第21話 8月 養育費を請求しに行きます
文字数 3,588文字
私と百川先輩、八島は成田君の付き添いで赤石南工業団地行きのバスに乗り込んだ。
大家さんの鶴の一声。
「八島、成田君についていってあげなさい。どうせ暇でしょ。お母さん夜勤で行けないらしいのよ。でも八島だけじゃなんか心配だわね。村瀬さん行ける?」
「はい」
「オーナー、俺も行きます」先輩も手を挙げてくれた。
赤石南工業団地行きは1時間に3本ほど。
4人で14時38分のバスに乗った。
バスの窓から大通り沿いに提灯や屋台が連なるのが見え、お囃子が聞こえてくる。昨日今日と『いずみ祭り』なのだ。
歩道を色とりどりの浴衣姿の女の子達が行き交う。福祉医療学部の子達かな。ナチュカも『いずみ祭り』に絡めてキャンペーンをやっていそう。
前の席の八島が窓ガラスに張り付いている。女の子を見る目に悲壮感がある。
「僕の都合でこの日にしてすみません。お祭りの日なのに」
隣に座った成田君が申し訳なさそうに言う。
「全然、私、騒がしいのは苦手だし」
それは本当。ただ、帰りは交通規制でちょっと渋滞するかも。
バスは大通りを曲がり南下する。
「離婚届と紙と筆記用具は持ってきたよね」
「はい」
「じゃあ、リハーサルする?」
「え?」
「お父さんに最初はなんて切り出す?」
「えっとまず、母さんから頼まれたって言って離婚届を出してサインさせる、それができたら目的は70%成功」
「田所さんが見つけたら、離婚はスムーズだって言っていたね」
「それから、学資ローンの50万円を母さんの口座に送れって言う」
「残っていればいいけど」
「それから、養育費を月5万送れって言う」
「いつまで?」
「いつまで? いつまでか。俺がハタチになるまでとか?」
「成田君は、高専から大学に編入とかは考えていないの? 大学生の途中で養育費が止まることになっちゃうよ」
「大学なんてそんなお金も頭も無いよ」
「泉工医大は学費が安いし、毎年高専から何人か入ってくるみたいよ」
すると、通路を挟んだ左の席の百川先輩が、身を乗り出してきた。今日の先輩は成田君と八島の手前、ちょっと距離を取ってよそよそしい。
「 “成人するまで、ただし、在学中だった場合、卒業するまで” にすれば?」
「そうか、なるほど」
成田君と先輩盛り上がっているけど、こういうのって取らぬ狸の皮算用って言うんじゃ……まあ、いいか。
ふと窓の外を見ると、前方に大きな鉄橋が見えてきた。
スマホの地図を見ると、『赤石大川』とある。古く厳めしい鉄橋を越えるとあからさまに空気が変わった。
右手の山の斜面に、夕陽を受けた太陽光パネルが鈍く反射しているのが見える。手前には廃車が積み木のように重なり、その隙間を雑草が覆う。
左手の奥には平坦に続く工場。何台もの大型トラックがバスを追い越していく。
終点の3つ手前、やっと目的地に着く。赤石南工業団地入口。
八島を起こし、バスを降りる。最近雨が降らないので埃っぽい。見慣れないコンビニがある。『デイリーサークル』だって。
ここまで50分かかった。これから徒歩で10分の予定。
目的の工業団地は目の前に見えているのに、歩いても歩いても距離が縮まらないような感覚だった。
ドクダミと背の高い雑草と、ツタが絡まる荒んだ団地だった。空き缶や錆びた子どもの自転車が転がっている。
「うわぁ、民度が低そうな団地」八島が呟く。
B棟206号室。砂埃の階段を上がる。
成田君がプレートを指さし、幽霊でも見たような顔でこちらを向く。声に出さずに「あった」。
大丈夫。不在だった場合の置き手紙も準備してきた。迷う前に百川先輩が、速攻ピンポンを押した。
「はい」インターホンから女の人の声。
「な、成田です」
ためらいがちにドアがほんの少し開いて、色白でぽっちゃりした女の人が見えた。色が抜けたパサパサの長い髪と、少し離れた細い目。バスから見たオカメのお面のよう。
女の人は成田君の顔を見ると、ハッと息を呑んで奥に引っ込んだ。
開いたドアが締まらないよう、先輩が手で押さえる。「有ちゃんちょっと」「なに?」やり取りが聞こえてくる。
「居る」成田君が呟き、緊張が高まる。
男の人が出て来た。先輩の後ろで私も息を呑んだ。
すぐにお父さんだとわかったのは、成田君にそっくりだったからだ。逆か。
背は高くないけど、人懐っこそうで母性本能をくすぐるような顔立ち。
予想していたより若く見える。でも成田君より空っぽでチープな印象を受けるのは、変なロックTシャツ着て目がフワフワ泳いでるせいかな。
さっきの女の人もいつの間にか戻ってきて、やはり成田親子を交互にまじまじと見比べている。なんかこの男、生理的に気に入らない。即、『有也』と呼び捨てに決定だ。
有也は百川先輩を警戒しているみたい。
先輩は最近黒縁眼鏡をかけるようになって、更に中間管理職風味が増している。多分先生か何かだと思っているのだろう。
有也は顎を突き出し不機嫌に突っ立っているだけ。どうして謝らないのかな。言い訳でもいいから、なにか言ったらどうなのかな。
成田君が先に動いた。
「これ、母さんから」
離婚届を取り出す。
「この鉛筆の丸印の中、書いてって。住所は住民票通り正確に、住民票見る? 持っているよ。あ、本籍はこっちで書くから書かないでいいって」
「今?」
「うん、持って帰るから」
有也は住民票を見ながら、靴箱の上で書きだした。
まるで宅急便のサインをするように。そして適当に印鑑を押したので、ブレてしまった。不鮮明だ。
「開いているところにもう一度押した方がいいよ」
小声で成田君に伝えると、有也が私を見た。目が合ってしまった。先輩の影に隠れる。
結局印鑑を3回も押し直した離婚届を受け取ると、成田君は大切にファイルに入れリュックにしまった。それから、
「父さん、俺、境川高専に行っていて、卒業したら就職するつもりだけど、それまでの間、この前みたく仕送りしてよ、できれば月5万あると助かるんだけど」
「無理、5万は無理だ、いくらなんでも」
大袈裟な手振り、わざとらしい抑揚。
「母さんパート掛け持ちしていて大変なんだよ」
有也はのらりくらりと視線を泳がせている。どうしてこんなに浮ついているのだろう。あ、また目が合った、気色悪い。
「じゃあ、確実に支払えるのは月いくらですか?」
急に八島が好戦的に口を挟んだ。
「なんだお前」
「聞いているんですよ」
「うるせえな。宗也、お前もバイトくらいしろよ」
「夏休みはしているよ。でも授業が始まると余裕無いんだ。周りみんな頭いいし、レポートに追われて授業についていくだけで精一杯なんだ」
それを聞いた有也が鼻で笑った。
「ちょ、ちょっと! アンタみたいな人にはわからないだろうけど、理系はマジで忙しいんだよ! 大変なんだよ!」
自分を重ね合わせたのだろう、八島がキレている。
「成田君のお父さん、養育費は義務です。年収はいくらですか?」
百川先輩が静かに話す。この口調は怒っている。
「お前に何でそんなこと言わなきゃいけないんだよ」
「年収に対して養育費の相場というものがあるんです」
先輩、有也は自分の年収なんて把握していないかもよ。
「おい、宗也! なんなんだよこいつら、さっきから、なぁ!」
すると「みんな、俺が話すから待って」宗也君が制した。
宗也君は有也に向き直り、
「父さん、月3万はどうかな」
「うーん……2万じゃだめか? 工場の給料安いんだよ」
「じゃあ2万でいいよ、ボーナスの時は上乗せしてよ」
「お、おう、わかった」
「ありがとう、じゃあ、ここに書いて」
リュックからノートとサインペンを取り出した。
有也の顔色が一瞬で変わったが、宗也君はかまわず靴箱の上のチープなぬいぐるみを手で払い落とし、ノートを広げた。
ぬいぐるみは遠くまで飛んでいって、宗也君が内心怒っているのがわかった。
「何書けっていうんだよ!」
有也はブスくれてしまった。オカメ女はぬいぐるみを拾ってオロオロしている。
私は一連の流れを観察していて、なんとなく有也の扱いがわかってきたような気がした。気が進まないけれど前に出て、
「お父さんは約束通りちゃんと仕送りしてくれるのはわかっているんですけど、できれば、念書みたいなものがあれば宗也君安心できるので、すみません、お願いします」
私は頭を下げた。有也はニヤけた顔つきになり、
「ああ、脅かして悪かった、言ってくれればその通り書くから」
私はゆっくりと文章を言うと、有也はそれを書き殴った。
念書
私 成田有也は 成田宗也が
成人するまで ただし 在学中だった場合 卒業するまで
毎月2万円 ボーナス時3万円を
養育費として支払いします
2019年8月4日 成田有也