第4話 8月 タンポポの戦略
文字数 2,881文字
天神アカデミーでのお盆特訓があったし、それにどうせ帰ったところで両親は弟達に遠征の付き添いで不在だろうし。
そして何よりも、地元にはFラン私大に指定校推薦で進学した山下がいるし。
たんぽぽ食堂の休みは日曜と祝日だけ、なんとお盆でも営業中なのだ。畑中さんは仕事人間だなぁ。
さすがにお盆はお客さんが少なかったけど、それでも大山チルドレンや畑中ファンの種原病院の事務局長さんや泉水信用金庫の課長さんなど、ヘビーユーザーは来店した。
百川先輩は合気道部の合宿、八島君は帰省したのだろうか、しばらく見ていない。
今日の献立は豚挽肉の夏野菜カレーとコールスローサラダ。もち麦入りのご飯に、茄子や蓮根、カボチャのグリルをのせたサラリとしたカレー。
辛さ控えめでちょい和風。安定の美味しさ。これ、こじゃれたお店で食べたら結構な値段になりそう。
大家さんが珍しく、子ども達に演説をぶっていた。
「あのね、たんぽぽ食堂って名前をつけたのはね、踏まれても踏まれてもたくましく起き上がって花開くようにって願いを込めたのよ。アンタ達もタンポポにあやかるのよ」
子ども達はいつもの常連がそろい踏み。
年の順から、エミリちゃん、ダイヤ君、ソウル君、キララちゃん、トウイ君。あ、ミントちゃんは来ていない。
エミリちゃんが関心無さそうに口先だけで「そうなんだ」と返した。
私はつい、口を挟んでしまった。
「あのですね、大家さん、踏まれたあとに咲いたタンポポは別の個体です」
大家さんが「?」という顔で私を見た。
またやってしまった。大家さんのありがちな話にムキになって、私はいつも変なところばかりこだわってしまうのだ。
「そうなの? 同じ花が復活したんじゃないの? 困ったわね。じゃあたんぽぽ食堂の由来はどうすればいいの? 村瀬さん考えて」
頭の中にある、『タンポポ』に関する引き出しをひっくり返す。
「そうですね、タンポポは茎が短く葉が地面に近いので、背の高い植物と共生すると日が当たらなくて不利なんです、確か。それで他の植物が育たないような、道端なんかに生えているんです。アスファルトの隙間とか過酷に見えるけど、実はタンポポの戦略ですね。でも一番の戦略は、やっぱり種に綿毛がついていること! 遠くに種を飛ばすことで子孫を」
「ストップストップ、村瀬さん細かすぎるわよ、もっとわかりやすく一言で」
そう言うと大家さんはフリルの付いた白い日傘を持ち、「銀行に行ってくるわ」と出かけていった。
子ども達はカレーを食べ終えると、それぞれに背中を丸めてゲームを始めた。あの時、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。
「みんな、学校の宿題は終わったの?」
みんな無言で首を振る。
「え? 大丈夫なの? みんな、ちゃんと終わるの? え? どうして平気なの?」
私が素で
天神アカデミーの生徒は7月中に学校の宿題や感想文などを完了させて、今は新学期の予習をしているというのに。
「みんな、せめてテキストは終わらせようよ、ね?」
エミリちゃんが
「じゃあ、わからないところ、教えてくれる?」
「わかったわかった、教えるから、みんな宿題持ってきて」
私のキャラじゃない、どうしてこんなことになったのか。
みんなは宿題を取りに行った。ソウル君とトウイ君はそのままどこかに遊びに行った。エミリちゃん、キララちゃん、ダイヤ君が戻ってきて、一緒のテーブルにつく。畑中さんが冷たい麦茶を出してくれた。
私ははっきり言って子どもは好きじゃない。しかも野良猫のような子どもなら尚更。
勉強しているそばについているだけで、バイトの3倍疲れた。
見ていて突っ込みたいことは山ほどあったけど、
中学1年生のエミリちゃんとダイヤ君は、1週間かけて夏休みのテキストを完了することができた。小学5年生のキララちゃんは途中でリタイアし、穴だらけのまま「全部終わったもん」と言い張った。
エミリちゃんもダイヤ君も字が下手で乱雑な仕上がりだったが、出来不出来は問うまい。完了することに意義がある。手直しをしたらキリが無いし、2人のやる気を損なうだろう。私は
エミリちゃんに「将来何になりたいの?」と尋ねると、
「パティシエかな」
と答えたので、真剣にアドバイスした。
「それなら栄養士になりなさい、そこの種原病院でもずっと募集しているっていうし」
そばで聞いていたダイヤ君が、
「それって魔道士みたいなもん? じゃあ、俺は何になればいい?」
「ダイヤ君は作業療法士か理学療法士はどう?」
「どっちが強い?」
「私は専門外だからよく違いがわからないけど、どっちも就職に強いんじゃないかな」
「どうすればなれんの?」
「今から勉強して、泉工医大の福祉医療学部に入るのよ。そのまま泉水地域医療センターで働けるみたいよ」
「へえ、センターか。かっこいい?」
「かっこいいよ」
テキストを終えてからは、麦倉先輩が夏休みの自由研究を手伝ってくれた。
テーマは『種原山自然公園の植物』。
私が提案した『自家製コンポスト』はエミリちゃんとキララちゃん2人に却下された。
「コンポストって何?」
「生ゴミ処理機よ。牛乳パックに野菜くずを入れてね、米ぬかとかヨーグルトなんかを投入して発酵や分解具合を」
「えー、絶対ヤダー」
植物を選んだのは、生ゴミ処理機よりはマシというだけ。エミリちゃんもキララちゃんも植物には全く関心が無い。麦倉先輩がチラシの裏に描いた植物の絵やまとめを、そのまま模造紙に丸写し。
けれど私が持ってきた12色のサインペンを見ると、カラフルなイラストや縁取りを夢中で描きだした。いつも大人びたエミリちゃんも、無邪気な笑顔を見せている。
夏休みが終わる頃、畑中さんはおやつにプリンを作ってくれた。
「私は洋風なお菓子は苦手なのよ」
と言いながら。
麦倉先輩は一口食べると、
「ん? 甘めの茶碗蒸し?」
和風の小鉢に入った蒸しプリンは、一見茶碗蒸し風だったが、優しい甘さは私の脳の芯にじんわり広がった。
プリンって美味しいんだなと思ったら、何故かじんわり涙が浮かんだので、焦って堪えた。
「どうした村瀬サン、プリン食べたの初めてだった? 泣くほど美味しかった? 」
麦倉先輩うるさい。
「芽依さんて、かわいいよね」
エミリちゃんもうるさいよ。
夏休みが終わり9月に入ると、エミリちゃんはパッタリとたんぽぽ食堂に来なくなった。
その間も大山さんは淡々とパトロールを続けている。
食堂に来たダイヤ君に、エミリちゃんのことを尋ねた。
「鈴木は転校したよ、どこ行ったかはわかんない」
エミリちゃんを思うと、外来種のタンポポが重なる。お父さんが日本人でお母さんがフィリピン人のハーフのエミリちゃん。
踏まれれば枯れてしまうのだから、危険な場所で咲かないで。外敵がいない安全な場所に、綿毛が飛んでいきますように。