第1話 5月・6月 村瀬芽依のターン
文字数 4,573文字
少ない女子同士で肩を寄せ合い、割と仲良くできること。みんな同じような偏差値なので安心できること。地元から離れられたこと!
BL好きの
「男子3人? 三角関係? キャラ教えて?」
慌ててたんぽぽ食堂で麦倉先輩、百川先輩、八島君の隠し撮りをして碧に見せた。
「現実はこう。みんな素朴でしょ? 碧が期待するようなハプニングなんて起きないって」
画像を見て、碧は大笑いした。特に油断しきった麦倉先輩のキョトン顔。
「芽依、こんな面白荘に住んでんの?」
「麦倉先輩は絶賛彼女募集中のオタクだし、八島君はいつもお金の話ばっかりしているし、百川先輩は不動産にしか興味無い。テレビで地面師のニュースなんて流れたら2人でキャッキャして大はしゃぎ」
「〈新入生 検査技術学科の田部はちょっと変わったヤツ〉だって」
「〈理学療法学科のハッシーは天然キャラ〉けっこう男子いるね」
そう、サークル『いずみ』に男が一定数在籍していることは、事前調査で把握していた。麦倉先輩は不都合な現実から、あえて目をそらしていたとしか思えない。
「芽依、どう考えても面白荘の3人の方が〈ちょっと変わったヤツ〉だよね」
「集合写真、芽依だけものすごく疲れた顔してる」
「心の底から疲れたの」
「私もこの感じのノリ、苦手かも」
話が展開して、「芽依のイヤな記憶を上書きしよう」ということになり、5月最後の土曜日に4人で種原山自然公園ハイキングコースを歩いた。
途中むき出しになった黒い断層があって、周辺を黒い小石が散らばっていた。
「あれ? 急に圏外だよ」
「ほんとだ」
「これミステリーサークルじゃない?」
みんなで笑いながらそのまま下山して、地産地消の道の駅『玉手箱』へ行き、バーベキューではなく、炊き出しの芋煮と名物肉巻きおにぎりとじゃがバターを買ってパラソルの下で食べた。
近くのステージでは中学生の吹奏楽部が演奏中。
「ゴジラのテーマ! 大好き! 何度聞いても感動する」
仲ちゃんが興奮している。
食後は名産の柚ソフトクリーム。完璧にゴールデンウィークのリトライができた。最高。
その日の晩、たんぽぽ食堂で夕飯を食べていたら麦倉先輩が、
「村瀬サン、俺、過去問とか協力したり、単位や進路のことでみんなの相談にのれると思うんだよね。だから今日みたいな集まりの時は、遠慮しないで声かけてくれてもいいのに」
と言ってきたので、またネタができたと思い可笑しくなった。
シャワーを浴びてベッドに転がる。
いつもは小川の音を聞き5分で眠れるのに、その日はなかなか寝付けなかった。触るとおでこが熱かった。楽しすぎたせいで、微熱が出たみたい。
微熱があったせいかな、高校の時の夢を見た。
「村瀬さん、英語教えて?」と、最初は向こうから声をかけてきた。
カラオケやご飯に誘われるようになった。山下は明るく天真爛漫で喜怒哀楽がはっきりしていて友達も多く、その時は楽しくて可愛い人だなと思った。
私はこの通り地味でマイペースな人間。
背が低い癖に、バスケでもひたすらスリーポイントシュートの自主練習ばかりしていた。だって3点だもん、その方が効率いいでしょ?
忘れもしない、1年生の時の7月9日だった。
その日を境に、山下から ”大嫌い” オーラを出され、敵意をむき出しにして無視されるようになった。
びっくりした。何が何だかわからなかった。
前日までの行動をトレースして自問自答しても、無視されるような心当たりは何も思い浮かばなかった。
山下は無視したあとは必ず、周りの子達と当てつけのように高笑いしてはしゃいでみせた。用事を見つけて話しかけると、露骨に顔をゆがめた。周りの子達も山下の手前、腫れ物に触るように私を避けるようになった。
無視する理由を聞こうかとも思ったけど、とにかく山下から嫌われていることだけは確かなのだから、聞いたところで焼け石に水だろうと考えた。聞けるような雰囲気でもなかったし。
疑問で堂々巡りの意気消沈する毎日の中で、答えをくれたのは永尾さんだった。
掃除の時間、おしゃべりの声と机と椅子を引きずる物音、足音の隙間を縫うように、永尾さんはささやいた。
「山下さんて、男バスの辻君のこと好きなの知っている? 実は辻君、村瀬さん狙いなんだって。それで山下さん怒っちゃったみたいよ」
「そうなんだ。永尾さん、教えてくれてありがとう」
やはり自分に落ち度があった訳では無かったのだ。これは八つ当たりなのだ。
辻君? 申し訳ないけど、余計なことをしてくれたものだ。
考えてみれば、私と山下では性格が違いすぎる。長所と思っていた山下のキャラは反転して、感情的、幼稚、自己中心的と評価替えした。取り巻きも全部ひっくるめて、もうあんな人たちと関わりたくない。
感情的でバカな女の集団は怖い。山下みたいな人間は私の天敵だ。
それからの私は山下と接触を断つため、部活を辞め、文系から理系へコースを変えた。バスケにまったく未練は無かった。
そしてセミロングの髪はバッサリ切ってショートカットに。
自分の中の ”女らしい” 部分を消してモブに徹し、山下とついでに辻君に鉢合わせしないよう息を殺して行動した。
半年が経過しても、山下の姿を遠くで見かけるだけで体が硬直した。
たった1人に嫌われただけでこんなにもダメージを受けてしまう、自分の弱さも思い知らされた。
きっと山下は毎日面白おかしく高校生活を楽しんでいて、私のことなんか少しも意識してはいないのだろうけど。
極力目立たぬよう行動するうちに、自分が幽霊になってしまうような感覚がした。輪郭が曖昧になっていくような。
自分で自分を殺していると周りに伝わるのか、クラスメイトから雑に扱われるような感触があった。
このままでは自分が消えてしまう!
私は腹を据えて、「山下とその取り巻き連中を進学先で見返してやる」という目標を掲げた。
数学は得点源ではなかったけど、基礎から勉強を始めた。
父はサラリーマン、母は薬剤師の共稼ぎ家庭だけど、塾には行かなかった。二つ下の双子の弟達が、ガチでやっているサッカーの出費が大きいことを知っていたからだ。
母から薬学部を勧められたけど断った。
理由は女子学生の割合が高いから。女子の人数が多ければ、山下のような人間が混ざり込んでいるに違いないのだ。
参考書や問題集が揃っていたので、学校の自習室で勉強した。私は自習室に自分の居場所を見つけたのだ。
もし山下やその取り巻きが現れたら、すぐに発見でき、且つ、目立たずに退避できる端の席が私の定位置だった。
結局、一度も会うことは無かった。山下は指定校推薦で、地元私立大学の教育学部にさっさと合格を決めていた。
それも永尾さんから聞いた。永尾さんとはもっと色々と山下の話をしたかったけど、事実確認にとどめておいた。
その頃の私は軽い人間不信に陥っていて、永尾さんも急に山下側に寝返るという可能性はゼロではないと考えたからだ。
それにしても山下が教育学部?
あんな幼稚な人間が先生になる?
ゾッとした。
地道な努力が実を結び、2年生の終わり頃には定期テストで学年13位前後になっていた。
高校はまあまあの進学校なので、そこが私の限界。そこから先は硝子の天井で頭打ち、順位をキープするだけで必死だった。
そして先生からの期待の重さと、全国模試の判定に波があることの不安を抱えた3年次。
私は上位国立の東京繊維工業大学に特攻した。女子割合10%未満の理系単科大学だったからだ。後期は確実に仕留められるよう、泉水工業医療大学に出願した。
泉工医大の存在はその時初めて知った。
へえ、そんな大学あるんだって感じ。
卒業式、友人と号泣する山下を見つけた。
私はこれでやっと山下から解放される。これからは顔を上げ背筋を伸ばして、堂々と過ごせるのだ。
合格発表はまだだったけど、晴れ晴れとした気分だった。
県外の大学なら、もうどこでもよかった。
夢の中でバスケをしていた。
スリーポイントシュートをいくら放っても入らないので、首をかしげながら焦っていた。後ろでみんなが笑ったり呆れたりしているのがわかった。
6月の土曜日、小川沿いに立派な百合の花束が添えられていた。
まるで事故現場みたいだと思い、食堂で畑中さんに尋ねた。
優しい畑中さんが言い淀み言葉を選んでいるあいだに、背後から大家さんがあっさり答えた。大家さんは嘘がつけないというか、嘘をつく必要の無いタイプの人間だ。
「近藤さんていう女の子が事故で亡くなったのよ。遺族の方が訪ねて来たの」
「ここで亡くなったんですか?」
「ううん、引っ越し途中の交通事故で亡くなったの。南郷峠でトラックに巻き込まれてね。泉工医大に前期で合格して、うちに入居する予定だったのよ」
「……どうして、事故現場じゃなくてここにお花を持って来たんですか?」
「近藤さんはここでの生活をとっても楽しみにしていてね、それで遺族の方が成仏できずにここで
霊感の無い私だけど、初めて寒気がして両手で肩を抱きしめた。
不動産屋の告知通りだ、やっぱりコーポ種原は事故物件だったんだ。
黙り込む私の様子を見た畑中さんが、慌てて小声で言った。
「大丈夫よ、村瀬さん。亡くなった近藤さんが入る予定だったのは102号室で、八島君の部屋だから。この話は八島君には内緒にしてね。気にするとかわいそうだから」
「あ。そういえば八島君、俺の部屋は家電と家具付きだって自慢していたけど、もしかしてその女の子の?」
「違う違う、北斗大学の大学院に編入した斉藤君の置き土産よ。村瀬さん、この話は八島には絶対内緒よ? 家賃もっと下げろとか言い出しかねないもん。大家さんとの約束。これあげる」
大家さんからブルーベリーのジャムをもらった。道の駅で買ったみたい。
部屋に戻る途中、恐る恐る花束に目をやると、夕暮れの中でも百合の花は息づかいが聞こえるように存在感があった。
ジャムを小脇に挟み、花束に向かって手を合わせる。
入居者が『私と近藤さん』『近藤さんと八島君』という組み合わせもあった訳だ。もしかしたら私が生きてここに存在しているということは、奇跡のような確率かもしれない。
近藤さんは何学科だったのかな。
前期合格ということは、泉工医大が第一志望だったのかも。きっと、私や八島君より泉工医大に入りたかったんだ。どんな子だったのかな。友達になれたかな。
何故か食堂で感じた寒気は無くなっていた。近藤さんのことは、あまりおどろおどろしく考えたくない。母が事あるごとに、いい人から先に死ぬって言っていたっけ。近藤さんは、こことは別の次元に進路が決まって、そこで新しい仕事が待っていると考えたい。
「どうした、村瀬サン。季節外れの花粉症? 目が真っ赤だよ。この時期は何が飛んでいるの?」
大学から帰ってきた麦倉先輩に声をかけられた。
「大丈夫です」
私はジャムの瓶を握りしめた。