第8話 10月 ナチュラルカーネーション~エビデンス?~
文字数 2,277文字
会場の男達は一斉に猫背のまま振り返って、私を見る。
真ん中の左寄りに座っていた麦倉先輩と八島が、私を見てギョッとしているのを見つけた。
「さきほど、実験で証明されたと聞きました。エビデンスをお願いします」
福ちゃんは首をかしげ、サワちゃんは眉をしかめて呟いた。
「エビデンス?」
会場のオヤジ達が面白がってヒートアップする。
「福ちゃん負けるな」
「サワちゃん、エビデンスだってー」
「2人を困らせるなよー」
私はハッとしてオヤジ達に反論した。
「いえ、困らせようとはしていません、ただエビデンスを」
前の席に座っていた落ち武者みたいな髪型のオヤジが、ニヤニヤしながら振り返って、
「お姉ちゃん、もっとわかりやすく言ってやんないと。あの子達、意味わかんないよ」
私は呼吸を整え、ゆっくり話した。
「あの、実験で証明されたんですよね? 論文や参考文献を教えてください」
サワちゃんが早口で一言。
「私達が実験したわけではないので」
福ちゃんはやや逆ギレ気味。身振り手振りで、
「もしかして疑っているんですか? 効果が出ているのを私は実際にこの目で見ているの! 私は困っている人を助けてあげたいっていう、それだけでやっているの。なんでも疑ってかかってネガティブ思考に囚われていたら、前に進めないのよ?」
話が通じない。ここはパラレルワールドか?
言葉で張り手をされているようだ。こちらは「教えてくれ」と言っているだけなのに。少しはわたしの問いを理解しようと歩み寄ってくれ。わからないなら、「わからない」でいいから。
でも煽られて同調したら負け。感情的になったら泥仕合。落ち着いて事実を伝えよう。
「泉水工業医療大学でも研究していると話していましたが、テラヘルツ波の研究室はあっても、テラバイオヘルツ波動鉱石なんてありません」
そのとき、巨乳ボブがボソッと呟いたのを私は聞き逃さなかった。
「似たようなもんでしょ」
反射的に私は早口で言い放った。
「全然違います。まったく関係ありません」
言ってからふと我に返って、私を見ているお客さん達の顔を見渡した。
不快感を浮かべたナチュカの擁護派は少数。半笑いも少数。ほとんどがポカン顔だった。
八島もその中、バカ面ポカン顔の1人。
麦倉先輩だけが私と目を合わせないようにずっとうつむいたまま。
そんな麦倉先輩を見た私は、つい感情的になってしまったのだ。
「麦倉先輩、いいんですか? 大事な研究なのに、そんな
麦倉先輩の代わりに、間髪入れずに返ってきた八島の言葉は、
「村瀬、やめなよ。みんな素人なんだから、いじめるなよ」
八島うるさい。私の大事な化学を
オヤジ達からヤジ。
「マスクの姉ちゃん、出禁だぞー」
「俺たちはエビデンスなんちゅうもんは求めてないのよ」
「姉ちゃん、ガチンコのプロレスすんなって。俺だってニセ科学だってわかってるって」
会場の端々で失笑が漏れると、波のように広がった。
福ちゃんが呆然とした表情で突っ立っている。
目を見開き私を見つめて、なにか言いたげな口元。さっきまでのけんか腰は一瞬で消えて、迷子みたいな顔をしている。
あれ? もしかして福ちゃんは効能を信じていたのかな。本当に善意だけで売っていたのかな。
それでも、罪の意識があっても無くても、やっていることは一緒だよ。
説明がつかないガラクタを、不安を煽り科学を引き合いに価値あるものとして売るのは詐欺だよ?
ナチュカの女達の表情から読み取れた。代表者とサワちゃんと巨乳ボブは、詐欺だとわかっている確信犯。
残りの福ちゃん、栗色セミロング、研究生は百川先輩が言っていたように洗脳されているのかもしれない。
私は気持ちの収集がつかなくなって、逃げるように会場を後にした。
エレベーターなんて待っていられない。階段を駆け下りる。
またやってしまった。私一人マジになってバカみたい。
夕方4時の鈍色の空の下、大通りを急ぎ足で歩いた。赤信号で止まり、恐る恐る振り返る。
誰もいない。
……麦倉先輩が私を心配して追いかけてくるような気がしていた。恥ずかしい。うぬぼれもはなはだしい。
もうしばらく、麦倉先輩と八島の顔を見たくないな。全然お腹は空いていないけど、早めに夕飯を済ませてしまおう。
それにしても……
八島の呆れ顔、ニヤついたオヤジのガヤ、ナチュカの女のヤンキー対応。
色々あったけど、私にとって一番のショックだったのは、麦倉先輩の知らんぷりだった。
孤立無援の会場で、麦倉先輩だけは味方になってくれる筈と、何故私は思い込んでいたのだろう。麦倉先輩がいつも優しくしてくれるから、勘違いしちゃったじゃない。
7月のオープンキャンパスでは、大人しそうな高校生を捕まえては、パズルを使った離散アルゴリズムを熱っぽく説明していた麦倉先輩。
泉工医大と自分の研究分野への愛が
麦倉先輩はニセ科学なんて嫌悪感しかないと思っていた。ナチュカへ行くのは、実はニセ科学かどうかを検証するためなのではと、勝手に妄想していた。
なんだろう、この感情。裏切られたような、悔しいような、涙が
でも大丈夫。こんなのは傷のうちには入らない。リュウセイ君やスピカちゃんに比べたら。
ダイヤ、ソウル、トウイ、ミサキ、カイの小僧達、エミリ、ミント、キララ、レンちゃん達の日々に比べたら、こんなのはかすり傷にもならない。