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文字数 2,536文字

それからどれほど経ったでしょうか。
チュン、チュン、チュン――
ヒィーーーヨ、ヒィーーーヨ!
ジュルリ、ジュルリジュルリジュルリ
…………?
テスは目を開けます。

状況がよくわからないのですが、明るい部屋の、清潔なベッドに寝かされていることを把握しました。

鳥の声を聞いたと思うのですが……。

(さっきの声は……スズメと……ヒヨドリと……ムクドリと……)
(まさか…………)
すると今度は。
デーデー、ポーポー!

夕日に染まった白いカーテンの向こうから、キジバトの声が聞こえてくるではありませんか。

(……鳥がいる! 間違いない!)

ベッドから跳ね起きようとしたテスは、急に割れるような頭痛に襲われ、もう一度ベッドに仰向けに倒れこみました。

それでも鳥の声が消えることはありません。

あれほど探し求めた声。この世界から消えたと思っていた生き物の声。

夢ではなく、幻聴でもありません。

高熱が出て寝込んでいたことをテスはようやく思い出しました。

熱が引いたかどうかよくわかりませんが、いくらか起き上がれるようなので、起きて靴を履きました。

体はひどく弱っていました。

足は震え、カーテンがかかる窓に目をやったとき、音を立てて転びました。

すぐに廊下を誰かが駆けてきて、部屋の戸を開け放ちました。

アエリエが入ってきます。

テス!

アエリエは、咎めようとも、何をしようとしていたのかを問いつめようともしませんでした。

ただ傍らに跪き、起きあがろうとするテスの背中に手を当てました。

テス、大丈夫?
両腕を支えに起き上がろうとしながら、テスは軽く頭を振りました。
どうしたの? 言ってごらん。
鳥を――
テスの喉は激しく痛み、たまらず咳き込みます。
――見たかったんだ……
鳥? 駄目よ。まだ熱がだいぶあるわ。
ちょっとでいい、外に連れてってほしいんだ。
そんなに鳥を見たいの……?
テスは弱弱しく頷きました。頭がくらくらします。
頼む……。

アエリエはテスの腕を取り、自分の肩に回しました。

彼女はテスが廊下に出るのを助け、その後も肩を貸して歩かせました。

突き当たりの戸から外に出ます。

この建物は何かの施設のようです。外は草地でした。

赤い空を見ながら、草の上を歩きます。

丘の上に(にれ)の木が見えます。

アエリエは坂を上り、テスを木の下に連れていきました。

丘の下には、小さな村が見下ろせます。
村の外れの小さな池に、白い家鴨(あひる)たちが放たれていました。

テスは驚きに打たれ、もはや何も考えられず、目を大きく見開いて、遠くの白い水禽(すいきん)に見とれます。

それは、テスがこの世界で初めて目にする、生きている鳥でした。

それだけではありません。

砂の打たれた通りを鶏が歩いています。

屋根から屋根へ小鳥が飛んでいます。

それより大きな鳥は、村の上の空を飛び交います。

さらにはテスとアエリエの頭上に枝を広げる楡の木からさえも、鳥の声がするではありませんか。

何か珍しい鳥が見える?
鳥……。
……みんないつからいたんだ? アエリエ、この鳥たちはいつからこの世界にいたんだ?

最初からずっといるわよ。

テスにはわかりません。

何故鳥が見えるようになったのか?

あるいは、今まで何故見えなかったのか……。

もう一つ、不思議なことがあります。

熱が引いてはじめてわかったのですが、絶えず体を(さいな)んでいたあの寒さがありません。

それがどういうことなのか、テスにはわかりません。

テスが草地を駆けます。
左手が右の腰に伸び、半月刀を抜き放ちます。
続けて右手が、左の腰の半月刀を抜きます。
右足を軸にステップを踏み、そして、半月刀が斜めに、真横に、縦に、振り下ろされ、または振り上げられます。

赤く染まる世界で、テスは見えない敵を切り刻みます。
半月刀の柄頭をぶつけ、ねじり、連結器を組み合わせ、二枚刃のブーメランにし、腰をよじって投げ放ちます。

ブーメランは赤い空に吸い込まれ、小さな黒い点になりました。

それが再び大きくなりながら、テスのもとに戻ってきます。

大気を操り、戻ってきた武器が自分自身を傷つけぬよう、体の周りを周回させます。

()を掴んだときよろめきました。

まだ本調子じゃないみたいだな!

いつからいたのか、宿を借りる農場の倉庫の壁に背を預け、ミスリルが声をかけてきました。

テスは息を切らしていました。二本の半月刀の連結器を外し、鞘に収め、腕で額の汗を拭います。

でも、随分よくなったんだ。
…………。
ありがとう。
……
……なんだ。お前、笑えるじゃないか。
……そうだな。
すごく久しぶりだ。
おかしな奴だな。自分でも驚いたみたいな顔して。
ミスリルは俺の表情がわかるんだ。
隠してるつもりだろ?

そのどこも見てないような目でさ。

でも俺はごまかせないぜ。

それに……
それに?
やっぱり俺はお前のことを知ってるみたいなんだ。

何か思い出せる気がする。ずっと引っかかってる。

いつから?
あの列車で見かけたときからさ……。

だから俺はお前を追うことにしたのさ。

俺の殺しを引き受けなかったのも、本当はそれが理由なのか?
……ああ。そうだ。
したら確実に後悔するって思ったのさ。なんでかわからないけど……。
…………。

……そうか。

じゃあ、かつては知り合いだったのかもしれない。

記憶を取り戻せたらいいな。

なに他人事(ひとごと)みたいに言ってんだ。お前もだろ?
……………………。
……?

どうしたんだよ?

会話が途切れたとき、風に乗って人の言い争う声が聞こえてきました。

倉庫から少し離れた位置に立つ、母屋(おもや)の玄関口のほうです。

!!
………………。
お前はここにいろ。
ミスリルは、身を翻して母屋へと走って行きます。
(……さすがだな、ミスリル。勘がいい)
そう思ったとき。

テスもまた気がついたのです。

……自分も、ミスリルとアエリエのことをきっと知っていると。

まだ思い出せるのだと。

記憶を取り戻るか、失うか。
決めなければならなりません。できる限り早く。
この記憶は欲しいけど、あの記憶はいらない、ということは許されないでしょう。
すべてを手に入れるか、すべてを失うかです。
でも今は、目の前の出来事に立ち向かうのです。
ここにいるんだろう! お前が(かくま)ってることはとっくにわかってるんだぞ!
望まぬ来訪者たちの声が聞こえてきました。
―つづく―
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