第16話 4月 テレゴニー信者~最初の相手は慎重に~
文字数 2,599文字
聖ちゃんがバドミントンサークルで不在の時、チャンスとばかりに仲ちゃんが切り出した。急遽、生協前のコミュニケーションパークでミーティング。
「聖ちゃん “雲間境温泉のビッチ” って言われていたって」
私が「ビッチ? ビッチって何だっけ」とぼんやり思い起こすその脇で、碧が目を見開いて言った。
「そっか! それでか、なるほどね、最近変だと思ったのよ、聖ちゃんを見る男の目が」
私は終始「?」
「なんかニヤニヤして “北里さ~ん” とか “お願いしますよ~” って手を合わせて拝んだり肩とかタッチしたりコソコソ指さしてしゃべったり、ダサいヤツらも調子こいて」
潔癖症の碧は顔をしかめ、鳥肌が立つとばかり両腕をさすった。
ビッチ! わかった。下半身がルーズな女の子のことだ……でもまさかあんな清純そうな聖ちゃんが?
「デマでしょう、誰かと間違えられているんじゃない?」
「芽依もそう思う?」
「本人に聞いてみようよ」
白黒つけたがる碧が身を乗り出すと、仲ちゃんは、
「でも、もし本当だったらどうする? どうリアクションとるの? 芽依なんてビッチとか嫌いだよね」
そうだった、嫌いなものはヤンキー女とパリピの集団だった。忘れていた。
「びっくりはするけど聖ちゃんは別かな、今はそんな風に見えないし」
私が笑って言うと、険しい表情のままの碧は、
「私はわからない、ちょっと話を聞いてみないと」
「でも碧、別に迷惑はかけられていないじゃない? 好きな男を寝取られたっていうなら話は別だけど」
仲ちゃんの言葉にドキッとする。大丈夫、大丈夫、いつも部屋着みたいなトレーナーやTシャツ姿の百川先輩なんて、聖ちゃん興味無いよね。
その時自販機の陰から、麦倉先輩が眼鏡を押さえながら現れた。
あんなに爽やかだったダンガリーのシャツも今ではもうクタクタ。髪ももうボサボサ。
「特定班の友達がいるので、その件はこちらで調査します」
私達が青ざめると、
「大丈夫、極秘で進めます、では後ほど」
足取り軽やかに去って行った。
「初めまして、今村です」
1週間後、麦倉先輩がその友達を連れてきた。大学のカフェに集合する。
麦倉先輩みたいなオタクを予想していたら、ニコニコして優しそうな一見普通の人だった。とても物腰がソフトで姉妹に挟まれて育ったような印象。女子の中に居ても違和感が無い。
「今ちゃんはね、いいヤツなんだよ」
麦倉先輩やけに懐いている。
「断片的にしか調べられなかったので、単なる情報の一つとして参考程度に聞いてください」
何となく前置きから信憑性を感じる。以下は今村先輩がスマホ片手に語った言葉。
北里聖子さんは、中学生の頃『雲間のビッチ』という異名をとっていたようです。
北里さんの実家の屋号が『コンパニオンサービス雲間』といいまして、雲間境温泉街へのコンパニオン派遣業を営んでいます。
地元では通称『雲間の置屋』。今でもこういう商売が成り立つニーズってあるんですね、驚きでした。
「頼み込んで頭を下げてお願いすれば、抜いてくれる」という評判だったようです。
……これ、確認しようが無くてデマかもしれないんだけど、
『かなりの手練れだけど処女』
っていう噂もあってね、これもうビッチの定義がわかんなくなるよね。
麦倉先輩と私達は生唾を飲み込んだ。
男どもが聖ちゃんをエロい目で見るわけだ。ふと、麦倉先輩が頭を抱えている。
「テクニシャンの処女なんて物件、俺には荷が重すぎるよ。でもチャラいヤツらにヤられるのも癪だし、北里さんには幸せになって欲しいし、どうしたらいい? 今ちゃん」
「麦君は優しいなあ、俺が女だったら麦君だね」
二人の茶番はどうでもいいよ!と、仲ちゃんが突っ込んで少し笑いが起きる。それでも碧の顔は険しいままで、また沈黙が訪れた後、
「……バカなこと言っているって思われるけど」
碧が思い切ったように言ったことは、
「テレゴニーって知っている?」
私と仲ちゃんで顔を見合わせてから「知らない」。今村先輩は、
「それって19世紀まで信じられていたオカルトでしょ。雌がAという雄と交わったあとBという雄と交わっても、生まれてくる子どもはAの特徴が遺伝してしまうっていう先夫遺伝のことだよね。それにハエの実験だし」
碧は小さく頷いた。
「お祖母ちゃんからずっとそういう話を聞かされていたの。競走馬を飼育する親戚がいてね、優秀な馬でも最初に雑種と交配しちゃうともうダメで価値が下がるんだって。損するのは女だから最初の相手はよく選びなさいって。根拠の無い話だってわかっていても、小さい頃から刷り込まれちゃっているのよ……実際にしていなくても、唾液とか、せ、精液とか? それからも遺伝子に組み込まれてしまうんじゃないかって強迫観念があるの」
私は今村先輩の話から、地蔵になった。
麦倉先輩はアタフタして目が泳いでいる。仲ちゃんは最初につきあった人のスペックを検索かけているみたい、斜め上を見る目が真剣。
「だから本当に好きな人が現れたときに、聖ちゃん後悔することにならないかなって……元カレ達の遺伝子を引き継いだ子どもが産まれちゃうんだよ? 怖いじゃん、心配だよ」
あ、丁度いいところに着地した。私はこの機を逃さず、
「碧、今の話聖ちゃんにしてみたら? 心配しているって伝えれば」
「うん、そうだよ、このままはっきりしない状態が続くよりいいよ」
仲ちゃんも賛成して、今度みんなで飲み会をすることにした。
「いつにする?」
麦倉先輩が当然のように入ってきたので、
「女子会ですから」
今村先輩は肩を落とす麦倉先輩を慰めた。
「麦君、俺でよければ飲みに行く? 俺たちはアルコールOKだけど、未成年のみんなはノンアルコールだからね」
今村先輩、先生みたい。
私達は2年次の進級記念と称して、天神アカデミー近くの橋を渡ってすぐの『洋風居酒屋つばめの巣』に集まった。アカデミーの塾長が美味しいって言っていたから。
今村先輩の言いつけを守りノンアルコールで乾杯。
注文は、ボンゴレロッソ、タコのペペロンチーノのパスタ2種、モッツァレラチーズのピザ、リンゴとクルミのサラダなど。久し振りのイタリアン料理。
すぐに仲ちゃんが噂の真相を確かめると、聖ちゃんは一瞬間を空けた後寂しく笑った。
「やっぱり、噂広まっていたんだ」
今までのことを、とつとつと話し出した。