力で支配する者は何時か力で支配される側に堕ちる

文字数 6,116文字

「おはようございます、アランさん。昨日は良く眠れました?」
「おはようございます。良く眠れた……と言えば嘘になりますが、時間的には十分眠れました」
 アランは、そう返すとマクシムの目を見つめて首を傾げた。
 
「マクシムさんは、良く眠れましたか?」
 それを聞いたマクシムは頷き、白衣を身に付けながら話し始めた。

「ええ、良く眠れましたよ。ここでの生活も長いですし」
 マクシムはロッカーを閉め、白衣の襟を整えた。

「さて、仕事を始めますか。今日も、何事もなく過ぎれば良いですね」
 マクシムは、そう言うと口角を上げてアランを見つめた。そうしてから、二人は残飯で餌を作り配っていく。
 
 一通り配り終えたところで、二人は連れ立って資料室へ向かって行った。彼らは、資料室に入ると会話用の部屋へ入り、そこで向かい合う様にして椅子に座る。すると、数分ほど経ったところでスピーカーが甲高い音を立て、それに気付いたアランは僅かに目を見開いた。一方、マクシムはスピーカーの方へ顔を向け、そこから発せられる音を聴き逃すまいとした。
 
「マクシムさん、アランさん、資料室のカウンター迄お越し下さい。繰り返します、マクシムさん、アランさん、資料室のカウンター迄お越し下さい」
 それを聞いたマクシムは立ち上がり、アランを見下ろして口を開いた。

「カウンターまで向いましょうか。まだ案内をしていませんし、良い機会です」
 それを聞いたアランは頷き、立ち上がってから言葉を発した。
「はい。ご丁寧に有難うございます」
 それを聞いたマクシムは微笑み、それから会話用の部屋を出た。その後、彼を追う様にしてアランも部屋を出、二人はカウンターへと向かって行く。
 
 資料室のカウンターでは、二人の男性が椅子に座って待機していた。彼らは、アラン達と同様に白衣を身に付けており、その内一人が黒色の封筒を手にしていた。また、二人の男性は共に眼鏡を掛けており、硝子越しの眼差しはどこか冷たい。そして、マクシムがカウンター前に立つと封筒を持った男性が立ち上がり、笑顔を作って話し始めた。
 
「お待ちしておりました、マクシムさん。お連れの方は」
「ええ、御察しの通りです」
 男性の声へ被せるように話し、マクシムはアランの方に顔を向けた。すると、封筒を持った男性もアランの方に顔を向け、表情を変えずに会釈をする。それから、その男性は顔の向きを正面に戻し、封筒をマクシムに手渡した。マクシムへ伸ばされた手には白い手袋が嵌められ、それは男性の手首でしっかりと留められている。
 
「これが、お渡ししたかった資料です」
 それを聞いたマクシムは男性へ礼を言い、アランと目線を合わせてからカウンターを離れた。すると、封筒を渡し終えた男性は腰を下ろし、アランはマクシムの後を静かに追う。
 会話部屋に戻った二人は、元の席に腰を下ろした。また、先程受け取った封筒は二人の間に置かれており、マクシムは一息ついてから封筒の中身を取り出した。
 封筒の中身は一部をクリップで止めた書類で、それは二つに分けられている。マクシムは、その表紙をざっと読んでから口角を上げ、どこか楽しそうに話し始めた。
 
「おや、今回は雄雌の両方ですか」
 それを聞いたアランは首を傾げ、マクシムは彼が疑問に思ったであろうことを説明し出した。
「ここに送られてくる屑共のことですよ。アランさんは、保護の仕事をやられた経験もお有りですから御存じでしょうが、虐待者って雌の方が多いんですよね。まあ、雄の場合は生まれる前に逃げることも出来ますし……雌だけで育てる方が、雄だけで育てるより多いのは不自然なことではないでしょう? それと、単身で育てる方が虐待をする確率が高い。ですから、揃っているのは少々珍しくて」
 そう言って目を瞑り、マクシムはゆっくり息を吸い込んだ。
 
「この書類には、送られてくる屑共の情報が書かれています。今回は複数ですが、何時もと言う訳ではありませんね」
 そこまで言って目を開き、マクシムは書類の片方をアランに手渡す。
「この表紙には、屑共の年齢や性別が書かれています。そして、それ以降には犯した罪が。この罪については、説明するより実際に読んで頂いた方が早いでしょうね」
 マクシムは、そう説明すると手元に残した書類を読み始めた。この為、アランも彼に倣って書類を捲り、そこに書かれた内容を黙読する。書類を読むマクシムの表情は次第に険しくなり、彼はそれを読み終えたところで大きな溜め息を吐いた。その後、アランも渡された書類を読み終え、二人は持っていた紙の束を交換する。
 
 それから暫くして、二人は交換した資料をも読み終えた。この為、彼らは資料を机上に置いて顔を見合わせ、マクシムは低い声で話し始める。
「全く、酷いものです。殴る蹴ると言った暴行の上、歩き回らないようベッドに縛り付けておくとは……愛しむ心が少しでもあれば、出来ることでは無いですよ」
 マクシムは、そう言うと深い溜め息を吐いた。一方、アランは太腿の上に置いた手に力を込め、苦しそうに言葉を発する。
 
「ええ。抵抗しようもない子供相手によくも……これ、子供はどうなったのですか?」
 その問いを聞いたマクシムは目を細め、それからアランの疑問に答えを返した。
「どうなったかは、早ければ明日にでも分かるでしょう。生きたまま保護出来たとして、医者に診せなければ分からないことも有りますから。これは、捕獲が決定した屑の情報であって、子供を保護するのはこれからの話なのですよ」
 マクシムは、そう言うと細く息を吐いた。彼の話を聞いたアランと言えば悔しそうに唇を噛み、その対面に座る者は尚も話を続けていく。
 
「子供が助かろうと助かるまいと、虐待者はここへ運ばれてくる手筈です。子供が亡くなっていたとして、弔うことなら出来ますし……放置していたら、屑共はまた罪を犯すでしょうから」
 そう話すマクシムの目は何処か虚ろで、何かを諦めているようでもあった。
「そして、連れてこられた屑達には、担当の者から幾つかの質問がなされます。そこで反省をしているかを聞くらしいのですが……反省するどころか、質問者に対して怒鳴る方が多いそうです。まあ、簡単に反省する様なら、子供に重傷を負わせる等しないでしょうし」
 マクシムは、そう言うと口を閉じ、鼻からゆっくりと息を吐く。
 
「怒鳴るのは、雄の割合が多いそうです。怒鳴ってみせれば、相手が怯むとでも思っているのでしょうか? 抵抗の出来ない子供相手なら、それで良いようにも出来たでしょう。ですが、こちらもそれが分かっているので、怯むことは無いそうです」
 そこまで説明したところで言葉を切り、マクシムは大きく息を吸い込んだ。
「それに対して雌は、泣き落そうとしてきたり、被害者ぶってきたりもするそうです。悲劇のヒロインを演じるのに、年齢は関係ないようですよ。親を選べない子供に対し、相手を選ぶことが出来れば、行為に及ぶかどうかも選べると言うのに……大した根性です」
 マクシムは、そう言うと嘲笑を浮かべた。その表情に温かみは感じられず、アランは僅かに体を震わせる。
 
「そして、保護する前に子供が亡くなっていた場合、有無を言わせず実験体になります。生き返らせることなど不可能ですから、反省しても遅いですし」
 事も無げに言うと、マクシムは机上の書類を見下ろした。
「また、雄の場合は、その多くを使い捨ての実験体にするそうです。雌の場合は、実験体の他に稼げる方法が有りますので、送られてくる割に実験棟に残る数は多くないです」
 そう言って書類を手に取り、マクシムは淡々と言葉を続けた。
 
「ニコライ様曰く、子を育てる気は無いのに子を成す行為が好きであるのなら、望み通りにしてあげよう……と。いやはや、屑共のことさえ気遣うとは、何とも優しいお方ですよ」
 それを聞いたアランは微苦笑するが、何かを言うことはしなかった。そのせいか、マクシムは尚も話を続けていく。
「私達の仕事は、屑共の処分が決定した後ですね。始めのうちに、抵抗は無駄だと教えなければなりませんし。屑共は拘束された状態で運ばれて来ますが、ずっとそのままの姿勢でいれば実験に供せない体になりかねませんから」
 そう伝えると、マクシムは持っていた書類を封筒に仕舞った。彼は、そうしてからもう一つの書類を指先で掴む。
 
「拘束は続けるにせよ体勢は変える。その際、暴れられても困るので、押さえ込む為に力の有る人間が必要ですから」
 そう言って書類を揺らし、マクシムはアランの顔を見た。一方、アランはマクシムと目を合わせてから書類を一瞥し、細く息を吐き出した。
 
「きつく縛り続けたせいで組織が壊死し、それによって全身の状態が悪くなる可能性も有ります。ですから、調節が必要なんですよね。まあ、拘束を解く度に暴れる場合も有るので、その場合はまた別の話ですが」
 マクシムは、そう言うと口角を上げ目を細めた。そして、彼は持っていた書類を封筒に仕舞い机上に置く。
 
「やるべき仕事は、大体理解しました。ですが、ここに留まるかすら未定なのに、捕まえてさえいないうちから情報を?」
 それを聞いたマクシムは目を細め、それから落ち着いた声色で説明を始める。
「憎しみは、時間と共に育っていきますからね。直前に聞くよりも、より屑共を憎むことが出来る。そして、人は憎む相手を傷付ける事を、快楽とさえ感じることがあります」
 そう言って口角を上げ、マクシムは言葉を付け加えた。
 
「まあ、これはニコライ様の受け売りですがね」
 マクシムは、そう言ったところで微笑し、手に持った封筒を見下ろした。
「あ、そうそう。読み終わったら、封筒毎返却します。私達が持ち続けても仕方無いですし、不要になった際に処分するのは彼らの仕事ですから」
 それを聞いたアランと言えば、腕を伸ばして封筒を掴んだ。そして、彼はマクシムの目を見つめ、柔らかな声で言葉を発する。
 
「でしたら、俺が持って行きますよ」
 そう言って封筒を上に引き、アランはそれを手元に引き寄せた。対するマクシムはやや驚いた表情を浮かべ、それからアランの目を見つめ返す。
「それではお願いします。カウンターに行って、その封筒を渡してきて下さい」
 その指示を聞いたアランと言えば、肯定の返事をしてから立ち上がった。彼は、その後直ぐにカウンターへ向かい、そこで封筒を男性に渡す。そうしてからアランはマクシムの元へ戻り、先程まで居た席に腰を下ろした。この時、マクシムはアランの姿を目で追っており、対象の動きが落ち着いたところで口を開いた。
 
「アランさんは、テストステロンというホルモンをご存知ですか?」
 突然問われた者は目を丸くし、苦笑しながら問いに答えた。
「聞いたことは有りますが……詳しく説明しろと言われても、無理ですね」
 それを聞いたマクシムは微笑み、それからゆっくりと説明を始める。
「筋肉を増大させたり、ある衝動を増進させたりするホルモンです。また、闘争本能を高める作用もあるらしいですね」
 そこまで言って言葉を切り、マクシムは静かに息を吸い込んだ。
 
「テストステロンは、雄では雄にしかない器官から分泌されます。アンドロゲンと言うホルモンも同じ様な作用を持ち、同じ様な場所から分泌されます」
 そう言って机上で手を組み、マクシムは口角を上げてみせた。
「こんなホルモン、家畜の体内に多く流れていたら、管理するに当たって邪魔でしかないとは思いませんか? 実際、様々な家畜において、純粋な雄のままで居られる個体は限られていると言いますし。第一、ここへ運ばれてくる屑の遺伝子なんて、残したって仕方が無いですからね」
 その話を聞いたアランは息を飲み、何も言わぬまま話を聞き続けた。
 
「ですから、指示が有り次第〇〇を切除してしまいます。雌には無いものですし、無くても生命維持は容易ですからね」
 そう言って目を瞑り、マクシムは細く息を吐き出した。
「これ、小さな内にやった方が効果的ではあるんですよね。ですが、やらないよりは良いですから」
 マクシムは、そこまで話したところで薄目を開けた。そして、軽く笑うとアランの目を見つめ、その考えを窺おうとする。すると、彼の考えを察したのか、アランは戸惑いながらも口を開いた。
 
「切除する理由は、何となく分かりました。ですが、想像するとどうしても……縮み上がると言うか何と言うか」
 それを聞いたマクシムと言えば、微苦笑しながら言葉を発する。
「まあ、始めはそうですよね。でも、その内慣れますよ」
 マクシムは、そう伝えると細く息を吐き、落ち着いた声で言葉を加える。
 
「それに、始めは補助に回って頂きますから。直ぐに手を下すよりは、気持ちの整理もつくでしょう。何分、簡単な処理とは言え、体に刃を入れる訳ですからね。長く生きていれば、経験上お分かりのこととは思いますが、切り口は真っ直ぐの方が治りやすいでしょう?」
 そう問うと、マクシムは笑みを浮かべて首を傾げた。一方、アランは数拍の間を置いてから口を開いた。
 
「確かに、深い傷でも真っ直ぐだと治りやすいですよね……逆に、傷が浅くても擦り傷だと中々治らなかったり」
 それを聞いたマクシムは頷き、目を細めて話を始める。
「ええ。そして、それはどの場所でもそうでしょう? ですから、刃を入れるのに躊躇いが有る内は、なるべく補助に回って頂きたいのですよ。下手な切開のせいで、傷が治らないのは面倒ですから」
 そう言って微笑し、マクシムは聞き手の目を見つめた。対するアランはゆっくりと頷き、それからマクシムの目を見つめ返す。
 
「成る程。躊躇ってしまうと、どうしても一気にやれませんからね。手が震えていたら、酷い結果になるのは自明の理ですし」
 そう言って苦笑し、アランは自らの手を肩の位置まで上げる。その掌にはうっすらと汗が浮かんでおり、彼が緊張していることが窺えた。
「ええ。そして、酷い結果を出せば、その後の管理が面倒になる。屑共が苦しむのは構いませんが、化膿でもしたら完治までの時間が増えますからね」
 事も無げに言うと、マクシムは気怠るそうに息を吐いた。
 
「化膿したせいで実験担当者に指示を仰ぐのも面倒ですし、かと言って放置して叱責を受けるのもご免です。ですから、リスクは最小限にしておきたいんですよね」
 そう加えると溜め息を吐き、マクシムは軽く目を瞑った。彼は、細く息を吐いてから目を開き、対面に座る者の顔を見つめる。
「どんな仕事であれ、リスクは低い方が良いでしょう? リターンが高かろうと、そのリスクで台無しになれば無駄ですから」
 マクシムは、そう伝えると微笑しながらアランの様子を窺った。対するアランは小さく笑い、それから自らの考えを口にする。
 
「確かに、得る物が無ければ労力は無駄になりますからね。リスクが低い程、気持ちも楽ですし」
 そう返すと、アランは口角を上げてみせた。一方、マクシムは満足そうな表情を浮かべ、アランは静かに表情を戻す。その後も二人の間には会話が有り、仕事を終えたところで研究練を出た。
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登場人物紹介

アラン


ガチムチ脳筋系の兄貴キャラ。
それでいて上の指示には従順な体育会系な為に社畜と化す。

純真な心が残っている為、それで苦しむが、何が大切かを決めて他を切り捨てる覚悟はある。

ニコライ的には、瞳孔が翠で良い体格の(おっちゃんなもっとデカなるでな)理想的な茶トラ人間バージョン。
なので気にいられてる。

ニコライ・フォヴィッチ


裏社会で商売している組織のボス。
ロシアンブルーを愛する。

猫好きをこじらせている。
とにかく猫が好き。
話しながら密かにモフる位に猫が好き。
昔はサイベリアンをモフっては抜け毛で毛玉を育てていた系猫好き。
重症な猫好き。
手遅れな猫好き。
猫には優しい。
猫には甘い。
そんな、ボス。

アール


ニコライの側近。
眼鏡でエルとは瓜二つ。
服も支給品の同じスーツなので、見分けは右にある黒子。

ニコライ的にはタキシード模様の猫その1。
黒い毛並みを維持する為の投資は厭わない。

エル


ニコライの側近。
眼鏡でエルとは瓜二つ。
服も支給品の同じスーツなので、見分けは左にある黒子。

ニコライ的にはタキシード模様の猫その2。
黒い毛並みを維持する為の投資は厭わない。

青猫
ニコライの愛猫。
専用の部屋を持つ部下より好待遇なお猫様。
ロシアンブルーだからあまり鳴かない。
そこが気に入られる理由。
専属獣医も居る謎待遇のお猫様。

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