大きな銃で、片手では扱えそうにありません。
彼女は左腕をまっすぐ上げたました。
腕が震えています。
重さゆえか、恐怖ゆえか、はたまた両方か。
震える声でネサルは言い返しました。
それでもネサルは銃を撃ちました。彼女の左腕が大きく跳ね上がります。
風の壁が弱まり、テスは目を閉ざしました。
木を想います。
翼を休め、安らぐ場所を。
ちらつく木漏れ日。そよぐイチョウの若葉。鱗状に割れた樹皮を想います。
樹皮に
樹皮の手触りを想います。
天を目指す大きな枝の確かさを想います。
青空が二人を覆っていました。
真上は濃い水色、遠ざかるほど薄い水色、視界の果ては更に薄く白っぽい水色。
イチョウの大樹がめいっぱい空に枝を伸ばしています。
テスは地を蹴ります。今や若草が満ちた大地を。
テスは太い枝に着地し、ネサルを見下ろしました。
驚いたことに、ネサルはまだ銃を撃ちました。
その一撃で、二人を隔てる風の壁が完全に消滅しましたが、ネサルの肩もまた壊れてしまいました。
草原に銃が落ち、草に埋もれます。
立ち上がるネサルを見下ろして、テスは二本の半月刀を抜きました。
その
振りかぶりました。
投げ放たれたブーメランはネサルの右の太股を、骨に達する深さまで深く裂きました。
失血死を避けられぬ深手です。
木の上のテスを見上げる両目が極限まで見開かれ、ネサルはがっくりと膝をつきました。
唇は何か言おうと動いていますが、喘ぐような息の音がするばかりです。
ネサルは這うような姿勢でテスの爪先に手を伸ばしてきます。
何かを呟いていました。
テスは耳を傾けます。
ネサルの指が、ついぞテスの靴の爪先に触れました。
結局テスはしゃがみ、縋りついてくるその手を握り返しました。
そうせずにはいられなかったのです。
ネサルは血で土を濡らしながら這い、身を寄せてきました。
テスは地面に両膝をつき、腕の中にネサルの体を抱いて、仰向けにさせてやります。
あのね、テス、あたしもね、落ちてきた人間だよ。昔、太陽の王国から。不変の昼の世界から。
でもあたしは言葉つかいじゃなかった。
落ちてきた人間が言葉つかいになるって言うのに、ここでもあたしは何の力もなかった。
そう扱うことで世界はとことんあたしを馬鹿にした、あたしを嘲笑った!
するとネサルは、何故だか絶望するような顔を見せました。
でも、それも少しの間のこと。
だんだんと、二日前に出会って以来初めて見る優しい顔になっていきます。
テスは荒野に転がるネサルの銃を見ました。
それが十分にネサルから遠い場所にあり、ネサルもそれを扱える状態ではないことを確かめてから、その耳に囁きました。
ネサルの目の縁から涙が流れ落ち、青白い頬を伝います。
人が、涙を流して死んでいきます。
言葉の後、長い息を吐き出して、彼女は意識を失いました。
テスはネサルが寂しくないように、しばらく抱いたままでいました。
流血が彼女の命を押し流し、二度と目覚めぬ体になると、テスはその亡骸を大地に横たえます。
そして、殴られた傷の癒えぬ体を引きずるように歩き、ブーメランを拾いました。
テスは首をかしげました。
こんな字が彫られていただろうか? いつから?
その人名らしきものはいかなる感情も刺激せず、テスの心に語りかけることもありません。