第5話 9月 ナチュカはニセ科学?
文字数 2,854文字
「おじゃましまーす」
まだ暑さの残る土曜日の午後、ケバい女2人がたんぽぽ食堂に入ってきた。
バイトの天神アカデミーに行く前に、ミサキ君の算数テストの見直しをしていたときのこと。
「失礼します、私達、ナチュラルカーネーションっていう会社の者なんですが、自然の中で生まれ変わろうという理念のもと、自然派の食品や化粧品なんかを扱っていまして、それでですね、こういうの、興味あります?」
テーブルにバサバサッとチラシとサンプルを広げだした。事前準備が今ひとつだし、動作が雑だな。
「あのー、このチラシ、よかったら置いていただけますか」
「このサンプルもお使いください、評判いいんですよ、このボディーソープとハンドクリーム」
2人は厨房の畑中さんを経営者と思い込み、声を張った。
「今ならご来店の方にプレゼントとして、無添加食パンを差し上げています。話を聞くだけでもいいんですよ!」
「場所は大通りの上境郵便局の隣、ビルの3階です」
それから2人は私に気がつくと、
「化学製品とか合成品に囲まれていると、体に少しずつ毒素が溜まるの、怖いですよね! それをナチュラルな生活に切り替えて、デトックスやヒーリングをするセミナーなんかも人気なんですよ」
「あなたにはダイエットは必要ないかもしれないけど、髪や肌が見違えるし女子力が上がるし、なによりポジティブになれるわよ!」
引くわ。バイオ化学専攻の私に生半可な化学を語るな。
それに女子が全員デトックスやヒーリングに食いつくと思うなよ。そもそも女子力ってどんな概念なんだ。
私は思わず、
「自然界の物質にも毒や副作用はありますよ。私達は化学の恩恵無しでは生活できないと思いますけど。逆に聞きますけど、そのネイルとピアスとマスカラとヘアカラー、人体には毒ですよね」
あっ、またやっちゃった。
泉工医大に入ってから、私は高校卒業までセーブしてきた理屈っぽさを
自称ラッパーのミサキ君が「ピュー」と口笛を吹き、小声で「芽依、いいアンサーだぜ」
「うーん、えっとね、私達は自然派の生活で波動が上がっているから、このくらいのメイクやネイルは大丈夫なの。自分が心地良いかどうか、ポジティブになれるかどうか、ってのが大切だから」
「一度来て、代表の話を聞けばわかってもらえるんだけどな、マジで人生変わるよ? 」
2人は変な理屈で受け身をとり、元気よく帰っていった。
なんだそれ、宗教か? まあ、宗教みたいなものか。
年齢よりしっかりしているカイ君は、
「行くだけでパンがもらえるってさっきのオバサン達言ってたよね、お母さんに見せるか」
と、チラシを2枚手に取った。
「カイ君にとってはさっきの人達はオバサンなの?」
「化粧濃いから、オバサン」
カイ君は厳しいな。ミサキ君も、
「俺ももらい!」
とチラシに手を伸ばす。
畑中さんがサンプルをミサキ君とカイ君に渡した。ミサキ君は父子家庭、カイ君は両親はそろっているが貧困家庭らしい。
サンプルを分けっこしている
私は気づいていた。八島君が隅の席でパソコンを打つ振りしながら、ナチュラルカーネーションの2人を舐めるように見ていたことを。
1人はストレートボブ。
体にフィットしたグレイのノースリーブワンピースに、白いレースのカーディガンを肩に掛けていた。Fカップぐらいありそう。少し分けてくれ。
もう1人の「ポジティブ」女は、ゆるいウエーブの栗色セミロング。
かがむと胸元が見えそうなアイボリーのカットソーに、膝上ペールイエローのフレアースカート。香水がキツい。
2人ともフルメイクにハイヒールとハイトーンの声。
いわゆる記号的な ”女” というものを隙無く装備している。私の天敵だ。
確か『ナチュラルカーネーション』とか言っていたな。みんなあんなゴリゴリの武装集団なのか? 恐ろしい。
バイトを終え、夕ご飯を食べにたんぽぽ食堂へ行くと、大家さんが待ち構えていた。
「村瀬さん、昼間、ナチュカの女が来たんだって?」
「ナチュカ?」
「ナチュラルカーネーションの女よ」
「ああ、ナチュラルカーネーション、はい、来ました、ケバいお姉さん2人」
今晩のメニューは、鶏肉の黒酢炒めと長芋の和風サラダ、アサリの味噌汁など。
泉水市の朝晩の冷え込みは容赦なく、種原山自然公園にはいつも風が吹いている。
一人の時間が大切な私ですら、夜は心細くなるほどに。
これが泉水市の洗礼か。まだ9月なのに、夜更けの風はもう素っ気ない。畑中さんの湯気の出る献立にホッとする。
「村瀬さん、聞いたわよ。ナチュカの女を言い負かしたって。でかした、村瀬さん、もっと食べなさい」
思わずお味噌汁をこぼしそうになった。
「そんな、言い負かすほど会話していないですよ、それに話が噛み合いませんでした」
「アイツらはタチが悪いのよ。若い女だけの会社でね、色仕掛けでガラクタを売るのよ。私の弟は人がいいからナチュカの女のカモにされてね、ああ、思い出すだけでまた腹がたってきた」
大家さんのスイッチが入った。
「透析中の母親の腎臓を浄化できるとか騙されて、黒い石を買わされたり。弟は大人しいけど変に頑固だから、私がいくら言ってもナチュカに出入りしてたのよ。くだらないことに散財したと思うわよ。いまわの際で後悔したんじゃないかしら」
弟の死後に家の整理をしたところ、健康グッズの他にも、セミナーのパンフレットや字の大きな中身スカスカの本がたくさん出てきたらしい。
「健康グッズって、この『超アルカリイオン浄水器』とか『磁気バンド』ですか? あとはこれか、オーガニック洗剤、オーガニックシャンプー、ミネラル酵素サプリ、波動鉱石? なんだこれ」
私がチラシを見ながら驚いていると、百川先輩も覗き込んで、
「これは販売だけじゃ無くて、健康セミナーなんかを開いてクズみたいな情報商材も売っているね。こんなのに騙されるなんて騙される方も、おっと」
言いかけたところで、大家さんに睨まれた。
それまで黙って聞いていた八島君は、二杯目のお味噌汁を飲み干すと、
「そんなブラックな会社なら、俺、偵察に行って、ついでにパンを貰ってきますよ。おかしなこと言っていたら、俺、ガツンと反論しますから」
大家さんはまじまじと八島君を見た。
「八島、潜入捜査ね。でもミイラ取りがミイラにならないでよ?」
「大丈夫ですよ、まず課金するお金がありません。麦倉先輩も一緒に行きませんか? 」
まるっきり他人事として聞き流していた麦倉先輩は、
「え? 俺も? どこに? 何しに?」
「上境郵便局の隣だからバスで10分かからないくらいですよ、顔だけ出してパン貰ってきましょうよ」
「俺、あんまりパン食べないな~」
「ちょっと面白いと思いますよ」
私は知っている。八島君の本心を。
ナチュカの女に興味津々なのだ。
もう一度ナチュカの女に会いたいだけなのだ。