8-2

文字数 2,730文字

……意識を取り戻してからも、テスはしばらく目を開けられませんでした。

体は重く、だるく、ようやく瞼をこじ開ければ、ベッドに仰向けに寝かされていること、そして……。

……拘束されていることがわかりました。

ひどく静かです。

白い正方形の石を貼りあわせた天井に、水の波紋が揺れています。

ゆっくり両手に力を入れてみると、思わず呻き声が漏れました。

ずきずきと痛む両手は頭上に上げられ、両手首を縛られています。

ベッドの枠に縛り付けられているのです。

引っ張ってみても動きません。

体のあちこちを動かしてみます。
(どこも折れてはいないか)
(落ちるときに受け身を取ったんだな……たぶん)

光がくる方向へ、テスは顔を向けました。

十歩の距離に壁があり、壁には六つの窓が並んでいます。

壁の両端には、戸がないアーチ型の出入り口が口を開けています。

その向こうは廊下で、光は廊下の窓から差しているのでした。

窓の向こう、朱色に透き通る光の柱が、雲の波間から降りていました。
テスは目を細め、ゆっくり瞬きます。

すると、足許(あしもと)のアーチ型の出入り口から、一つの影が部屋に忍び寄って来ました。

人かと思いましたが……

っ……
人ではありません。

その影は(かぎ)型の(くちばし)を備え、大きな丸い頭をしています。

首を覆う羽毛が風にそよいでいます。

丸く膨らんだ胸。

人間のように二足で歩むもの。

(鳥! 鳥!!)

テスは、その影の主が黄色と黒の猛禽(もうきん)の目をしていることを想像しました。

それが歩み寄り、姿を見せ、拘束されたテスを観察する様を想像しました。

(こっちに来てくれ! 頼むから)
(姿を見せてくれ――)
ですが、影はゆっくり引いていき、部屋の入り口からも、廊下からも消えてしまいました。
………………。

部屋の中から衣擦(きぬず)れの音が聞こえたのは、そのときでした。

テスは部屋の奥側に顔を向けました。

壁際(かべぎわ)で、女が椅子に座っていました。

まっすぐ伸びた金糸のような髪が、顔の両脇に垂れています。

窓や入り口から差す光の当たらない場所にいますが、色白で端正な顔や、長い髪そのものが眩しく見えました。

女は目を閉じていました。

膝の上の両手は編み針を持っています。

編まれた赤い毛糸の布が女の膝に広げられ、傍らの小さな円卓には、赤い毛糸玉が乗っています。

……………………。
地獄は暗闇に満ちた場所だと考えておりました。
抑揚に欠けた、人間みの薄い喋りかたです。

ゆえに、私は暗闇を恐れましたが、それは間違っていました。

地獄は暗闇よりも恐ろしい、真っ黒い太陽が燦々(さんさん)と輝く場所でした――。

女が手首を上げます。
右手で円卓の縁を探り、次にその上の毛糸玉の位置を確かめました。

左手は膝の上の編み物の上をたどり、その終端を掴みます。

(目が見えていないのか……)
そして私は、むしろ暗闇を求めるようになりました。
(俺はどうなるんだ? こうして捕らえられているということは、侵入者として扱われているんだろう。取り調べを受けるか……)
(……拷問されるか……)
私たちが滅ぶとき、まずは色彩が死に、次に輪郭が、最後に言語が死ぬのです。
テスの生唾を飲む音が聞こえたのか、聞こえなかったのか、女は話し続けます。

色彩が死んで、真っ黒い太陽が燦々と輝く地獄では、人間の体も炭のように真っ黒で、枯れ木のように痩せ細り、暑く、その黒さに恐れおののいて、私は汗と涙に濡れながら、家へと帰っていきました。

私は黒さを洗い流そうと、シャワーの栓を捻りました。

湯は出ず、水を浴び、タイルの上を黒く染まった水が流れ、排水口に吸い込まれていきます――。

テスは女の無表情を見続けるしかありませんでした。
――そして、体をこすればぼろぼろ崩れて輪郭が死んでいき、恐怖に泣き叫びます。

針と編み物をテーブルに置き、女は慎重に立ち上がりました。

全身を白い(きぬ)で覆っています。

()り足で、一歩ずつ足許(あしもと)を確かめながら、テスのベッドにやって来ます。

物を言おうにも、テスの乾いた喉からは、弱々しい息の音と呻き声が漏れるばかりでした。

その呻き声で、女はテスの頭がある位置を把握したようです。

テスの顔のすぐ横に膝をついて、覗き込むように顔を寄せてきます。

私は望む闇を得ました。

息を詰めているテスの前髪に触れ、額を撫でました。

左の眉をなぞり、思わず閉じた左目の睫毛(まつげ)を指先で慈しみ、鼻筋を通って唇に指を押し当てます。

そのまま顎へと指を這わせ、顎から頬へ、頬から耳へと輪郭を確かめます。

ですが、あなたが美しい若者であることはわかります。

女の手が布団の中に入ってきて、服の上からテスの胸を撫でました。

その感触で、薄手の服に着替えさせられていることがわかりました。

女の手はテスの胸を二、三度撫で回し、鳩尾(みぞおち)へ。

(へそ)へ。

下腹部へ。

身を屈め、顔を寄せてきます。
唇が触れ合う直前、テスは声を絞り出しました。
やめろ。
女が動きを止めました。
テスの頬と鼻と目の上に、ばさりと女の髪が落ちました。思わず目を閉じます。
ややあって、廊下で少年の声が響きました。
アルネカ様?

階段があり、その下から呼んでいるのだと、反響の仕方でわかりました。

声変わりが終わったばかりの少年といった感じです。

女の髪と気配が呼気と共に遠ざかり、テスは目を開けました。

女は声の調子を変えることなく呼びかけ、立ち上がりました。顔はじっとテスに向けたままです。
リーユー、来なさい。

間もなく階段を上がる足音。

そしてまた、影が廊下から迫り、足許の出入り口を染めて部屋に入り込みました。

今度は実体ある者が現れました。

薄手のチュニックを纏う少年です。

リーユーです。参りました、アルネカ様。
ヤトかティルカを呼びなさい。二人のうちのどちらかに、客人(まれびと)の案内をさせなさい。

リーユーと目があいました。彼は初めてテスが目覚めていることに気がついたようです。

見開かれた目には、敵愾心(てきがいしん)にも近い警戒心が読みとれました。

………………。
侵入者の縄を解けとのご命令ですか?
その声にはありありと、不信の色が滲み出ています。
私の指示に疑問を抱いてはいけません。
リーユーが、さっと目を伏せます。
()の者を客として扱うことを、神はお望みです。私が呼べと言った者を呼びなさい。縄は彼らに解かせます。
(おお)せのままに、アルネカ様
リーユー。
アルネカと呼ばれる女は、言葉を重ね、少年を引き留めました。
ニハイに優しくなさい。

リーユーが動揺するのがテスにも見て取れました。

顔が赤く見えるのは、赤い空の光を浴びているからだけではないようです。

少年は感情を殺した声で答えました。

はい、アルネカ様。
―つづく―
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