第28話 9月 たんぽぽ食堂離婚調停作戦会議
文字数 2,427文字
「離婚届は私が預かっていて、あとは出すだけなんですけど」
大家さん、田所さん2人が乗り出した。
「原因はなんだい?」
「夫の浮気です。でも遊びじゃ無い、本気だから浮気じゃないって言うんです」
「そんな言い草はないだろ」
田所さんがピシャリと言う。私も無言で何度も頷く。
「宮下さんは、いいの? 旦那さんに未練は無いの? 旦那さんは今、のぼせ上がっているだけかもしれないし」
大家さんにしては優しい問いかけに、
「大丈夫です、もう全然好きじゃないです、愛想尽きました」
ですよね。ツイートしていましたもんね。
私達以外にお客さんがいなかったので、宮下さんは大家さんと田所さんに問われるまま、語り出した。
いつもここで夕飯を食べるうちに、警戒心は解除されていたようだ。
宮下さんの夫は県庁の地域産業政策課に在籍中。
多分、セミナーや会合を通じて、不倫相手の外池恵美と知り合ったのではないかと。
宮下さんはスマホを出して “外池恵美” を検索してみせた。「この人です」
出てきた出てきた。
一番目立つのは、何年か前と思われる女性活躍推進セミナーのパネリストとして壇上にいる画像。宮下さんは自虐的ともとれる薄笑いで、
「株式会社外池製作所の代表取締役の長女です」
「あら、老舗企業じゃない。ネジとか作っているのよね」大家さんが興味津々。
黒いタイトなスーツに光沢のあるブラウス、大きなピアス、巻いた明るい髪で一見美人風。でも……
田所さんがすかさず、
「なんだ、あんたよりずっと年上じゃないの。化粧濃いし。私には良さがわからないね」
田所さんは人相学に基づいてなのか、個人の感想なのか、よくわからないけど結論が早い。私も思わず、
「圧が強いですね。できる女のコスプレをしているみたい。マウント取るのが生き甲斐の人種ですよね。関わりたくないなぁ」
口に出してしまった。
宮下さんは「そうなの。そうなのよ」
大家さんは眼鏡をかけ直し画像を入念に見ているなと思ったら、突然振り返り、
「旦那さんは普段、結婚指輪はしていたの?」
「はい」
「じゃあ、相手の女は妻帯者とわかってつきあっていたのね。この女にも慰謝料請求できるわよね」
田所さんに同意を求めた。が、意外と冷静な田所さんは、
「いや、裁判ともなると宮下さんにけっこうダメージが残る。それは諦めた方がいいと思うけどね。ところで旦那さんは、慰謝料の話はしているのかい?」
「はい、誠意を見せると言っていました」
「誠意? よく言うよ。いくら払うって言っているんだい?」
そうそう、それが聞きたい。
「あのですね、結婚生活10年で300万円が相場だから、2年で60万円の計算になるけど、100万円支払ってあげるから文句はないよねって」
なぜそれをツイートしない。やっぱり具体的な数字ってインパクトある。
大家さんのスイッチが入った。眉間にシワを寄せて、
「宮下さん? 旦那さんは、その、悪いことをしたって自覚はあるの? ちゃんと謝ってくれたの?」
「いえ、謝罪は無かったです。俺たちは真剣に愛し合っている、出会う順番が逆だったって」
こんな旦那さんなら、サッサと離婚した方がいいんじゃないかな。と思った矢先、大家さんから有効なアドバイス。
「相手の言うとおりにすんなり協議離婚なんてしちゃダメよ。調停をするのよ」
田所さんも膝を打ち、
「そうだ、慰謝料上乗せして調停をした方がいい。調停調書を作っておけば、支払いが滞ったとき強制執行ができる」
2人とも、ついつい声が大きくなって、畑中さんが何事かと厨房から顔を出す。そういえばこんなようなこと百川先輩も言っていたな。私は思わず質問した。
「強制執行ってなんですか?」
田所さんは、私と宮下さん2人に言って聞かせるように、
「強制執行っていうのはね、例えば給料の差し押さえなんかができるんだ。払うって約束していても先のことはわからないし、口約束だけじゃ効力無いからね」
「なるほど、いいですね」
成田君の父親とは違い、相手が公務員なら有効だ。宮下さんは深いため息をついたあと、
「みなさんは、すぐに離婚せずにもう少し我慢しろだとか、浮気はされる側にも原因があるとか、うちの両親みたいなことは言わないんですね」
すかさず大家さんと田所さんが、
「なに言ってんの、悪いことをした人が悪いに決まっているじゃない」
「旦那がいくら夢みたいな事言っても、不倫は不貞行為だよ。調停ではあんまり細かいことは言わなくていい。旦那の不貞行為に絞って戦いな。負けないよ」
「はい。わかりました」
宮下さんの声に力が宿った。
と、バイトの時間がやってきた。後ろ髪ひかれる思いでバイトに向かった。
水曜日と金曜日のバイトは帰りが少し遅くなるので、百川先輩が塾まで迎えに来てくれる。
塾の入口ロビーがフリースペースになっていて、生徒が夕食を食べたり自習をしたり親の迎えを待っていたりする中で、そこに先輩が堂々と待っている。
どっかり椅子に深く座って足を組みスマホをいじっている。大きいから目立つ上に、私があげた紺色のスポーツタオルを首に掛け、Tシャツにジャージを膝までまくって、まるで銭湯帰りのよう。生徒が怖がって遠巻きに。
「村瀬さん、立派なボディガードだねぇ」
塾長がちょっぴり困り顔だけど、仕方ない、1人の夜道はトラウマだから。
先輩が無言で私の荷物を取り、肩に掛ける。
「先輩、頬の傷やっと薄くなりましたね」
「ああ」
またそれっきり無言が続いたので、三白眼にならないよう気をつけながら先輩の表情を伺う。
先輩が渋い顔で私を見下ろしていたので、ドキッとした。
今日の服、また変だったかな。ちょっとおしゃれしたつもりだったけど。
部屋の前で、先輩にしては小さい声で、
「芽依、土曜の夜、部屋に行ってもいい?」
先週は不審者に追われたショックがあったので断っていた。生理もいつもより早くきてしまっていたし。
「……うん」
額が汗ばんできた。