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文字数 1,479文字

食堂を出た先はサロンになっていました。
あちこちで、小ぎれいな身なりの人々が、ローテーブルを囲んでソファに体を沈めています。

大抵は静かな声で会話を楽しんでいるのですが、一組、やたらと大声で盛り上がっている一団がありました。

そうきますか。いやあ、そうきますか。これは参りましたねえ。

六人の集団で、うち二人がチェスをしており、生え際の後退し始めた男がしきりに対戦相手に愛想笑いをしながら頭を掻いていました。

テスはチェスをしたことがなく、ルールも知りません。

なので勝負の状況は全くわかりませんが、小男の対戦相手である四十がらみの男が必ず勝つことは確信できました。

その相手は高級そうな生地のチュニックに身を包んだ偉丈夫で、足を広げてどっしり座っています。チェス盤を見てにやにや笑っており、口許(くちもと)には余裕があるのですが、目はどんよりと濁っていました。

通り過ぎるとき、テスが肩を貸す赤毛の女の手がチェスの駒に当たり、何本か倒しました。

絨毯(じゅうたん)が敷かれたサロンの床に駒が転げ落ちました。

待て。
剣呑な声に呼び止められ、振り返ったテスは、はじめて絨毯に転がる駒に気が付き、呼び止められた理由を悟りました。
……すまなかった。
お前じゃねえよ。その女だ。その女に謝らせろ。
………………。
女は、意識はあるけどぐったりし、なりゆき任せに黙っています。
この人は具合が悪いんだ。
だったらここに置いていけ。謝る気が起きるまでそいつに付き合ってやろうじゃねえの。
それはできない。
なんだと? お前、逆らう気か?
いきり立つ男に、テスは静かに告げました。
この人を置いていったら、ひどいことをするつもりだろう。
そういうことは、できない。

サロンの人々は、実に何気ない様子で会話を切り上げ、偽りの和やかさをまとってサロンから出ていこうとしていました。

テスもまた、チェスの一団に背を向けました。

テスの後頭部に、チェス盤が投げつけられました。

チェス盤は大気のクッションに受け止められ、テスの頭の真後ろで静止しました。

テスは足を止め、もう一度振り向きました。その足のすぐ後ろに、チェス盤が落ちました。

サロンに口を利く人はなく、静まり返っています。

柱時計が静かに振り子の音を立てています。

一団の中心人物らしき、チェスをしていた男が言葉を放ちました。
お前、言葉つかいか。
そうだ。
どこの支部に属している。
支部?
一団のうちの一人がわざとらしく唸りました。
協会に入ってない奴がいるのか……。
困るんだよなあ、勝手にそういう商売されちゃあよ。
商売はやってない。
そういうことは関係ないんだよ。協会の認定資格もないくせに勝手に言葉の力を使ってるのが問題なんだよ。
…………。
……使えるから使ってた。資格がいるとは知らなかった。
知らなかったで済むと思って――
中心人物が立ち上がると、その男は黙りました。
どうやら、新人に礼儀を教えてやらねばならんようだな。

まずは上下関係からだ。業界のしきたりを体で教えてやる。

甲板(かんぱん)に出ろ、小僧。

テスはできるだけ申し訳なさそうに見えるように、男の目を見返しました。
今は、この人を寝かせてやってほしい。

男も、船内でことを起こすつもりはないようです。

「ふん」と鼻を鳴らしました。

明日、零刻(れいこく)をすぎたら第一甲板で待ってろ。
……。
わかった。

ただ一度浅く頷いて、テスは男に背を向けました。

サロンから出るとき、背中に男の声がぶつかりました。

逃げるなよ!

お前、どこにいても見つけだしてやるからな!

隠れても無駄だってこと、覚えとけよ!

テスは、今度は振り向きませんでした。
―つづく―
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