第45話 新年

文字数 4,685文字

2023年が始まりました。カウントダウンの『新世界の第4楽章』見事でした。あのあと、かてぃんさん出演したのかしら? 眠ってしまいました。

新年の箏曲をピアノで。

2021だけど春の海。

三連符にしたら2023。

小4のかてぃんさん、見つけました。曲は?

ショパンのスケルツォ1番でした。初めて聴きます。

作曲者は、江戸時代前期の音楽家・八橋検校(やつはし けんぎょう/1614-1685)。日本の箏の基礎を作り上げた人物とされ、その功績は高く評価されている。


八橋は、ドイツの作曲家J.S.バッハが生まれた1685年に亡くなった。つまり、『六段の調』をはじめとする八橋の箏曲は、J.S.バッハよりも前の時代に作曲されたものである。


八橋検校の死後、その業績を偲んで、箏の形を模した堅焼き煎餅が配られたという。これが京の銘菓「八ツ橋」の始まりだそうだ。

https://www.worldfolksong.com/songbook/japan/rokudan.htm

「六段の調べ」とも呼ばれるこの曲は、六つの段からなる段物の曲です。長い間、近世箏曲の祖である八橋検校が作曲したと伝えられてきましたが、現在では、八橋が生まれる前から六段の原型といわれる曲が存在していたことがわかっており、正確な起源は不詳です。 

冒頭部分を主題とし、この主題がだんだんに発展・変化していき、曲の旋律を導いています。 

歌曲が多い古典曲の中では珍しく歌の付かない独奏曲であり、練習曲としての役割も大きかったため、箏曲を代表する曲の一つになりました。

技術的にはそれほど難しい曲ではありませんが、「箏は六段に始まり、六段で終わる」と言われるくらい奥が深く、初級者から上級者まで幅広く演奏される曲です。

https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/24/1.html

7歳の頃に失明。しかし、この失明が転機ともなり音楽の道を志す。

13歳の夏、一家の収入を支えるため父の滞在する朝鮮の仁川へ渡り、昼間は箏、夜間は尺八を教えて家計を助けた。道雄は既習の曲の演奏だけでは満足せず新規の作曲も目指し、1909年(明治42年)には14歳で第一作の箏曲「水の変態」を書き上げ、伊藤博文に評価された。伊藤は道雄を上京させて支援することを約したが、同年に伊藤が暗殺されたため、これは叶うことは無かった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E9%81%93%E9%9B%84

「こと」は、「琴」ではなく、正しくは「箏」という漢字を用います。どちらも一緒だと思われているかもしれませんが、実は「箏」と「琴」は異なる楽器なのです

「琴」という漢字で「きん」と呼ばれる楽器は、古代中国の「七絃琴」として知られる絃楽器を指します。琴や琴爪は用いず、と呼ばれる13個の目印により左手の指で絃の長さを区切って音程を作り、右手の指で絃を弾きます。

奈良時代に中国の唐から十三本の絃を持つ楽器が日本に伝来しました。それが「箏」で、現在一般的に知られているものになります。


箏の胴の上に立てられた柱(じ)という可動式ブリッジを動かして音の高さを決めるのが特徴です。そして、右手の親指・人差し指・中指に箏爪を付けて演奏します。


なお、「箏」という字は訓読みで「こと」、音読みで「そう」と読みますが、楽器の名称としては「こと」と読むのが一般的です。ただし、「箏曲」の場合は、「こときょく」ではなく「そうきょく」と読みます。

https://yasuko-fukuda.com/learning/sou-and-kin-different/

高3の体育祭では女子のダンスはこの曲でした。扇子を持って踊った……
ニューイヤーコンサートは明るすぎて苦手。新年の投稿はなかなか曲選びが進みません。他の回は多すぎて削除してるのに。
ワルツは滅多に聴かないけどこの曲は好き。『ベニスに死す』の食事の場面で何度か流れていたから。1曲聴くためにLPレコードも買いました。
この曲を作曲したフェリックス・メンデルスゾーン(1809年-1847年)は、ドイツ・ロマン派の作曲家、ピアニストです。
かなり裕福な家に生まれた、いわゆる「ボンボンのエリート坊っちゃんで、色々な経験をさせてくれる、教育熱心な両親の元に生まれました。

彼は幼少期から音楽の優れた才能を発揮し、神童とも言われていました。
一度見た楽譜や一度聴いた音楽は、完璧に記憶していたそうです。

彼は書き上げた代表曲のうち、1曲の楽譜を引っ越しの際に無くしてしまいました。
そして彼は、記憶だけを頼りにもう一度楽譜を書き上げたそうです。
後に紛失した楽譜が発見されたのですが、2つの楽譜は7箇所のみが違っていただけで、残りの箇所は完璧に同じだったそうです

また、数カ国語を操れるマルチリンガルでもあり、さらには水彩画の才能まで持ち合わせていたそう。

この『春の歌』は、彼の『無言歌集』という、ピアノ作品集の中の1曲です。
全部で48曲、8巻からなる『無言歌集』は、メンデルスゾーンが15年間という長い歳月をかけて作曲した作品集であり、『春の歌』は1844年出版の第5巻に収録されています。

https://shirokuroneko.com/archives/16186.html

『若葉の頃』と『やまとなでしこ』は再放送で観ていた。
ニュー・イヤーズ・デイ」(New Year's Day)は、U2の3枚目のアルバム『WAR』からのリードシングルで、U2のシングルとして初めてUKチャートのトップ10に入った曲である。

この曲の歌詞は、もともとボノが妻へ捧げるラヴソングだったものが「ポーランドの民主化運動」に感化され、形を変えたものだそうです。

その為か、ラヴソングらしいフレーズ(I will be with you again)と、不穏な描写(under the blood red sky)が入り混じる歌詞となっています。

「何も変わらない新年の始まり」とありますが、その言葉とは裏腹に、何か事が起きそうな雰囲気が充満しています。

変わらないものとは ”争い合う人間” かもしれませんし、”あなた (you) への想い” かもしれません。

https://lyriclist.mrshll129.com/u2-new-years-day/

1980年1月にビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソンによって書かれた「ハッピー・ニュー・イヤー」は、ABBAのほろ苦い魔法を完璧に表現している。元々は大晦日の前後に行われるミュージカルの一部として演奏されることを意図して制作されたが、一方で、「昔見ていた夢はすべて死んでしまった、床の上の紙吹雪以外の何物でもない」という歌詞とともに、未来への希望を歌ったものである。それは、当時のグループ内の混乱を反映しているだけでなく、年の変わり目に加速する時間の経過に伴い、人々が経験するより広い悲しさと複雑な感情を表している。


しかしながらも、希望は勝つ。アグネッタはコーラス部分で「隣人がすべて友達である世界のビジョンを、私たちは当時も今も持っていますように」と歌っている。40年経った今でも、この言葉は今まで以上に時代に合ったものとなっているのだ。ウルヴァースは2011年にこのように語った。「どんなに不吉なことがあったとしても、人類は前に進むという特徴を持っている。例えどんな試練があったとしても。そして心の奥底では、そんな状況を乗り越えることができると思っている。私は、人々は地球上での時間を持て余しているとは思わない。」

https://www.universal-music.co.jp/abba/news/2020-10-14/

彼らの王道とされる“ボン・ジョヴィっぽい”作品群があるとするならば、この作品はそこには属さない近代のボン・ジョヴィ作品の中のひとつが「ニュー・イヤーズ・デイ」。13年にリッチー・サンボラがバンドを去り、それまでサポート・メンバーだったヒュー・マクドナルドとフィル・Xが正式加入して以降、初となるアルバム『ディス・ハウス・イズ・ノット・フォー・セール』に収録され、それまでのボン・ジョヴィにはなかった新たな息吹が感じられる作風は今年コロナ禍でリリースされたアルバムへとつながっています。もともと広い領域をさらに広げて本格始動したボン・ジョヴィ。この歌詞にある通り、希望を持って新たな年を迎えましょう。(2020年)

https://okmusic.jp/news/409147

「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」(英: My Heart Will Go On = 私の心は生き続ける)は、1997年の映画『タイタニック』の主題歌。アカデミー歌曲賞を受賞した。作詞はウィル・ジェニングス、作曲はジェームズ・ホーナー、歌はセリーヌ・ディオンである。


『タイタニック』の音楽を担当したホーナーは、本編中の作曲を制作した最中「ローズのテーマ」を元にフルボーカルの曲を作った方がいいのではないかと構想する。当初はジェームズ・キャメロン監督は、映画に主題歌を作ることを反対しており、ホーナーはキャメロンを説得する為、キャメロンには秘密裏にジェニングスに作詞を依頼し、セリーヌ・ディオンに唄を依頼する。しかし、ディオンもサビで高いキーを出す事の難しさ等で経験したことの無い曲であったため消極的であったが、彼女のマネージャ兼夫であるレネ・アンジェリルがデモ版をレコーディングするよう説得した。完成後に秘密裏に作っていた曲をデモで流したところ、キャメロンは気に入り、本作のエンディングに使用する事を決める。これ以降からキャメロンは『アバター』でもテーマ曲を元にフルボーカルを組み込んだテーマ曲を作る作風を取り入れる事となる。


この「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」はセリーヌ・ディオンの最もヒットした曲となり、また歴史上最も売り上げたシングルの一つでもある。


この曲がリリースされたときの人気の高さ故、この曲はセリーヌ・ディオンの代表曲であるといえる。また、他の2つの映画サウンドトラック、『ボディガード』よりホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」と、『ロビン・フッド』よりブライアン・アダムスの「アイ・ドゥ・イット・フォー・ユー」の3曲は1990年代を代表するラヴ・バラードであるといわれている。


作曲者のホーナー自身はその後『ビューティフル・マインド』、『アンドリューNDR114』、『パーフェクト・ストーム』などで映画のテーマから作曲する彼の手法を繰り広げた。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3

ジェームズ・キャメロン監督のこの有名な映画は……アバターも……

ターミネーター、1と2はよかった。以降は別の監督さん。『エイリアン2』も大成功。深海を舞台にしたSF映画『アビス』は不振。『アビス』は私は面白かったけど。


『ビューティフルマインド』は『作品の中の音楽』20話にあります。

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