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文字数 2,136文字

道が乾き始める頃、テスは家を抜け出してきたサラに付き添われて村を出ました。

サラと出会った池まで来てみると、晴れた今、海に向かって落ち込む崖と、きらめく海とが見えました。

サラによれば、崖の下の道は地元の人間にしか知られておらず、辿っていけば小さな港町に着くとのこと。

テスは遠くに行きます。自分でもわからないほど遠くへ。

でもサラは違います。

この村の、酷い家族と家庭に留まります。

テスはそれが痛ましく、悔しくさえありました。

サラは辛いでしょうが、テスにできることはありません。

いつか、善いところに導かれてほしい。
そう祈ることしかできません。
テスさん。
池の(ほとり)を歩き続けながら、テスはサラと目を合わせました。
いつか、また来てくれますか?

もう一度ここに来ることがあるだろうかとテスは自問しましたが、その可能性はないか、限りなく低いと思われました。

でも、それをはっきり告げるのは、サラに対しても自分に対しても残酷でした。

わからない。
そして、いつしかサラと共にいたいと思い始めていたことに気がつきました。

定住という考えが思い浮かんだのです。

自分が言葉つかいであるとか。

だからどんな危険が降りかかるかわからないとか。

追われているとか。

もう何人も人を殺したとか。

もともとこの世界の人間ではないとか。

記憶がないとか。

そういうしがらみがすべて消えて。

屋根の下に住んで。

ひっそり暮らしていけるだけの、ささやかな労働をして。

素敵な異性が待つ家に帰る。

魅力的な考えでした。
それでも。
(……俺にはできない)
そんな生活をすれば、一緒にいる相手を、必ず危険に晒すことでしょう。
サラの目に失意が影を落とします。
車の走行音を聞いたのは、池を離れ、池と崖の中間地点に差し掛かったときでした。
どこか近くでエンジンが音を立て、タイヤが荒れ野を踏みつけています。
こちらにやってきます。
テスの目に映ったのは、不動の黒い太陽、果てなき黄昏の底を裂いてやってくる一台のジープでした。
テスは立ち竦みます。

(……四台あったはずだ)

(……一台しか残らなかった…………)

サラをつれて逃げることはできません。

何よりもう、逃げることが正しいことだとは思えませんでした。
ジープはまっすぐテスに向かってきます。

サラ。
不穏なものを感じるのか、サラが怯えの滲む目で見上げてきました。
村に戻れ。

サラは動きません。それか動けないのでしょう。

ジープがテスとサラの前で、二十歩程度の距離を挟んで停まりました。

(…………『ジープ一台』しか残らなかったんじゃない)
ジープのドアが開いたとき、テスは認識を改めました。
(『二人』しか生き残れなかったんだ)
その二人は見たところ無傷のようでした。
一人は赤毛の言葉つかい。
もう一人はジュンハでした。
戻るんだ。
あの人――
そのジュンハの目ときたら。
憎悪の光に貫かれながら、テスはサラの体の前に右腕をかざしました。
早く。家に。
………………。

ジュンハはまっすぐテスを見据えて、テスにかける言葉を探しています。

言葉の力を撃ちだすこの世界の銃に右手が添えられています。

その右腕の(こわ)ばりを、テスは何故だか自分自身のもののように感じ取りました。

やめて――
サラが、テスの腕を押し退()けて、果敢にもテスの前に身を晒しました。
この人は怪我をしているの。酷いことしないで。
サラ、よせ。

だが、言うことを聞こうとしませんでした。

銃を持つジュンハの手がぴくりと震えます。

テスの胸は早鐘を打ち、血が巡り始めました。

体が熱くなっていきます。

最悪だ、とテスは悔やみます。

やはり、一刻も早く遠くに逃げ去るべきだったと。

池の畔でサラに声をかけられたとき、振り切って去るべきだったのだと。

幸いにも、ジュンハにはまだ冷静さがありました。
その男から離れろ。
ぞっとするほど冷たい声で、ジュンハがサラに告げます。
そいつは俺の娘を殺した。
サラの動揺の波がテスを打ち、二つの相反する感情をテスに同時に抱かせました。
恥と、安堵でした。
そのことをサラに知られたくなかったけれど、知られぬまま好意を抱かれるのは、騙していることになる、と。
逃げるんだ、サラ。
でも、
……この人の言うとおりだ。俺に(かば)われる値打ちはない。

身震いがサラを襲い、彼女は首を横に振ります。

そして。

………………事情があるんですよね?

ジュンハの右手が動いた瞬間、テスは動きました。

サラの首に腕を回して大地に倒れ込みます。

やめろ!!!

サラの上にテスが覆いかぶさり、二人の上を熱い火の塊のようなものが掠めていきました。

テスが膝立ちになったとき、ジュンハの右肘と右手首は、赤毛の言葉つかいの男の両手に握られていました。

ミスリル!!
サラを巻き込むな、あの子は関係ないだろ!
どうやらサラとは知り合い同士のようです。
――ならば、サラのことはあの男に任せればいい。

そう判断し、テスは海へつながる崖へと一直線に走り出しました。

倒れたままのサラを残して。

その男の人を止めて!

テスは走りながら振り向きました。

テスを追うのはジュンハ一人。

その後ろに、ジープと、荒れ野に座り込むサラ、そしてサラに寄り添う赤毛の姿が見えました。
サラはなお叫びます。

その声だけが聞こえてきます。

お願い、止めて!!!
―つづく―
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