第22話 8月 捨てられたのか捨てるのか~屋根の上のカラス男~
文字数 4,073文字
私 成田有也は 成田宗也が
成人するまで ただし 在学中だった場合 卒業するまで
毎月2万円 ボーナス時3万円を
養育費として支払いします
2019年8月4日 成田有也
有也はこれで満足かと言った風に顎をしゃくった。
「印鑑をお願いします」
「押していいよ」
百川先輩が印鑑を受け取ろうとすると、
「お前じゃ無い、この子だよ」
私は念入りに朱肉をつけ、押印した。
有也は何故か得意そうな顔をしている。
息子のために俺が一肌脱いでやった、とでもいうような。
有也はちょっとおかしいのかもしれない。こんな男に真面目に対応したら馬鹿を見るだけだ。
「いや、俺もさ、仕事の都合で急に引っ越して連絡する間も無かったからさ、心配かけて悪かったとは思っているんだ。頑張って働いて送るからさ、安心してよ。あんた宗也の彼女さんかい? 宗也のことよろしく頼むよ、理屈っぽくて暗いだろ、コイツ」
外に出てみんなで深呼吸した。陽が落ちかけている。もう5時だ。
宗也君は母さんに報告すると言って、部屋の外側と団地の写真を何枚か撮っていた。
「なんか全体的に酸っぱい臭いしなかった? 俺、匂いに敏感なんだよ」
ずっと八島がぼやいている。
ふと、八島の肩越しの風景に違和感を覚えた。
団地の平らな屋根の中央に、大きなカラスが羽を広げて座っているのが見えた。やけに大きいな。カラスなのかな? 人? カラス男? なんだろう、じっと目を凝らす。
「見ちゃ駄目」
先輩が前に立ち塞がり、視界を遮った。
「あんなのと目を合わせちゃ駄目だよ」
なに? どうしたの? と成田君が八島に尋ねる。八島は呆れたように肩をすくめて、
「たんぽぽ食堂界隈はオカルト信仰が強くてね、魑魅魍魎が見える人だらけなの。最近村瀬も百川さんに染まってあちら側に行っちゃった。信じられないよな! 俺は最後までこちら側に踏みとどまって正気を保つぜ」
コンビニに寄って時間を潰し、20分遅れでやっと来たバスに乗り込むと少しホッとした。
私はいつの間にかうたた寝していて、途中ラインの音で目を覚ますと畑中さんからだった。
『お疲れ様 食堂におにぎり置いておくから よかったら食べてね!』
私は無事終わったことの報告とお礼を返した。
お祭りでバスは大通りを
「今日はありがとうございました」と、食堂の駐車場に停めておいた自転車でサッと帰ろうとする成田君を引き留めた。
食堂の脇、ハーブが植えてあるプランターの間に隠してある茶筒から鍵を取り出すと、大家さんを起こさないよう勝手口からこっそり食堂に入る。
テーブルの上の布巾を外すと、あった沢山のおにぎり。
キュウリのピリ辛漬けと卵焼きもある。畑中さん、定休日なのに作ってくれたんだ。八島が仕切って、冷蔵庫の麦茶とお箸を持ってくる。
おにぎりは梅おかかと昆布の佃煮だった。畑中さんのおにぎりは、てっぺんにちょこんと具が覗いている。私は梅おかかを一つ食べて、胸がいっぱいになった。
「ねぇ、お前のオヤジの悪口言ってもいい?」
八島が3つ目のおにぎりを頬張りながらしゃべっている。
「もちろん、オヤジなんて呼び捨てでいいです、有也で」
「有也がさ、お前のこと理屈っぽくて暗いとか言っていたけど、その場のノリだけでふらふらしている人間に言われたくないよな」
「ホントそう、誰のせいでそうなったって話ですよ」
深刻な話を軽口にして雰囲気を変え、八島が珍しく役立っている。と思った矢先、八島は箸を置き神妙な面持ちになった。
「お前がさ、勉強が大変って言ったとき、アイツ鼻で笑ったろ? なんにもわからない癖にって俺怒りで首の後ろが熱くなって自律神経おかしくなりそうだった。今思い出してもはらわた煮えくり返る」
八島は1年生のとき、学歴コンプからしばらく虚無感を引きずった結果、単位をいくつか落としてしまった。取り戻すのが大変で、今はもう泉工医大をバカにしていない。
成田君がため息つきながら、
「オヤジなんて高校中退ですよ、多分中学だってろくに行っていないんじゃないか。勉強してこなかったから勉強の大変さがわからないんですよ。俺が勉強していると邪魔してくるんですアイツ。そんなにやらなきゃできないなんて宗也は頭悪いんじゃねえの、無駄だから早く寝ろよとか言うし……俺、初めて言うけど、オヤジ、発達障害か人格障害だと思うんだ」
私達は静かになった。そう考えると腑に落ちる。成田君は麦茶を飲んで、吐き出すようにしゃべった。
「約束やルールが守れないんだ。ただ外じゃ馴れ馴れしいくらいに愛想がよくて、それで乗り切っているんだ。やっていいことと悪いことの区別がつかないんだ。小学校の頃の話だけど、俺がプラモデルを作ると目の前でそれを壊すんだ。どうしてこんなことをするのって聞くと、壊したらどうなるのかなって思ったら我慢できなくなるんだって。オヤジがスーパーで財布を拾ったんだ。交番に届けるって言ったから安心していたら、あとで家のゴミ箱に知らないお婆さんの免許証や診察券が捨ててあって、これ何? って聞くと、持ち主から捨ててくださいと頼まれたって平気で嘘つくんだ。そして嘘ついたあと、それが本当のことだって思い込むんだ。だから嘘ついているって自覚が無いんだ」
先輩は感に堪えないと言った風に、
「ひどいな、そのエピソード氷山の一角なんだろ?」
「怖すぎるよ、お前苦労しているんだな」
今日の八島はしみじみモード。
「さっきも記憶を自分に都合のいい物語に脳内補正していたね」
私の言葉に成田君は頷き、
「俺の顔、オヤジにそっくりだったでしょ。発達障害って遺伝するのかな、勉強がきついのは俺にも障害があるのかなぁ、不安でたまらなくなるんだ」
そうか、たまに見える胸の錆びた青い揺らめきの名は不安か。
不安を消さなくちゃ。私は声に力を込めて言った。
「成田君の中身は有也と全然似ていないよ」
「うん、それは安心しろ」
「大丈夫だから自信持てよ! もっと食え」
少し和んだあとは雑談。成田君がハッとした顔で、
「学資ローンのこと、言い忘れた!」と頭を抱えると、
「一緒にいたオカメ風の女と成田のオヤジは相性がいい、霊感や占いの才能が無くてもそれくらいは俺にもわかるね」と八島が豪語する。
成田君がノートを開いた。
「この念書って効き目あるんですか」
先輩と八島は「気休め」と答えた。
「この念書を公証人役場っていうところで公正証書にすれば、いざっていうとき強制執行できるけど」
「でもお前のオカン、絶対そこまでしないよね。せめて離婚届はサッサと出すよう言った方がいいぜ」
「そうか、気休めか……」
ノートを見つめる成田君。先輩と八島がフォローしている。
「でもお前のオヤジはよくわかっていないから、仕送りが滞ったら “念書” 書いただろって督促したら払うんじゃないか」
「そうだな、有効活用したいもんだ」
実は私は、帰りのバスからずっとモヤモヤしていた。
みんなが達成感のようなものを感じている雰囲気に、水を差すかもしれないけど。
「私は、もう有也には関わらない方がいいと思う」
3人が私を見る。
「なんで? 養育費を回収しないと」
「占いの婆さんもプレッシャーかけろって言っていたよね。あの有也が学資ローンを自分で使って好き勝手にやっているなんてムカつくじゃん」
この感情を上手く説明できるかな。
「えっと、私も最初は少しでも養育費が必要だと思ったけど……今日、本人を見て、関係を絶つのが正解な気がした」
「気がした?」
「あの、結局、関わると、将来的に成田君が損することになると思う」
「もっと具体的に説明できるかな」
私対先輩の戦いになった。八島は
「2万の約束も半年くらいしか続かないと思う」
「そういう場合のために念書を書かせたんだろう」
「有也に少しでも借りを作ったら、成田君が就職したあと、絶対たかりに来ると思う。恩を忘れたのかって」
「養育費は義務だろ、恩じゃ無い」
「でも有也はそうは捉えない」
「村瀬、悪い想定をするばかりじゃなにも進まない」
これ、誰かにも言われたっけ。ナチュカの福ちゃんか。先輩がイラついているのを感じたけど、私は止まらなくて続けてしまった。
「目先のはした金で、あんなお荷物を背負わない方がいい。成田君の方から、有也を捨てた方がいい。ちょうどあの女の人が引き取ってくれたんだから」
「あ、ちょっと、はした金とか聞き捨てならないな」
「はした金と引き換えに、背負うリスクが大き過ぎる。有也は絶対つまらないトラブルを持ってくる、ひょっとしたら犯罪まがいの。だって相手は失踪した人間なのよ? 失踪した人間なんて、私なら信じない」
先輩が成田君をチラッと横目で気にしながら、
「村瀬、もう少し言い方気をつけろよ」
「だって、成田君に変に期待させるほうが可哀想、最悪を想定すれば回避できる」
「にらみつけるなよ村瀬、前から思っていたけどオマエ目つき悪いからな。感じ悪いんだよ」
え? ……私は慌てて視線を落とした。
「……にらんだつもりは無くて……でも、そう見えたなら……ごめんなさい」
ショックで声がかすれる。
先輩はなにか言いたそうな表情をしばらく浮かべていたけど、結局横を向いてしまった。
隣で、成田君がオロオロしている。今日一番疲れている成田君を、困らせたらいけないよね。
「ごめんね、雰囲気悪くして。今日は疲れたでしょう」
自分では笑顔を作ったつもりで成田君を見送った。あとの片付けはやっておきますと二人に告げて食堂に残ったけど、あまりその時のことをよく覚えていない。
食堂に鍵をかけて、自分の部屋に戻りシャワーを浴びながら、やっと私は泣けた。
こんな些細なことで泣くなんて不思議だったけど、涙がこぼれた。小さい頃から、目つきが悪いって言われてきたけど、先輩から言われるとこんなにショックを受けるものなんだな。
意地張ってネガティブ持論を展開してうんざりさせて、先輩に嫌われちゃったかもしれない。