第36話 10月 グリちゃん危機一髪①~先輩の浮気疑惑~
文字数 1,764文字
私は初めて服部の顔を正面から見てしまった。
くせ毛の奥、目が血走っている。肌がカサカサ。唇もガサガサで、両端が切れ皮が剥けている部分を指でしきりにいじっている。
カラスを彷彿とさせる、逆三角形の顔。
恐くなってすぐに目をそらした。
「環境の同学の女と8月13日飲みに行ってからホテルに直行しています」
「服部、おまえ、それ誤解を生む言い方」
「だってオギさん、事実は事実じゃないですか。居酒屋さくらに行ったあと駅東のラブホテルミントタイムに行って」
「だってあれは未遂だろ。村瀬さん、百川飲まされて潰されて、休んでいきましょうってホテルに誘導されて、でもホテルには入らなかったんだ。ホテルの入口、土壇場で拒否ってビンタされたんだ。本当だよ村瀬さん、聞いてる?」
「それはオギさんの推測ですよね。未遂だとしてもやろうと思った訳だから、気持ちの上では浮気したも同然。裏切ったと同じ」
「だから、百川だって人間だもん魔が差したんだよ、落ち込んでいて飲みたくなったんだろ、土壇場で正気になったんだからいいじゃないか」
「村瀬さん、相手の女 “もな” っていって、大学じゃヤリマンで有名なんですよ。よくそんなのに手を出した」
「だから出していないんだって」
「オギさん、あのとき一緒に盛り上がったのに、なんで」
「だっておまえ、村瀬さん泣いているだろ」
「あ、村瀬さん、俺なら絶対悲しませるようなことはしないし」
この人は何を言っているのだろう。
あなただけは絶対に無い。
追いかけられて、種原病院に逃げ込んだときの吐き気が蘇ってくる。
「いい加減にしろ!」
ドスの効いた低い声。びっくりして誰かと思ったらササヤンだった。
「本郷さん、説明してあげてください」
ササヤン、怒るとすごく怖い。真顔も怖い。
「はい、はーい、ちょっと待ってね。うちの構成員の記録がある」
構成員? 本郷がスマホで画像を見せてくれた。ハンカチで涙を拭う。
「これが藤田萌奈。巨乳。当時パーマのセミロング。現在就活のため黒髪ストレート。6月頃から百川にアプローチしていた」
画像は遠くて顔まではハッキリわからなかったけど、私より一回りサイズが大きい感じの女だった。
「それまで百川に関心無かったのに、人のものになった途端欲しくなってしまう業の深いタイプ。これ、萌奈の裏垢スクショ」
もなもな〈見かけ倒しもいいとこ ビビって帰ったあのインポ野郎 ぜんぜんつまんない男 期待外れ最悪 これから飲みにいける人いないー?〉
「ほい、これが動画」
遠くて暗いけど、これは諒君だ。ホテルの前なのかな。
あ……ビンタされたっぽい、頬を押さえている。女は道を曲がり見えなくなった。また諒君に戻って、諒君がフラついてコンビニ入ってそこで映像は終わり。
……これ……ヤったらヤったで、『早漏野郎』ってツイートされちゃった可能性が……
晒されちゃっているし、諒君きっと自己嫌悪でかなり落ち込んだだろうな。
これが洗濯物出しっぱなしだった時期の出来事かも。
さっきまでショックで悲劇のヒロイン気分だったけど、だんだん諒君が可哀想になってきた。
実際ホテルに入ってベッドインしてやろうとしたけどできなかったということと、できないと言って断ったというのでは、ニュアンスが大幅に違ってくる。
この画像、ホテルに入る前なのか出てきた後なのか、はっきり言って判別はつきかねるけど……
「諒君、かわいそう」
ついポロッと漏れてしまった。
「やっぱり村瀬さん優しいっす」
オギちゃんがホッとした顔をした。本郷はスマホを見ながら、
「百川を煽っていたヤツがいるみたい。バカみたいに背の高い男。たんぽぽ食堂で構成員が聞いている」
そのままスマホを読み上げる。
「百川さん、せっかくだし喰っちゃったら? 精進料理もいいけど、たまには脂っこいジャンクフードも食べてみたくなりません? だって」
八島だ。人をイラッとさせる名人か。でも八島なんかに煽られる諒君じゃないのに。
「村瀬ちゃんて精進料理なの?」
半笑いの本郷、ムカつく。
「たっ、体型は確かにあっさりし過ぎて精進料理かもしれないけど。頑張っています、私なりに」
ササヤンとオギちゃんが「ええー!」と目を輝かせて私を見る。服部は露骨に顔をしかめた。
もしかして服部ってリアルな下ネタが苦手なのかな?