第3話 8月 民生委員 大山さんの理論
文字数 3,256文字
態度の悪いガキも混ざっている。
遺伝子と環境の悪さの2大コンボの可能性を考慮すると、仕方が無いのかもしれないが。
夏休みの大山さんは忙しい。給食が無いから。
今日も大山さんは、野良猫のようなガキを2人連れてきた。
小さい女の子は消え入りそうに大人しかったが、小学校高学年くらいの男子は口が悪かった。
「これ、ハンバーグじゃないの? 豆腐? やだ、こんなの」
麦倉先輩、百川先輩、八島君は一斉に子どもを
「わがまま言うなら食べるな」
「オマエ、自分の立場わかってる?」
「俺達の畑中さんに謝れ」
その日のメインメニューは豆腐のステーキにキノコの餡かけだった。
「豆腐はタンパク質のかたまりよ。タンパク質はすごいのよ」
いつもは小汚いガキなんて相手にしない私だけど、ついうっかり口を出してしまった。だってタンパク質は尊く、無限の可能性を秘めている。タンパク質はあらゆる場所で活躍できるのよ。
「はぁ? 何言ってんの?」
「タンパク質をとらないと、愚か者になるわよ」
「うるさい、ブス」
このガキ、語彙まで貧困か。
すると大山さんが、
「そんなことを言うもんじゃありませんよ、トウイ君。村瀬さんは薬の研究をしていて、博士になる予定ですからね。もしかしたら、村瀬さんの作った薬に助けてもらうかもしれませんよ」
いやいやいや、まさかまさか、大山さん、みんなの前でそんな、また恐縮して汗が出る。
「みんな、温かいうちにいただきましょう」
うるさい子どもも、大山さんの前では少し素直になる。
たまに中学生らしい子も、ふらっとたんぽぽ食堂に来た。
大山さんが居ないときは、大山さんの名前を出しツケで定食を食べた。
「私にツケておいてください。後できちんと請求してくださいね」
事前に大山さんから聞いてはいたものの、大家さんと畑中さんはちょっと困っている風だった。
大家さんは子ども食堂のような慈善事業をするつもりはないのだが、全部大山さんに支払いをさせると、自分の評判が下がるのでは無いかと考えあぐねているようだった。大家さんはわかりやすいのだ。
畑中さんは大山さんの手助けをしたいと思ってはいるのだが、雇われている身としては権限が無い。
それでも工夫して経費削減を図って利益を出して、大家さんに気がつかれないよう、大山さんへの請求額を少なくしているようだと、百川先輩と八島君が言っていた。さすが金に細かい2人だ。
穏やかな畑中さんには、4人の中高年男性ファンがいる。
その人たちがこっそり差し入れをしているのを見たことがある。
「このニンニクと唐辛子、道の駅で安かったんだ」
「はい、出張のお土産」
「これでまた、鶏つくね鍋作ってよ」
「うちで採れたピーマンと茄子とキュウリ、形は悪いけど」
とか、畑中さんを喜ばせたい一心で。みんな常識人でちゃんと職業があり、厄介なファンはいないみたいだ。
何故私みたいな人情の
実は夏休みに入ってから、たんぽぽ食堂に入り浸っているのだ。
最初は八島君が「電気代節約」と言い、たんぽぽ食堂で課題をやっているのを見て「なるほど」と思い真似した。たんぽぽ食堂のクーラーは、暑すぎず寒すぎず丁度よく効いていて心地よい。
今日は夕方から土砂降りの雨。
私は天神アカデミー、麦倉先輩はドラッグストア、百川先輩は種原病院、八島君はコンビニでのバイトを終え、食堂に集合して一息。
百川先輩がタオルで頭をガシガシ拭きながら、
「いつもツケで飯食いに来る女子中学生、大通りをフラフラ歩いていた、この雨の中」
「エミリちゃんですよね、私も塾の窓から見ました。目立つからすぐわかる」
麦倉先輩と八島も話に入ってきた。
「おととい大山さんてば、子どもだけじゃ無くて父親にも飯おごっていたよな、大山さんて仏かな」
「そう、あのペラペラパンツのクロックス親子、たんぽぽ食堂に衝撃デビューしましたね、麦さん」
すると大家さんが苦虫をかみ殺したような表情で、
「大山さん、大人にまで慈善活動していたらキリが無いのに。大人からはちゃんとお金を取るべきよ」
「たんぽぽ食堂でも芸能人みたいに無料で炊き出しとかやったらどうです?」
「八島! 余計なこと言うんじゃ無いわよ、私にも生活があるのよ」
大家さんは他にもアパートを持つ資産家らしいが、いつもお金が無いと言う。でも襟元に付けた真珠のピンブローチはかなり高価そうだ。
「はいはい、俺んち貧乏だと思っていたけど、全然でした。下を見たら底なしでした。名前も
私は常々気になっていたことを尋ねた。
「大家さん、大山さんてどこからああいう子どもを見つけてくるんですか?」
「民生委員の仕事の合間に市営住宅あたりをパトロールして、地域住民に声かけして、あとはね、勘みたい。あのボロい自転車でどこまでも行くし、敏腕刑事みたいな張り込みもするってよ、町会長の話だけど。もう何人も児童相談所? 養護施設? どっちかわかんないけど保護させているって」
そのとき大山さんが食堂に入ってきた。後ろにオドオドした兄妹を連れて。
小学低学年といったところか。畑中さんが子どもにタオルを渡すと、お兄ちゃんは妹の濡れた髪と足を拭いてあげた。
「今日の定食は三色丼ですか、きれいですね」
大山さんの言うとおり、鶏挽肉、卵のそぼろ、茹でた鮮やかな絹さやの配色が美しい。
私は三色を均等になるよう30度を目安に配置して、その調和にしばしうっとり見とれていたところ。
隣で百川先輩とが八島君が、全部混ぜてかっこんで食べている。畑中さんがそれを見てがっかりしませんように。
離れたテーブルで、痩せた妹はスプーンで小さな三色丼を食べ出した。何故かお兄ちゃんの食が進まない。
大山さんが二言三言会話してわかったことは、お兄ちゃんにはひどい口内炎の痛みがあるようだった。
そこで大山さんは畑中さんにお願いして、刺激の少ない汁物を作ってもらった。絹ごし豆腐入りのかき玉汁。
お兄ちゃんは顔をしかめ涙ぐみながら、それをゆっくりゆっくり味わって食べていた。その間に私は急いで自分の部屋に行き、冷蔵庫からプリンを持ってきた。
いつの間にか雨は上がっていた。
「村瀬さん、昨日はリュウセイ君にプリンをありがとうございました」
次の日食堂に来た大山さんは、珍しく1人だった。
昨日の兄妹は、大雨の中家に入れてもらえず軒先で雨宿りをしているところを見つけたのだと話してくれた。
「妹のスピカちゃんは栄養失調で古いのと新しいのと幾つも痣がみられましてね、お兄ちゃんが
プリンくらいお安いもの。実は私は甘いものにさほど興味が無い。なのに先日、プリンをなんとなく買っていたのだ。
今日の定食は、鮭のハラスと
「みなさんの学問のように、科学的な裏付けがあるわけではありません。ですが、虐待はDNAに傷を残すという実感があるんです」
……これはどう答えたら正解なのかわからない。みんな黙り込む。
百川先輩と八島君は、お替わりを取りにそそくさと席を離れた。
これは年長者である麦倉先輩が、なにか返すべきだろう。そう思い麦倉先輩を覗き込む。麦倉先輩は「村瀬サン、任せた」と目配せをする。
「それは、つまり、ソフト面が傷つくのではなく、ハード面が傷つくということですか?」
「難しいとこはわかりません、ただ、DNAを傷つけるということは、未来を損なうということに繋がります」
「そうですね」
私にだけ丸投げして、みんなで知らんぷりはずるい。大山理論は私には荷が重すぎる。
そのとき、大家さんが一言放った。
「ちょっと、大山さん、変な宗教とか始めないでよね」
はははっ、と大山さんは笑った。
私は大家さんみたいな雑な人になりたい。