9-1
文字数 2,021文字
石床の敷布の上に片膝を立てて座り、テスは針に糸を通しました。
膝を立てたほうの足の
服は茨に裂かれ、血で汚れていました。
止血はしましたが、服の血はまだ生乾きです。
その布地を右手でつまみあわせ、左手で縫っていきます。
目はうつろで、瞼は今にも落ちそうです。
手をつけた箇所を縫い終え、糸を結び、
そのまま目を閉じます。
意識が闇に落ちていきます。
不鮮明な夢から様々な気配が滲み出て、テスを取り囲みます。
気配は一つに収斂 し、女の声で囁きました。
目を閉じたまま聞きなさい。
眠っているとも起きているとも言えぬ状態で、テスはその声を聞きました。
私はおまえを離れるよ。
そうだよ。おまえを突き放すのが、おまえへの最後の助けになる。
痺れた頭は何も思いつかず、言われたことを理解できているのかどうかもよくわかりません。
テスはただ心に浮かぶことを尋ねます。
言ってごらん。
沈黙があり、夢うつつの状態でテスは待ちました。
ここは夕闇の国なんかじゃないよ。
再びの沈黙。
テスはひどく悲しくなり、ほとんど目が覚めそうなほどでした。
おまえが本気じゃないからだよ。
まだだ。まだ本気じゃない。
心はひどく揺さぶられるも、疲労によって夢うつつの状態は保たれました。
船の上でおまえは、言葉つかいの脅威を私に説かれても、人を助けずにはいられないと言ったね。
私は、ならば自分の信念でそうしろと言った。
その結末を知りなさい。
何だ?
言葉つかいの力、とりわけ人を魚に変えたあのおぞましい
――俺は化け物なんかじゃない。
違うよ。
素っ気ない答えでした。
そんなのは、おまえに対する他の人間の態度を見ればわかるじゃないか。
それきり声は消えました。女の気配も消えました。
テスは目を覚まします。
キシャの器となるような女性も、『亡国記』とその光も、テスの前には存在しませんでした。
廊下と部屋とを区切る石壁と、窓、窓の向こうの廊下、そして廊下の壁に設けられた窓と、窓を朱色に染める光。
それが、テスの前にあるものでした。
赤すぎる夕闇が揺らめいて、誰かが光を水のように掻き回しました。
テスは見ます。翼をはためかせ、天空を渡る善い生き物を。
群れ飛ぶ鳥の影を。
鳥たちは窓から見える位置に留まり、動きません。
テスは手を伸ばします。
叫ぶように手を伸ばします。
声はなく、ただ口を開け、無音の叫びを放ちます。
鳥たちはテスに訴えます。
翼の音で語りかけます。
てす、泣かないで。
てす、泣かないで。
てす、泣かないで。
てすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないでてすなかないで
てす……てす……。
なかないで…………。
テスの手が指先から力を失っていきます。
そして、床に垂れ落ちました。
―つづく―