仕事のチュートリアル

文字数 4,086文字

 朝になり、アランはベッドの上で目を開いた。彼は、顔を動かして時計を見、現在の時刻を確認する。

 すると、時計の短針はほぼ真下を示しており、長針は真上からやや右に傾いていた。それを見たアランはゆっくりと上体を起こし、大きな欠伸をしてから立ち上がる。その後、彼は椅子に掛けた上着を手に取った。そうしてから、アランはポケットからカードを取り出し机に置く。
 
 彼は上着を持って浴室へ向かい、立ったままそれを籠に投げ入れた。アランは、着ていた服を脱いでシャワーを浴び、制服を新しいものに変える。それから、新しい上着にカードを入れると食堂へ向かい、朝食を終えた後で部屋に戻った。アランが部屋に戻ってから一時間が経っても、彼の部屋を訪れる者は居なかった。この為、彼は手持無沙汰そうに体を動かし、仕舞にはベッドに手をついて腕立て伏せを始める。
 
 アランの体が温まってきた頃、彼の部屋にはドアを叩く音が響いた。この為、アランは短い返事をなすとドアを開け、訪問者の顔を確認する。彼の部屋を訪れた者は細身の男性で、アランよりは年上の様だった。また、アランに比べて背は低く、茶色い髪には白髪が混じっている。

 訪問者の男性は、アランの姿を上から下へと確認し、咳払いをして話し始めた。
 
「はじめまして、アランさん。ベルカから、話は聞いていると思います」
 訪問者は、そう言うと制服の胸ポケットに手を入れた。彼は、そのポケットから紐の付いた透明のカードケースを取り出しアランに手渡す。

「どうぞお使い下さい。カードの紛失を防げますよ」
 そう話す者の首からは、アランに手渡したものと同じケースが下げられている。ケースに入れられたカードには名前が記載されており、アランは素早くそれを確認してから礼を述べた。
 
「それでは、実験棟に向かいましょう」
 男性は、そう伝えるとアランに背を向けて歩き始めた。一方、アランは直ぐに彼の後を追い、二人は無機質な廊下を進んでいった。

 暫く歩いた後、男性は黒いパネルが埋め込まれた壁の前で立ち止まる。彼は、首に掛けていたカードをパネルに当て、それからアランの方を振り返った。
 
「カード認証後、パネルに手を当てて解錠します。アランさんのカードはまだ未登録ですので、今日は私に付いてきて下さい」
 男性は、そう言うとパネルの左側に手を触れた。すると、壁は低い音をたてて動き始め、それを確認した男性はアランの目を無言で見つめる。この為、アランは男性に近付き、その後について廊下を進んだ。スライド式ドアを越えた先の廊下は、それまでよりも広くなっていた。また、壁紙は薄い緑色をしており、床は汚れが落ちやすいように光沢のある素材が使われている。
 
 アランは男性の動きを見ながら廊下を進み、二人は一番近くに在る部屋へと入った。その部屋に窓は無く、金属製の机や椅子が並べられている。また、机の上には武骨なコンピューターが置かれており、男性はそのうちディスプレイのあるものの前に腰を下ろした。

「少々お待ち下さいね」
 男性は、そう言うとコンピューターを立ち上げ、手元にあるキーボードで操作を始める。一方、アランは立ったまま次の指示を待ち、軽く室内を見回した。室内には、アランが見たことのない機械ばかり置かれ、そのせいか彼は何処かつまらなそうに息を吐く。
 
 暫くして、男性はキーボードから手を離してアランを見上げた。彼は、自身が操作するコンピューターに繋がっている箱を指し示し、その中に手を入れるようアランへ伝える。その箱は黒い色をしており、側面には横に長い穴が開いていた。また、その上部には黄緑色のランプが点いており、点灯していないランプも並んでいる。
 
 アランは、掌を下にして箱に手を入れ、それを見た男性は操作を再開する。すると、点灯していなかったランプも点灯し始め、それが再度消えたところで男性は口を開いた。

「登録が完了しました。もう、手を抜いて構いませんよ」
 それを聞いたアランと言えば、ゆっくりと箱から手を出した。一方、男性はキーボードで幾らか入力をしてから立ち上がる。
 
「次からは、先程私がやった様にして入って下さいね」
 男性の指示を聞いたアランは肯定の返事をなし、二人は小部屋から立ち去った。その後、二人は廊下を進んでいき、突き当たりまで行ったところで右に曲がる。

 それから、男性はテーブルや椅子ばかりが並べられた部屋に入った。その部屋のドアには会議室と書いてあり、壁の一辺にはホワイトボードが埋め込まれている。また、その部屋にも窓は無く、アラン達が入室したところで蛍光灯は光り始めた。細身の男性と言えば、入室して直ぐにホワイトボードに近い椅子へ腰を下ろす。彼は、アランへ自分の対面に座るよう伝え、赤髪の男はそれに従った。
 
「それでは、基本的な説明をしますね」
 男性は、そう言うと自らのカードを指先で摘む。

「実験棟は、このカードが無ければ出入り出来ません。また、家畜が逃げ出した場合、それが捕獲されるまで実験棟への出入りは不可能になります」
 それを聞いたアランと言えば、怪訝そうに眉根を寄せた。しかし、男性はそれに構うことなく話を続ける。
 
「家畜の首には、脱走を防止する為の首輪が付けられています。それが、家畜の生活区域以外に移動した場合、センサーが反応して警報が鳴ります。そういう事故は、なるべく起こらない様にしてはいますが……そうなった場合は、捕獲をお願いしますね」
 男性は、そう言うとカードから手を離し息を吸い込む。

「他にも、アランさんには暴れる家畜を押さえて頂いたり、餌やりをして頂いたりすることになります。特に、ここに来たばかりの家畜は、良く暴れようとするので捕捉をお願いします。鎮静薬を打つという手段も有りますが、それはなるべく控えたいですから」
 そう言って男性は目を瞑り、数拍の間を置いてから目を開いた。
 
「初めは色々と慣れないでしょうし、小さなことでも疑問が有ったら聞いて下さい。すれ違ったまま仕事を続けるのは、事故を起こすリスクが高まりますから」
 それを聞いたアランは肯定の返事をなした。一方、説明者は安心した様子で頷き、更なる話を続けていく。

「それでは、簡単に説明をしますので、その後で実際に餌やりをしてみましょうか」
 男性は、そう言うとホワイトボードの前に立った。彼は、そうしてからボードに円を書き、それに手を加えて容器の様な絵を描く。
 
「食堂の、食べ残し用バケツは見ましたよね」
 言いながら、男性は先程書いた円に向けて矢印を書く。そして、矢印の根元に『残飯』と書くと、アランの顔を見下ろした。

「あれ、毎回それなりに溜まります。でも、あれを棄てるのは勿体無いでしょう?」
 男性は、そう言ってからボードに向き直る。彼は、そうしてから円から伸びる矢印を書いた。
 
「ですから、栄養管理が必要ない家畜にそれを与えます。残飯とは言え、元はちゃんとした料理ですから、栄養面でも大きな問題は無いとされています」
 言いながら、矢印の先に『家畜』と書き、男性はペンに蓋をしてアランに向き直る。

「何か質問は?」
 そう問われたアランと言えば、ホワイトボードに書かれた内容を見ながら言葉を発した。
 
「その……家畜というのは、やはり」
「ええ。ここに集められた、弱い者にしか粋がれない屑のことですよ」
 男性の回答を聞いたアランは、思わず手を握り締めた。しかし、自らの感情を顔には出さず、再度質問を投げかける。
 
「もしかして、バケツを食堂に取りに行くのも仕事」
「いいえ。バケツは、専用の運搬通路から運ばれてきます。それをミキサーにかけて粉々にし、攪拌された残飯を餌皿に入れて配るのが仕事です」
 アランの話を遮って言うと、男性は指先で円から伸びる矢印を示す。
 
「残飯の入ったバケツは、大人が通れない幅の通路を介して実験棟側に渡されます。それを、受け取って頂ければ」
 男性は、そう伝えると再度ボードに矢印を書く。その矢印は、今まで書いた図の下に書かれ、左から右に向かっていた。その後、新たな矢印の左側には「食堂」、右側には「実験棟」という単語が加えられる。また、それと逆向きの矢印も記入され、その下には「洗浄後返却」と書かれた。
 
「バケツは、空にしたら洗浄し、専用通路を使って食堂へ返します。こちらに置いたままでは、何かと不便ですから」
 男性は、そこまで説明したところでアランの目を見つめた。一方、アランは少しの間を置いてから口を開く。

「大体の流れは分かりました。ですが、残飯だけで必要量を賄えるのですか?」
 アランの問いを聞いた者は小さく笑い、それから足を肩幅に開いて腕を組む。
 
「栄養管理が必要ない家畜の餌ですから。足りようが過剰であろうが構いません」
 男性は、そこまで言って言葉を切り、目を瞑ってから話を続けた。

「同情や憐憫は不要です。何分、空腹を訴える小さな子供に、食べ物を与えなかった屑が相手なのですから」
 それを聞いたアランは目を見開き、それからどこか呆れた様子で言葉を発する。
 
「成程。その屑共が、今迄にやってきたことでしたか。それが自分の身に返ってきても、文句を言う権利すら無いと」
 アランの話を聞いた者は頷き、右手の人差し指を立てて話し始める。

「そういうことです。ただ、虐げられ続けても尚、怒りをこちらに向けず悔悛すれば、救いがあるかも知れません。まあ、私の知る限り、今までにそう言ったことは御座いませんでしたが」
 男性は、そう言うと溜め息を吐いてみせた。一方、アランは何も言うことなく、男性の話を聞き続けている。
 
「そもそも、悔悛出来る様な方なら、ここに運ばれてすら来ませんからね」
 男性は、そう言ってホワイトボードに向き直った。彼は、そうしてからボードに書かれた文字を消し始める。

「では、実際に仕事を始めましょう。そろそろ、残飯も溜まってきたでしょうから」
 そう言って手の汚れを払い、男性はアランの姿を見下ろした。一方、アランは彼の考えを察して立ち上がり、二人は会議室を後にした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

アラン


ガチムチ脳筋系の兄貴キャラ。
それでいて上の指示には従順な体育会系な為に社畜と化す。

純真な心が残っている為、それで苦しむが、何が大切かを決めて他を切り捨てる覚悟はある。

ニコライ的には、瞳孔が翠で良い体格の(おっちゃんなもっとデカなるでな)理想的な茶トラ人間バージョン。
なので気にいられてる。

ニコライ・フォヴィッチ


裏社会で商売している組織のボス。
ロシアンブルーを愛する。

猫好きをこじらせている。
とにかく猫が好き。
話しながら密かにモフる位に猫が好き。
昔はサイベリアンをモフっては抜け毛で毛玉を育てていた系猫好き。
重症な猫好き。
手遅れな猫好き。
猫には優しい。
猫には甘い。
そんな、ボス。

アール


ニコライの側近。
眼鏡でエルとは瓜二つ。
服も支給品の同じスーツなので、見分けは右にある黒子。

ニコライ的にはタキシード模様の猫その1。
黒い毛並みを維持する為の投資は厭わない。

エル


ニコライの側近。
眼鏡でエルとは瓜二つ。
服も支給品の同じスーツなので、見分けは左にある黒子。

ニコライ的にはタキシード模様の猫その2。
黒い毛並みを維持する為の投資は厭わない。

青猫
ニコライの愛猫。
専用の部屋を持つ部下より好待遇なお猫様。
ロシアンブルーだからあまり鳴かない。
そこが気に入られる理由。
専属獣医も居る謎待遇のお猫様。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み