オファーの理由

文字数 4,118文字

「飲み終わった? それじゃ、少しだけど休憩になったし、続けようか」
 そう言って、ニコライはアランの顔を見つめた。アランは無言で頷き、ニコライは大きく息を吸った。

「資金援助を受けてスペアを作っている訳だけど、色々と面倒事も有るんだよね。だって、当人に腹を強く叩かれたりしたら、流れちゃうかも知れない。そうしたら、また高い薬品を使ってやり直ししなきゃならない。ストックが有ればまだ良いけど、依頼主から再度細胞を提供して貰うなんて事になったら、信用に関わる」
 ニコライは淡々と説明をし、それをアランは無言で聞いている。
 
「で、研究員以外に誰か世話係が欲しくてさ。こう、人が良さそうな見た目の子」
 そう言うと、ニコライは口角を上げてみせた。対するアランは、驚いたのか口を僅かに開け、少しの間を置いてから言葉を発する。

「俺、そんなに人が良さそうな見た目ですかね? たまにとは言え、子供を泣かせたこともありますし」
 アランに対し、ニコライは穏やかな笑みを浮かべてみせた。
 
「君、さっき自分のことを嘘がつけない人間だって言ってたじゃない? 上手く説明出来ないけど、そういうのが滲み出ているんだよね。子供が泣いたのだって、体格差があったからだろうし」
 アランと言えば、何も言わずに瞬きの数を増やす。

「研究者ってギスギスしているっていうか……まあ、顕微鏡を覗き込んで、細かい作業をし続けていたらそうなるのも無理はないかも知れない。だけど、それがなくても、やっている事がやっている事だからね。嫌われて当然の役なんだよ」
 そう言って目を瞑ると、ニコライは細く息を吐いた。
 
「だから、そこに君が入って緩衝材みたいな感じで。まあ、あくまで奴らが自暴自棄にならない程度でね。深入りして、一緒に逃げ出そうなんて思わない程度に」
 そこまで説明したところで冷たく笑い、ニコライは対面に立つ者の目を見つめた。

「緩衝材……ですか。今までの経験からして、相手に深入りはしないでしょう。何分、俺も良い歳です。何十年も生きていれば、どうしたって汚い部分も沢山見る羽目になりますから。ですが、だからこそ上手く出来るかどうか……いえ、やれるだけのことはやらせて頂きます」
 そう返すと、アランは気まずそうに苦笑する。一方、ニコライは軽く笑い、抑揚のない声で言葉を紡いだ。
 
「何、簡単なことだよ。動物だって、餌をくれる人には懐くでしょ。普段から酷い扱いばかり受けているからこそ、ちょっとでも優しくされたら心の拠り所にしちゃうんだ。何も無いよりは、少しでも……って」
 そう話す者の目は酷く冷たく、その視線を真っ向から受けるアランは体を震わせる。そして、その震えに気付いているのかいないのか、ニコライは尚も話を続けていった。
 
「ま、実験段階なら心が壊れていたって良いんだけどね。拘束しておけばどうにかなるんだし。商品化ともなると、下手な雌を使えないから」
 紅茶を飲むと、ニコライは目を細めて息を吐く。

「たかが媒体とはいえ、健康体じゃないと良いスペアも作れないでしょ? いずれは、その臓器が依頼主に移植されるかも知れないのに。折角スペアを作り上げたとしても、それが不良品じゃ元も子もないからね。ああ、そうそう。そのスペアのお世話については、依頼主によって指示が変わってくる。だから、それについてはまだ秘密……ね?」
 そう話すと口角を上げ、ニコライはアランの目を真っ直ぐに見つめる。対するアランは暫くの間を置いてから肯定の返事をなし、彼の返事を聞いたニコライは安心した様子で目を瞑った。
 
「良かった、分かってくれて。個人情報が満載だからね、下手にそれを広めたくないし」
 ニコライは、そこまで伝えたところで目を伏せ、ゆっくりと息を吐き出した。

「この施設に集められた奴らの臓器も状況に応じて売るんだけど、そこは説明する必要も無いよね。特に珍しい話でも無し」
 そう言って書類を指先でつつくと、ニコライは顔を上げてアランを見つめる。
 
「後は、まああれだね。新薬を試してみたり、新しい治療法を生み出そうとしてみたりかな。普通の施設じゃ、倫理的にどうこう言われる実験。実験内容は日に日に変わっていくけど、君の仕事は暴れる奴を大人しくさせれば良いだけだから深く考える必要は余りない。多少の怪我をさせても、実験が出来さえすれば問題ないからね」
 そこまで説明をしたところで、ニコライは楽しそうな笑みを浮かべる。一方、彼の笑みを見たアランは密かに歯を食いしばり、無言のまま話を聞き続けた。
 
「最終的に、新兵器の的になって貰ったりもするけど、それだって生きてさえいればどうにでもなるし。例えるなら、こんな感じかな? 高級な卵を産む雌鳥は、商品となる卵の為だけに大切に扱われる。だけど、それ以外の鶏は、肥やすためだけに臭い餌を与え続けられ、運動を物理的に制限される。そうして育った鶏の肉質が悪かろうと、肉をミンチにして濃い味付けで誤魔化してしまえば良い。だから、肉が不味くなるレベルのストレスを与えていようと改善をしない。肉を大量に食べる国なら、平然とやってのける育て方じゃない?」
 そう問うと、ニコライは首を傾げてみせた。しかし、問われた者は緊張のせいか声を出せず、ニコライは冷たく笑って話を続ける。
 
「人間と動物を一緒にするな? 確かに、それが一般的な意見だろうね。だけど、人間と動物って、どれだけ違うのかな?」
 そこまで言って言葉を切り、話し手は紅茶を一口飲んだ。

「二足歩行? 文明? 言語? 僕には良く分からないんだよね、人にも色々居るんだし。動物より価値のない奴だって当然居る。君だって、あいつさえ居なければ……って人、誰かしら居たでしょ? 人間の汚ない部分を知る位に、長く生きてきたんだし」
 ニコライは、そう言うとアランの考えを窺う様に目を見つめる。対するアランは難しい表情を浮かべ、呟くように話し始めた。
 
「ええ。俺は、聖人でもなんでもないですからね。そう言う考えが浮かんだのは、一度や二度じゃないですよ」
 そう返すと、アランは自重気味に笑ってみせた。一方、ニコライは大きく頷き、それからゆっくりとした話し方で言葉を発する。

「だよね。人間ってのはそう言う生物だ。第一、昔は平然と人間を商品として扱っていた訳だし。今は、人道的理由? とかで表立ってはやれないけど」
 そこまで言って目を瞑り、ニコライは長く息を吐き出した。
 
「同じ人間である筈なのに、肌の色が違うからって道具として売買する。昔は、そう言う商売が罷り通っていた訳だ。でも、その人達に何の罪が有ったんだろうね? あらゆる権利を奪われる程のさ」
 ニコライは、そう言うと片目を開け灰色の瞳でアランを見つめた。そして、彼は口角を上げてみせると、尚も話を続けていく。

「だからさ、そう言うのよりはマシだよね? だって、ここへ集められた奴等には、幼い子供達を虐めた罪が有る訳だし。それ相応の扱いを受けても、文句は言えないよねえ?」
 その話を聞いた者は無言で頷き、それに気を良くしたのか話し手は楽しそうな笑顔を浮かべる。
 
「良かった。拒否反応を起こされたら、どうしようかと思ったよ。第一、一つの微細な罪悪は百の善行で償われるんだし、奴らのお陰で他の沢山の命が助かるならそれで良いと思わない?」
 そう問い掛けると、ニコライは考えを窺うようにアランの目を見つめた。すると、アランは僅かに目を伏せ、問いに対する答えを話し始める。

「そう……ですね。他人に害をなす奴より、生きていれば役立つ人間の方が大事です」
 アランは、そう返すと質問者の顔を見つめた。彼に見つめられた者と言えば、どこか勝ち誇った様な笑みを浮かべ、テーブルの引き出しに手を伸ばす。
 
「今日の話は、これでお終い」
 そう話しながら、ニコライは引き出しから紙製の封筒を取り出した。その封筒のサイズは机上の書類より一回り大きく、円形のパーツへ紐を巻くことによって閉じられる様になっているものだった。

「ここまでの移動や慣れない話で疲れたろうし、君の部屋で一休みすると良い。部屋までの案内はさせるからさ」
 そう言うと、ニコライは封筒に書類を収めてアランの方へ差し出した。この際、署名がなされた書類は封筒に入れられておらず、ニコライはそれを左手で軽く覆った。話し手の仕草を見たアランと言えば、手に持ったままのカップを机上のトレイに置き封筒を受け取る。 
すると、ニコライは目を細め、にこやかな笑顔を浮かべてみせた。
 
「お疲れ様、アラン君。君の活躍を期待しているからね」
 それを聞いたアランは頭を下げ、踵を返して退室しようとした。すると、それを察したかの様にアールがドアを開け、アランは彼に対して礼を述べる。

「またね、アラン君?」
 その一言を聞いた者は、反射的にニコライの居る方を振り返った。しかし、彼は何を言うでもなく部屋を去り、アールは無言でドアを閉める。
 それから暫くして、ニコライは机上の書類を手に取った。彼は、その書類を見ながら楽しそうに笑い、今までより高い声で話し出す。
 
「名前を書く前に、ちゃんと読まなきゃ駄目だよねえ? 幾ら、小さい字で書いてあるっていってもさ。一応、文字は読めるみたいだし」
 ニコライは、そう言うと書類の中程を指先で差す。

「意識の有無に関わらず、身体の全てを捧げることを了承します」
 書類に書かれた一文を読み上げると、ニコライは声を出さずに冷笑する。
「馬鹿だよねえ? こんな内容を見過ごすなんて。まるで、悪魔との契約みたいな内容なのにさ」
 そう言うと、ニコライは書類を左に立つ者へ手渡した。
 
「ま、そう言っちゃうと、僕こそが悪魔なんだけどね」
 ニコライは、自嘲気味に言い放つと舌を出した。彼は、数秒舌を出した後でカップに手を伸ばし、口を上に向けて残った紅茶を注ぎ込む。

「ともあれ、これで契約は成立だ。裏切る素振りを見せたら、どうとでも出来る」
 ニコライは、そう言うと左手を伸ばしてティーカップをトレイの上に置いた。すると、それを見たアールは電子端末を取り出し、また何処かへと連絡を始める。
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登場人物紹介

アラン


ガチムチ脳筋系の兄貴キャラ。
それでいて上の指示には従順な体育会系な為に社畜と化す。

純真な心が残っている為、それで苦しむが、何が大切かを決めて他を切り捨てる覚悟はある。

ニコライ的には、瞳孔が翠で良い体格の(おっちゃんなもっとデカなるでな)理想的な茶トラ人間バージョン。
なので気にいられてる。

ニコライ・フォヴィッチ


裏社会で商売している組織のボス。
ロシアンブルーを愛する。

猫好きをこじらせている。
とにかく猫が好き。
話しながら密かにモフる位に猫が好き。
昔はサイベリアンをモフっては抜け毛で毛玉を育てていた系猫好き。
重症な猫好き。
手遅れな猫好き。
猫には優しい。
猫には甘い。
そんな、ボス。

アール


ニコライの側近。
眼鏡でエルとは瓜二つ。
服も支給品の同じスーツなので、見分けは右にある黒子。

ニコライ的にはタキシード模様の猫その1。
黒い毛並みを維持する為の投資は厭わない。

エル


ニコライの側近。
眼鏡でエルとは瓜二つ。
服も支給品の同じスーツなので、見分けは左にある黒子。

ニコライ的にはタキシード模様の猫その2。
黒い毛並みを維持する為の投資は厭わない。

青猫
ニコライの愛猫。
専用の部屋を持つ部下より好待遇なお猫様。
ロシアンブルーだからあまり鳴かない。
そこが気に入られる理由。
専属獣医も居る謎待遇のお猫様。

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