独裁者とその信者
文字数 3,731文字
「立ち話もなんですし、少し移動しましょう」
女性は歩き出し、アランは無言でその後を追う。ベルカは、廊下を真っ直ぐ進んだ後で左に曲がり、出入口が大きくとられた部屋に入った。
その部屋には、背もたれの無い椅子が幾つも用意され、左側の壁へ沿うようにして自販機が設置されていた。また、部屋の奥には壮年の男性が居り、彼は椅子に座って二人の様子を窺っている。
ベルカは、その男性に会釈をすると、自販機に近い椅子へ腰を下ろした。また、アランも彼女の近くに在る椅子へ座り、そのままベルカの話を待つ。
「この部屋に並んでいるのが、先程お話しした自販機です。また、ここでは職員同士の談話も可能です」
ベルカの話を聞いたアランと言えば、一列に並べられた自販機を横目で見やる。
「とは言え、長居や大声、物を壊すと言った行為は禁止です」
それを聞いたアランは眉根を寄せ、溜息混じりに呟いた。
「最後は禁止だろ、普通」
すると、近くに座る者にはそれが聞こえたのか、ベルカは淡々と言葉を返した。
「世間一般で言う普通や常識は、ここでは通用しませんので」
それを聞いたアランは、一瞬ではあるが目を丸くした。
「さて、本題に入りましょうか」
ベルカは、そう伝えると大きく息を吸い込んだ。
「この施設は、大きく分けて三つの区画に別れています。個々人の部屋が並ぶ居住区、様々な実験が行われる実験棟。そして、この場所や食堂と言った公共の場所です」
ベルカは、そこまで言ったところで部屋の入口を一瞥する。
「居住区は、文字通り職員一人一人が住まう区域です。個々人に与えられたカードで、自室に入ることが可能となっています。掃除等は、担当職員が行いますが、それ以外で他人が入ることは先ずありません」
それを聞いたアランは、片目を瞑ってゆっくり開いた。
「また、その際に使用済みのタオル等は交換されます。制服も、脱衣場に用意された籠に入れておけば、回収の後に担当者が洗濯します。制服以外の衣類は、手洗いするか、これからご案内する場所で行って下さい」
アランは小さく唸り、ベルカは不思議そうに首を傾げた。
「何か分かりにくい点が御座いましたか?」
その問いにアランは頷き、浮かんだ疑問を口にする。
「制服は……ってことは、籠に他のもんが入ってたらまずいのか?」
「いいえ、問題はありません。ただ、制服以外の衣類は名前も入っておりませんし、回収する際には籠に残されます」
それを聞いたアランと言えば、どこか安心した様子で息を吐いた。
「赤の他人に下着を洗われるのは、抵抗がある方も多いですから。そうは言っても、制服を洗わないまま仕事をされるのも困るので、そう言う決まりになっております」
アランは人差し指を立て、それをゆっくり回し始めた。
「つーことは……食堂のトレイみてえに、使ったら使ったままだった奴が居たってことか」
アランの推測を聞いたベルカは小さく頷き、それから苦笑いを浮かべてみせる。
「はい。汚れが目立たないにしても、やはり臭い等は迷惑になりますし。しかし、そう言った臭いと言うのは、得てして当人だけが気付かないものですから」
ベルカは、そこまで言って言葉を切り、静かに息を吸い込んだ。
「それに、ニコライ様は綺麗好きですので。何日も着続けた服で歩き回られるのは、とても不快だそうです」
二つ目の理由を聞いたアランは小さく頷き、その仕草を見たベルカは言葉を加える。
「ニコライ様あっての施設ですから。あの方に拾われなければ、生きることさえ叶わなかった方は多々居ります。貴方が育った孤児院。そこで暮らす子供達も、間接的ではありますが助けられた筈です」
その話を聞いたアランは、何も言わずに頷いた。一方、ベルカは安心した様な表情を浮かべて言葉を続ける。
「ご理解頂けたなら幸いです。個人の自由等と喚き立て、施設内での決まりを守らない方には、相応の処罰を受けて頂かなければなりませんので」
ベルカの話を聞いたアランと言えば、驚きのせいか目を見開いた。しかし、彼はそれを悟られまいとしてか目を瞑り、それからゆっくりと目を開く。
「処罰と言っても、何をしたかによって重さが変わります。また、それはニコライ様の裁量によるところが大きいです」
ベルカは、そこまで言ったところでアランの目を見つめた。それは、聞き手が彼女の話を理解したかを問うている様で、アランは数拍の間を置いてから答えを返す。
「決まりは守るさ。決まりを破ってまで処罰を受けたいなんて、唯のマゾだろ」
そう言って、アランは舌を出してみせた。この際、ベルカは彼の話を理解出来ていないのか首を傾げ、アランは慌てて言葉を加える。
「いや、今のは忘れてくれ。決まりは、ちゃんと守る」
アランは、そう言うと気まずそうに目線を泳がせた
「かしこまりました。それでは、説明を続けますね」
ベルカは、そう言うと目を瞑り、大きく息を吸い込んだ。
「担当の者が洗いますので、面倒がらずに制服は毎日変えること。仕事前には身なりを整えること。歯ブラシ等、必要なものは掃除の際にチェックされ、適宜新しいものに変えられます。ですから、汚れたものを使い続ける必要もありません」
ベルカは、そこまで言って目を開き、更なる説明を加えていく。
「寝具は、基本的に個々人で洗って頂きます。ですが、余りにも汚れや臭いが目立つ場合、強制的に回収されます。また、そうして回収された場合は、呼び出されてお叱りを受けることになりますので」
そう説明すると、ベルカは柔らかな笑みを浮かべた。一方、アランは目を細め、どこか投げやりに話し始める。
「つまり、叱られたくなきゃ洗えってことか」
その一言を聞いたベルカは、直ぐに肯定の返事をなした。
「はい。洗う頻度も、それ程高くはありませんし。それ位は、個々人で洗って頂かねばと」
ベルカは、そう返すとゆっくり息を吸い込んだ。
「本来、自分のことは自分で……と言うのが普通かも知れません。しかし、この施設では個々人に合った仕事を全力でやって頂けるよう。また、分担することによって一人一人の負担を減らし、雇用は増やすようにと、今のシステムが作られました」
ベルカは、そこまで言うと苦笑し、やや声を押さえて話を続ける
「裏を返せば、担当する仕事以外の事は、あまり得意でない方も多々居ます。単純作業は得意でも、会話がまるで成立しないなど」
ベルカは、そう言うと目を伏せ、細く息を吐き出した。
「ですが、それぞれに事情を抱えているので、出来ないからと言って責めないで下さい。人によっては、収拾が付かない位暴れかねません」
アランは、少しの間を置いてから頷いた。すると、ベルカは安心したように目を細め、手の平をそっと胸に当てる。
「それは良かった。流石は、ニコライ様が選んだお方です」
その一言に、アランは訝しげな表情を浮かべた。
「世の中には、苦労を経験しなかったせいか、出来ないことで他者を見下し暴言を吐く方も居りますから。そう言った方は、正直私も苦手です。誰にだって、得手不得手は御座いますでしょう?」
その問いを聞いた者は頷き、自らの考えを述べ始める。
「そうだな。俺だって得意なことも有りゃ苦手なことも有る。でも、自分が得意だからって、出来ない相手に威張り散らす……なんてのは、やりたくねえな」
アランは、そう返すと腕を組み、ゆっくり息を吐き出した。一方、そんな彼の仕草を見たベルカと言えば、小さく頷き手を下ろした。
「それを聞いて安心しました。ここには、外の世界では生き辛い方が沢山居ます。多くの人が当り前に出来ることだからと、出来ないだけで仕事にありつけない。逆に、一種の才能に秀でているものの、認めてくれる場所がない。または、その才能のせいで妬まれ疎遠される……そう言った人間にとって、この施設は生きる為の場所であり、救いなのです」
そう話すベルカの目線は真っ直ぐで、嘘を吐いているようには感じられない。そのせいか、アランは思わず疑問を口にした。
「ベルカもそうなのか?」
その問いに、ベルカは困惑した様子を見せる。この為、アランは気まずそうに言葉を加えた。
「悪かった。聞かれたく無いこと位、誰にだって有るよな。どうも俺には、デリカシーってのが無いらしい」
アランは、そう言うと自嘲気味の笑みを浮かべる。一方、ベルカは何事も無かったかの様に話を始めた。
「さて、そろそろ移動しましょうか。先程お話した、個々人で洗濯が出来る場所にご案内します
ベルカは、そう言うと立ち上がり、そそくさと廊下の方へ向っていく。この為、アランは慌てて彼女の後を追い掛けた。その後も、ベルカによる施設の説明が続けられた。しかし、それは実験練を除いてのもので、共有部分の説明を終えた後、ベルカはアランを部屋の前まで送り届けた。
「私からの説明は、これで終わりです。実験練の説明は、日を改めて他の者が行います。ですから、明日の朝食を終えたら部屋で待機していて下さい」
ベルカは、そう言うとアランの目を見つめ、それから深々と頭を下げた。対するアランは彼女に礼を述べ、それを聞いたベルカは静かに部屋の前から離れていく。
女性は歩き出し、アランは無言でその後を追う。ベルカは、廊下を真っ直ぐ進んだ後で左に曲がり、出入口が大きくとられた部屋に入った。
その部屋には、背もたれの無い椅子が幾つも用意され、左側の壁へ沿うようにして自販機が設置されていた。また、部屋の奥には壮年の男性が居り、彼は椅子に座って二人の様子を窺っている。
ベルカは、その男性に会釈をすると、自販機に近い椅子へ腰を下ろした。また、アランも彼女の近くに在る椅子へ座り、そのままベルカの話を待つ。
「この部屋に並んでいるのが、先程お話しした自販機です。また、ここでは職員同士の談話も可能です」
ベルカの話を聞いたアランと言えば、一列に並べられた自販機を横目で見やる。
「とは言え、長居や大声、物を壊すと言った行為は禁止です」
それを聞いたアランは眉根を寄せ、溜息混じりに呟いた。
「最後は禁止だろ、普通」
すると、近くに座る者にはそれが聞こえたのか、ベルカは淡々と言葉を返した。
「世間一般で言う普通や常識は、ここでは通用しませんので」
それを聞いたアランは、一瞬ではあるが目を丸くした。
「さて、本題に入りましょうか」
ベルカは、そう伝えると大きく息を吸い込んだ。
「この施設は、大きく分けて三つの区画に別れています。個々人の部屋が並ぶ居住区、様々な実験が行われる実験棟。そして、この場所や食堂と言った公共の場所です」
ベルカは、そこまで言ったところで部屋の入口を一瞥する。
「居住区は、文字通り職員一人一人が住まう区域です。個々人に与えられたカードで、自室に入ることが可能となっています。掃除等は、担当職員が行いますが、それ以外で他人が入ることは先ずありません」
それを聞いたアランは、片目を瞑ってゆっくり開いた。
「また、その際に使用済みのタオル等は交換されます。制服も、脱衣場に用意された籠に入れておけば、回収の後に担当者が洗濯します。制服以外の衣類は、手洗いするか、これからご案内する場所で行って下さい」
アランは小さく唸り、ベルカは不思議そうに首を傾げた。
「何か分かりにくい点が御座いましたか?」
その問いにアランは頷き、浮かんだ疑問を口にする。
「制服は……ってことは、籠に他のもんが入ってたらまずいのか?」
「いいえ、問題はありません。ただ、制服以外の衣類は名前も入っておりませんし、回収する際には籠に残されます」
それを聞いたアランと言えば、どこか安心した様子で息を吐いた。
「赤の他人に下着を洗われるのは、抵抗がある方も多いですから。そうは言っても、制服を洗わないまま仕事をされるのも困るので、そう言う決まりになっております」
アランは人差し指を立て、それをゆっくり回し始めた。
「つーことは……食堂のトレイみてえに、使ったら使ったままだった奴が居たってことか」
アランの推測を聞いたベルカは小さく頷き、それから苦笑いを浮かべてみせる。
「はい。汚れが目立たないにしても、やはり臭い等は迷惑になりますし。しかし、そう言った臭いと言うのは、得てして当人だけが気付かないものですから」
ベルカは、そこまで言って言葉を切り、静かに息を吸い込んだ。
「それに、ニコライ様は綺麗好きですので。何日も着続けた服で歩き回られるのは、とても不快だそうです」
二つ目の理由を聞いたアランは小さく頷き、その仕草を見たベルカは言葉を加える。
「ニコライ様あっての施設ですから。あの方に拾われなければ、生きることさえ叶わなかった方は多々居ります。貴方が育った孤児院。そこで暮らす子供達も、間接的ではありますが助けられた筈です」
その話を聞いたアランは、何も言わずに頷いた。一方、ベルカは安心した様な表情を浮かべて言葉を続ける。
「ご理解頂けたなら幸いです。個人の自由等と喚き立て、施設内での決まりを守らない方には、相応の処罰を受けて頂かなければなりませんので」
ベルカの話を聞いたアランと言えば、驚きのせいか目を見開いた。しかし、彼はそれを悟られまいとしてか目を瞑り、それからゆっくりと目を開く。
「処罰と言っても、何をしたかによって重さが変わります。また、それはニコライ様の裁量によるところが大きいです」
ベルカは、そこまで言ったところでアランの目を見つめた。それは、聞き手が彼女の話を理解したかを問うている様で、アランは数拍の間を置いてから答えを返す。
「決まりは守るさ。決まりを破ってまで処罰を受けたいなんて、唯のマゾだろ」
そう言って、アランは舌を出してみせた。この際、ベルカは彼の話を理解出来ていないのか首を傾げ、アランは慌てて言葉を加える。
「いや、今のは忘れてくれ。決まりは、ちゃんと守る」
アランは、そう言うと気まずそうに目線を泳がせた
「かしこまりました。それでは、説明を続けますね」
ベルカは、そう言うと目を瞑り、大きく息を吸い込んだ。
「担当の者が洗いますので、面倒がらずに制服は毎日変えること。仕事前には身なりを整えること。歯ブラシ等、必要なものは掃除の際にチェックされ、適宜新しいものに変えられます。ですから、汚れたものを使い続ける必要もありません」
ベルカは、そこまで言って目を開き、更なる説明を加えていく。
「寝具は、基本的に個々人で洗って頂きます。ですが、余りにも汚れや臭いが目立つ場合、強制的に回収されます。また、そうして回収された場合は、呼び出されてお叱りを受けることになりますので」
そう説明すると、ベルカは柔らかな笑みを浮かべた。一方、アランは目を細め、どこか投げやりに話し始める。
「つまり、叱られたくなきゃ洗えってことか」
その一言を聞いたベルカは、直ぐに肯定の返事をなした。
「はい。洗う頻度も、それ程高くはありませんし。それ位は、個々人で洗って頂かねばと」
ベルカは、そう返すとゆっくり息を吸い込んだ。
「本来、自分のことは自分で……と言うのが普通かも知れません。しかし、この施設では個々人に合った仕事を全力でやって頂けるよう。また、分担することによって一人一人の負担を減らし、雇用は増やすようにと、今のシステムが作られました」
ベルカは、そこまで言うと苦笑し、やや声を押さえて話を続ける
「裏を返せば、担当する仕事以外の事は、あまり得意でない方も多々居ます。単純作業は得意でも、会話がまるで成立しないなど」
ベルカは、そう言うと目を伏せ、細く息を吐き出した。
「ですが、それぞれに事情を抱えているので、出来ないからと言って責めないで下さい。人によっては、収拾が付かない位暴れかねません」
アランは、少しの間を置いてから頷いた。すると、ベルカは安心したように目を細め、手の平をそっと胸に当てる。
「それは良かった。流石は、ニコライ様が選んだお方です」
その一言に、アランは訝しげな表情を浮かべた。
「世の中には、苦労を経験しなかったせいか、出来ないことで他者を見下し暴言を吐く方も居りますから。そう言った方は、正直私も苦手です。誰にだって、得手不得手は御座いますでしょう?」
その問いを聞いた者は頷き、自らの考えを述べ始める。
「そうだな。俺だって得意なことも有りゃ苦手なことも有る。でも、自分が得意だからって、出来ない相手に威張り散らす……なんてのは、やりたくねえな」
アランは、そう返すと腕を組み、ゆっくり息を吐き出した。一方、そんな彼の仕草を見たベルカと言えば、小さく頷き手を下ろした。
「それを聞いて安心しました。ここには、外の世界では生き辛い方が沢山居ます。多くの人が当り前に出来ることだからと、出来ないだけで仕事にありつけない。逆に、一種の才能に秀でているものの、認めてくれる場所がない。または、その才能のせいで妬まれ疎遠される……そう言った人間にとって、この施設は生きる為の場所であり、救いなのです」
そう話すベルカの目線は真っ直ぐで、嘘を吐いているようには感じられない。そのせいか、アランは思わず疑問を口にした。
「ベルカもそうなのか?」
その問いに、ベルカは困惑した様子を見せる。この為、アランは気まずそうに言葉を加えた。
「悪かった。聞かれたく無いこと位、誰にだって有るよな。どうも俺には、デリカシーってのが無いらしい」
アランは、そう言うと自嘲気味の笑みを浮かべる。一方、ベルカは何事も無かったかの様に話を始めた。
「さて、そろそろ移動しましょうか。先程お話した、個々人で洗濯が出来る場所にご案内します
ベルカは、そう言うと立ち上がり、そそくさと廊下の方へ向っていく。この為、アランは慌てて彼女の後を追い掛けた。その後も、ベルカによる施設の説明が続けられた。しかし、それは実験練を除いてのもので、共有部分の説明を終えた後、ベルカはアランを部屋の前まで送り届けた。
「私からの説明は、これで終わりです。実験練の説明は、日を改めて他の者が行います。ですから、明日の朝食を終えたら部屋で待機していて下さい」
ベルカは、そう言うとアランの目を見つめ、それから深々と頭を下げた。対するアランは彼女に礼を述べ、それを聞いたベルカは静かに部屋の前から離れていく。