第31話 ミュージック・オブ・ハート
文字数 5,648文字
バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1043」を聴いて思い出した映画があります。
「ミュージック・オブ・ハート」(1999年アメリカ)は、「Small Wonders ハーレムのヴァイオリン教室 ロベルタ先生と50人の子どもたちの奇跡」(1996年アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネート)を原作としたメリル・ストリープ主演の映画です。
クライマックスのアイザック・スターンやイツァーク・パールマンなど著名なヴァイオリン奏者を巻き込んでのカーネギーホールでのベネフィットコンサート。
ここでプロの奏者と卒業生も含む子供たちによって演奏されたのが「2つのヴァイオリンのための協奏曲」でした。
集まったプロの奏者は ダイアン・モンロー アイザック・スターン イツァーク・パールマン マイケル・トゥリー アーノルド・スタインハート アニ・カヴァフィアン/アイダ・カヴァフィアン姉妹 カレン・ブリッグス ジョン・ブレーク・ジュニア そして五嶋みどり。
アカデミー賞候補になった「Small Wonders」を観て感激したミラマックスの社長と監督が権利獲得に奔走。
アカデミー賞授与式の会場でロベルタ先生との契約を成立させたというだけあって、本筋は変える事なく作られている映画の方もなかなか面白いです。
映画の中のコンサートのシーンに、残念ながら五嶋みどりさんはいませんが ジョシュア・ベルなどドキュメンタリーの時とは違うプロの奏者が参加しています。
同じホールで同じ曲。映画化するとこういう違いが出てくるのですね。
イン・シンクは1997年にデビューし、2000年にアルバム"No Strings Attached"が大ブレイク。
ジャスティン・ランダル・ティンバーレイク(1981年1月31日)は、アメリカ合衆国の男性シンガーソングライター、俳優。
10のグラミー賞とともに4つのエミー賞を獲得している。
グロリア・エステファン(1957年9月1日 - )は、キューバ生まれのアメリカの歌手。
1983年にポール・アンカと共に制作されていたのが、『スリラー』の大ヒットでマイケルが多忙になり、レコーディングは中止になり、一旦はジョニー・マティスに提供され、それは1984年にリリースされた。マイケルの楽曲としては、2014年に30年以上のブランクを経てリリースされた。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ラヴ・ネヴァー・フェルト・ソー・グッド
ずいぶん前にレンタルして観た映画。観た時はなぜ貧しいハーレムの学校にヴァイオリン? 子供たちが弾けるようになるの? と思ったが。
『ミュージック・オブ・ハート』は、1999年のアメリカ合衆国のドラマ映画。監督はウェス・クレイヴン、出演はメリル・ストリープ、アンジェラ・バセット、グロリア・エステファン、エイダン・クインなど。
実話を元に、荒れた小学校の臨時教師となったロベルタ・ガスパーリが、音楽による子供たちとの交流を通じて互いに成長していく姿を描いている。
ロベルタはかつてヴァイオリンに情熱を燃やしていた主婦。軍人の夫と結婚して子供を2人もうけるが、夫は不倫をして出て行ってしまった。就職口を探していたところ、奇遇にも昔の知り合いのブライアンに出会い、彼の紹介によりニューヨークのハーレムの荒れた学校にヴァイオリンの臨時教師として就職する。
当初は荒れた子供達に悪戦苦闘するものの、徐々に子供達もヴァイオリンを楽しむようになる。
演奏会を開き、結果は大成功、校長や親達から絶賛される。教育を通じロベルタも自立した強い女性へと成長する。
それから10年間、ロベルタの授業は続いていたが、市の予算の都合でロベルタは解雇勧告され、ロベルタのクラスが閉鎖されることになった。ロベルタはクラスを存続させるためチャリティーコンサートを開くことを決意。一流のヴァイオリニストなど様々な賛同者の協力を得てカーネギー・ホールでのコンサートを成功させる。
アイザック・スターン、アーノルド・スタインハート、イツァーク・パールマン、マーク・オコーナー、ジョシュア・ベルなどの著名な演奏家が本人として登場している。
最後の演奏シーンはカーネギー・ホールで収録された。
子供の中には足の悪い女の子がいて、姿勢を保てないため弓に力が入らない。義足を見たロベルタは「松葉杖のイツアーク ・パールマンは椅子に座って素晴らしい演奏をしたのよ。人は足だけで立つのじゃない、気持ちでしっかり立つことが大事なのよ」と励ます。
バイオリンはまず立つ姿勢が基本中の基本。4本、又は3本の足に支えられるピアノと違い、バイオリンは奏者自身が支える必要があります。支え方も何でも良いというわけではなく、例えば楽器の肩への乗せ方ひとつをとっても、正しい構え方を最初に学びます。また、バイオリン本体だけではなく、弓も正しい持ち方と動作を学びます。初心者にとってはまず楽器の構え方と弓の持ち方、この二つに時間をかけ、焦らず、体の感覚で正しい構え方・持ち方を出来るようになるのが第一歩なのです。この二つが出来るようになって初めて、音を出す事に進みます。ピアノはポンッと鍵盤を押せば誰でも音が出せますよね? それに対し、バイオリンは音を出すまでに時間がかかる、辛抱強さや根気強さを試される楽器なのです。そういう意味でバイオリンという楽器は何事も諦めず、一つの事を続ける根気を育てるのに最適な楽器だと感じます。
更に、耳で音程やリズムを聴き、右手は弓を動かし、左手はバイオリンの弦を押さえるという左右全く別の動作をしますから、体のコーディネーション能力が発達するのはもちろん、集中力も伸びます。一つ一つの壁を乗り越える度に自信もついていきますし、成長して室内楽やオーケストラ等でアンサンブルするようになれば協調性も育まれます。
「どんな子供でもきちんと教えれば、必ずヴァイオリンを弾けるようになる」という台詞も、鈴木鎮一の教育理念そのままである。なお、劇中本人役で登場するジョシュア・ベルは、アメリカにおけるスズキ・メソード出身者のひとり。
スズキの指導曲集が画期的なのは、一番最初が音階ではなく、曲で始まるということです。最初から、開放弦や第1ポジションで弾ける曲を1曲弾く。曲を積み重ねることによって、テクニックも増えていく。1曲弾けると達成感を感じるわけで、子どもたちにとっても親にとっても優れたメソードだと思います。また、お兄さんお姉さんがカッコよく弾いている曲を見て、いつかは自分もあの曲を弾きたいという目標にもなります。
第一ポジションでは、
G線ではラシドレ
D線ではミファソラ
A線ではシドレミ
E線ではファソラシ
が鳴ります。
第一ポジションをマスターすると、
ソラシドレミファソラシドレミファソラシ
と弾けるようになります。
かなり色んな曲が弾けるようになります。
https://xn--eckm6ioexbw403a97yg.com/140ontei/3-10firstposition.html
『ハーレムのヴァイオリン教室~ロベルタ先生と50人の子供たちの奇跡』
『ミュージック・オブ・ハート』の基となったドキュメンタリー。バイオリン教室を存続させるため、チャリティ・コンサートの開催に奔走する教師と生徒の姿を追う。
製作総指揮: ウォルター・ショアー
製作: スーザン・カプラン
監督: アラン・ミラー/ラナ・ミラー
撮影: クレイマー・モーゲンソー
出演: ロベルタ・ガスパーリ/イツァーク・パールマン/アイザック・スターン
1996年アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネート
世界的ヴァイオリニストたちがカーネギーホールで夢の共演!
アイザック・スターン、イツァーク・パールマン、アーノルド・スタインハート、マーク・オコーナー、五島みどり、ジョシュア・ベルら錚々たるヴァイオリニストたちが、ロベルタを応援。
【ストーリー】
夢はかなうもの。私たちはついに、憧れのカーネギーホールに立った・・・
1990年ニューヨーク市イースト・ハーレム。小学校のヴァイオリン教師ロベルタ・ガスパーリは、市の予算削減のために 10年間続いたヴァイオリン教室存続の危機に立たされます。
何とかクラスを守ろうと音楽教育の大切さを訴えるロベルタ先生の姿は、やがてマスコミをも動かし、その呼びかけに大勢の人たちが支援に乗り出します。
『夢はかなうもの』そう信じるすべての人へ贈る、ロベルタ先生と50人の子どもたちの奇跡を綴った感動のドキュメンタリー。
https://www.amazon.co.jp/ハーレムのヴァイオリン教室~ロベルタ先生と50人の子供たちの奇跡~-DVD-アラン・ミラー/dp/B00005HUCB#productDescription_secondary_view_div_1670115795572
それにしても、この感動大作を監督したのが、『スクリーム』『エルム街の悪夢』のウェス・クレイブンなのだから、驚かされる。オープニングのクレジットに、監督としてウェス・クレイブンの名前が出るが、同姓同名の別なウェス・クレイブンが存在するのかと思ってしまったほどだ。ただし、『スクリーム』や『エルム街の悪夢』は、いずれも映画的には丁寧な手抜きのない緻密な作りの作品である。丁寧な演出という彼の作風は、『ミュージック・オブ・ハート』に受け継がれている。ウェス・クレイブンは、『ミュージック・オブ・ハート』で初めてホラー映画以外の作品に挑戦した。
https://www.ne.jp/asahi/hoth/press/other_films/pics/musicofheart/musicofheart.htm
20世紀後半における最も偉大なヴァイオリニストの一人と評価されている。
3歳の時、ラジオでヴァイオリンの演奏を聴いて感動し強い憧れを抱く。
4歳3ヶ月のとき、ポリオにかかり、下半身が不自由になってしまう。それでもヴァイオリニストになる夢をあきらめず、幼少ながらシュミット高等学校でレッスンを続ける。
その後、アメリカ=イスラエル文化財団の奨学金を受けて、テル・アヴィヴ音楽院でリヴカ・ガルトガルトでに師事し、10歳で最初のリサイタルを開いた。
13歳の時、『エド・サリヴァン・ショー」のタレント・コンクールに応募して栄冠を勝ち取り「熊蜂の飛行」や「華麗なるポロネーズ」を弾いて大絶賛を浴びる。
このテレビ出演をきっかけに、アメリカに留まることを決意、アイザック・スターンの強い推薦を得てジュリアード音楽院に入学、名教師イヴァン・ガラミアンのもとで学ぶ。
その後、アメリカでの正式デビューは1963年3月5日、17歳の時にカーネギー・ホール。
1964年8月にはレーヴェントリット国際コンクールで優勝する。18歳での優勝は史上最年少であった。その後はアメリカのメジャー・オーケストラから共演依頼が殺到し、アメリカ全土の主要都市でリサイタルを開いて絶賛を浴びる。
1966年から始めたレコーディングではグラミー賞15回をはじめとしてエミー賞を4回受賞するなど、ほとんどのレコード賞を獲得している。
また、1933年には映画「シンドラーのリスト」の主題をこの映画の為に演奏した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/イツァーク・パールマン
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