価値が有るは母体に非ず
文字数 2,648文字
シュランゲから説明を受けた翌日、アランは彼から指示された通りに餌を探してワゴンへ乗せた。餌やワゴンの置かれた部屋では何人かが仕事をこなしていたが、彼らとは軽く挨拶を交わす程度だった。その後、アランはワゴンを押しながらゆっくりと移動し、「A-083」と書かれたプレートを発見する。彼は、そのプレートが填められた部屋の前で立ち止まり、前日教えられた通りにドアを開けた。
開けたドアを片手で押さえ、もう一方の手で餌を乗せたトレイを持ち上げる。アランは、そうしてから一歩進み、自然にドアが閉まるのを待った。廊下側のドアが閉じた後、アランはトレイを持ったまま閉ざされた空間で呼吸を整えた。そして、餌を運ぶ為に内側のドアを開け、静かに部屋へと入っていく。
アランが入った部屋の奥には、一人用のベッドが置かれていた。また、その上では女がドアに背を向けて横たわっていた。その女は、薄い桃色の服を着せられており、茶色い髪は短く切られている。また、逃走防止の為に裸足で、白く細い足が服から覗いていた。
それを見たアランは、トレイを手に持ったまま部屋を見回した。この時、部屋にはベッド以外の家具は無く、アランは女の顔の前へトレイを置く。すると、女は目線だけを動かしてアランを見た。一方、アランは冷静を装いながらベッドへ置いたトレイを指し示す。
「餌だ」
アランは、それだけ言って顔を背けた。そして、他に何も言わぬまま、バスルームのある方へと向かう。
女はアランを目で追った後、ベッドの上で餌を食べ始めた。一方、アランはバスルームをゆっくりと見回し、異常が無いことを確認してから扉を戻す。アランは、女が食べ終わったのを確認してから、トレイをベッドの端に置き直した。そして、前日に説明された通りの手順を追い、軽くなったトレイを持って退室する。
一つの仕事を終えたアランは、トレイをワゴンに置くと閉めたばかりのドアに背中を預けた。彼は、その姿勢のまま深呼吸をし、手を何度か開閉させる。
アランは、そうしてからワゴンとトレイを片付けるべき場所まで持っていった。そして、使い終えたそれらの物を元あった場所へ返すと、次の仕事をするべくマクシムの元へと向かう。この際、仕事はマクシムの手によって既に進められており、餌を配って回る役目も程無く達した。その為、二人は休憩場所へ向かい、アランは疲れた様子で椅子に腰を下ろした。
「お疲れの様ですね」
マクシムは、そう言うとアランの目を見つめた。
「やはり、慣れない仕事は大変ですか」
マクシムは首を傾げ、アランは彼に肯定の返事をなす。
「はい。詳しいことは話せませんが……どうにも妙に疲れます。力仕事でもなければ、頭脳労働でも無い筈なのに」
そう言って、アランは気まずそうに苦笑する。
「仕方ないですよ。慣れるまでは、何事もそう言うものでしょうから」
マクシムは、そう言うと顎に手を当て、話を続けた。
「慣れてさえしまえば、後は単純作業になるでしょう。研究職で無い以上、ただ餌を与えるだけの仕事でしょうから」
彼の話を聞いたアランは、少しの間を置いてから口を開く。
「そうだと思います。始めは慣れないから疲れるだけで、経験を積めば違ってくるでしょうね」
アランは、そう返すと小さく息を吐き出した。その後、二人の間には幾らかの会話があり、時間はゆっくりと過ぎていった。そうして休んだ後、二度目の餌やりをアランはこなした。彼は、その日以降も与えられた仕事を淡々とこなしていき、大きな問題もなく月日は流れていく。
半年が経った頃には、アランはすっかり与えられた仕事に慣れていた。ただ淡々と餌を運び、与え、片付ける。それを繰り返す日々に慣れていた。
時が過ぎるに従って、その慣れは彼が長年培ってきた何かを蝕み、新たな感情を芽生えさせていく。しかし、それが表面に表れるよりも前に、その時は来てしまった。
「A-083も、そろそろ頃合いだよね」
そう話すニコライの前には、彼に呼び出されたシュランゲの姿が在った。
「どう? ちゃんと取り出せそう?」
ニコライは、そう問うと細めた目でシュランゲを見つめる。一方、それを聞いた男性と言えば、胸元に手を当ててニコライを見つめ返した。
「はい、それに関しては問題ありません。今までに何度も経験させて頂きましたから」
シュランゲは、そこまで言って笑顔を作った。
「そうなら良いけどね。間違っても、何人かも分からない位くわえ込んだ道は通さないでよ? あの道は穢らわし過ぎて、お客様に申し訳ないから」
そう吐き捨てると、ニコライは冷たい笑みを浮かべる。
「美しき見た目に惹き付けられる者が居ようとも、その身は穢れに満ちている。だが、その穢らわしいモノごと引き摺り出し、その穢れを清らかなる刃で切り裂いて、その切り裂かれた隙間から無垢なる命を取り上げる。そう、何も知らぬ罪なき命を!」
ニコライは、そう言い放つと腕を上方へ大きく伸ばした。
「そう、それでA-083の命が尽きようとも構わない。新たな命さえ無事に、穢れを知らぬまま取り出せれば問題は無いんだ!」
この時、話し手の頬は紅潮し、伸ばした腕は震えていた。彼は、腕の震えを抑える様に、大きな左手で右腕を強く握る。
「どうせ、取っておくのは首から上だけだ。不要となったA-083の部位がどうなろうと、知ったことではない」
ニコライは、腕を机の上に置いた。
「君が目的を果たしたなら、後はパールスに任せれば良い。そう、君は君の目的を果たしさえすれば良いんだ」
そう言って笑顔を作ると、ニコライは片目を瞑ってシュランゲを見る。この際、彼の対面に立つ者と言えば、事務的に肯定の返事だけをなした。
「じゃあ、オペは任せたよ? アラン君には、事後報告で良い」
ニコライは目を細め、首を傾げた。一方、シュランゲはそれを了承し、深く頭を下げてから退室する。
シュランゲが去った後、ニコライは椅子の背もたれに体を預けた。彼は、そうしてから肘掛けに腕を乗せ、ゆっくり息を吐き出した。
「ああ、僕は楽しみで仕方無いよ。君がどう壊れてくれるのか、考えただけでも興奮するんだ」
そう言葉を漏らすと、ニコライは天井を見上げて小さく笑った。
「君が、今まで保ってきたもの。それがどうなるのか、とっても楽しみなんだ。それを確かめる為、その為だけに、僕は一年以上も待ったんだよ?」
ニコライは、そこまで言って目を瞑り、そのまま幾らかの言葉を漏らした。
開けたドアを片手で押さえ、もう一方の手で餌を乗せたトレイを持ち上げる。アランは、そうしてから一歩進み、自然にドアが閉まるのを待った。廊下側のドアが閉じた後、アランはトレイを持ったまま閉ざされた空間で呼吸を整えた。そして、餌を運ぶ為に内側のドアを開け、静かに部屋へと入っていく。
アランが入った部屋の奥には、一人用のベッドが置かれていた。また、その上では女がドアに背を向けて横たわっていた。その女は、薄い桃色の服を着せられており、茶色い髪は短く切られている。また、逃走防止の為に裸足で、白く細い足が服から覗いていた。
それを見たアランは、トレイを手に持ったまま部屋を見回した。この時、部屋にはベッド以外の家具は無く、アランは女の顔の前へトレイを置く。すると、女は目線だけを動かしてアランを見た。一方、アランは冷静を装いながらベッドへ置いたトレイを指し示す。
「餌だ」
アランは、それだけ言って顔を背けた。そして、他に何も言わぬまま、バスルームのある方へと向かう。
女はアランを目で追った後、ベッドの上で餌を食べ始めた。一方、アランはバスルームをゆっくりと見回し、異常が無いことを確認してから扉を戻す。アランは、女が食べ終わったのを確認してから、トレイをベッドの端に置き直した。そして、前日に説明された通りの手順を追い、軽くなったトレイを持って退室する。
一つの仕事を終えたアランは、トレイをワゴンに置くと閉めたばかりのドアに背中を預けた。彼は、その姿勢のまま深呼吸をし、手を何度か開閉させる。
アランは、そうしてからワゴンとトレイを片付けるべき場所まで持っていった。そして、使い終えたそれらの物を元あった場所へ返すと、次の仕事をするべくマクシムの元へと向かう。この際、仕事はマクシムの手によって既に進められており、餌を配って回る役目も程無く達した。その為、二人は休憩場所へ向かい、アランは疲れた様子で椅子に腰を下ろした。
「お疲れの様ですね」
マクシムは、そう言うとアランの目を見つめた。
「やはり、慣れない仕事は大変ですか」
マクシムは首を傾げ、アランは彼に肯定の返事をなす。
「はい。詳しいことは話せませんが……どうにも妙に疲れます。力仕事でもなければ、頭脳労働でも無い筈なのに」
そう言って、アランは気まずそうに苦笑する。
「仕方ないですよ。慣れるまでは、何事もそう言うものでしょうから」
マクシムは、そう言うと顎に手を当て、話を続けた。
「慣れてさえしまえば、後は単純作業になるでしょう。研究職で無い以上、ただ餌を与えるだけの仕事でしょうから」
彼の話を聞いたアランは、少しの間を置いてから口を開く。
「そうだと思います。始めは慣れないから疲れるだけで、経験を積めば違ってくるでしょうね」
アランは、そう返すと小さく息を吐き出した。その後、二人の間には幾らかの会話があり、時間はゆっくりと過ぎていった。そうして休んだ後、二度目の餌やりをアランはこなした。彼は、その日以降も与えられた仕事を淡々とこなしていき、大きな問題もなく月日は流れていく。
半年が経った頃には、アランはすっかり与えられた仕事に慣れていた。ただ淡々と餌を運び、与え、片付ける。それを繰り返す日々に慣れていた。
時が過ぎるに従って、その慣れは彼が長年培ってきた何かを蝕み、新たな感情を芽生えさせていく。しかし、それが表面に表れるよりも前に、その時は来てしまった。
「A-083も、そろそろ頃合いだよね」
そう話すニコライの前には、彼に呼び出されたシュランゲの姿が在った。
「どう? ちゃんと取り出せそう?」
ニコライは、そう問うと細めた目でシュランゲを見つめる。一方、それを聞いた男性と言えば、胸元に手を当ててニコライを見つめ返した。
「はい、それに関しては問題ありません。今までに何度も経験させて頂きましたから」
シュランゲは、そこまで言って笑顔を作った。
「そうなら良いけどね。間違っても、何人かも分からない位くわえ込んだ道は通さないでよ? あの道は穢らわし過ぎて、お客様に申し訳ないから」
そう吐き捨てると、ニコライは冷たい笑みを浮かべる。
「美しき見た目に惹き付けられる者が居ようとも、その身は穢れに満ちている。だが、その穢らわしいモノごと引き摺り出し、その穢れを清らかなる刃で切り裂いて、その切り裂かれた隙間から無垢なる命を取り上げる。そう、何も知らぬ罪なき命を!」
ニコライは、そう言い放つと腕を上方へ大きく伸ばした。
「そう、それでA-083の命が尽きようとも構わない。新たな命さえ無事に、穢れを知らぬまま取り出せれば問題は無いんだ!」
この時、話し手の頬は紅潮し、伸ばした腕は震えていた。彼は、腕の震えを抑える様に、大きな左手で右腕を強く握る。
「どうせ、取っておくのは首から上だけだ。不要となったA-083の部位がどうなろうと、知ったことではない」
ニコライは、腕を机の上に置いた。
「君が目的を果たしたなら、後はパールスに任せれば良い。そう、君は君の目的を果たしさえすれば良いんだ」
そう言って笑顔を作ると、ニコライは片目を瞑ってシュランゲを見る。この際、彼の対面に立つ者と言えば、事務的に肯定の返事だけをなした。
「じゃあ、オペは任せたよ? アラン君には、事後報告で良い」
ニコライは目を細め、首を傾げた。一方、シュランゲはそれを了承し、深く頭を下げてから退室する。
シュランゲが去った後、ニコライは椅子の背もたれに体を預けた。彼は、そうしてから肘掛けに腕を乗せ、ゆっくり息を吐き出した。
「ああ、僕は楽しみで仕方無いよ。君がどう壊れてくれるのか、考えただけでも興奮するんだ」
そう言葉を漏らすと、ニコライは天井を見上げて小さく笑った。
「君が、今まで保ってきたもの。それがどうなるのか、とっても楽しみなんだ。それを確かめる為、その為だけに、僕は一年以上も待ったんだよ?」
ニコライは、そこまで言って目を瞑り、そのまま幾らかの言葉を漏らした。