第26話 エレキギター
文字数 2,419文字
エレクトリック・ギターは、ピックアップを内蔵し、それによって弦の振動を電気信号に変換するギター。通称・略称はエレキギターおよびエレキ。
エレクトリック・ギターは、その金属製の弦の振動をピックアップで(微弱な)電気信号に変えるギターであり、そのエレクトリック・ギター本体とアンプを、(電気信号を伝えるための)シールド・ケーブルで接続し、(信号を受け取った)アンプの側で電気信号を増幅し音を出す。
アンプで音をひずませたり大音量の音を出したり、様々なエフェクターを用いて音質を多彩に変化させることが可能で、それらがエレクトリック・ギターの大きな特徴となっている。
ファンレターをいただいた。ピアノに詳しい専門知識のある方から。こちらは、音感もなく、YouTubeとWikipediaを貼り付けているだけなので恥ずかしい。
それで触ったこともないエレキギターまで投稿してしまうなんて。
ウリ・ジョン・ロートはスカイ・ギターの考案者。その風貌から、日本では「仙人」と称されることもある。イングヴェイ・マルムスティーンに多大な影響を与えたことでも知られ、間接的に現代のロック・ギターの奏法の基礎を築いた人物とも言える。
スコーピオンズ時代より、ヴァイオリン等の高音が出せる楽器の音を耳にして、本人曰く
「より高い音を得たいという内なる欲求」
を叶えるために、フェンダー・ストラトキャスターの指板を2フレット分延長して23フレットにする改造を試みていたが、さらにもっと高い音を得られるギターとして開発されたのがスカイ・ギターである。
スカイ・ギターは後年に製造されるに従い、様々な改良が取り入れられている。
「インギー」の愛称で親しまれている。ロック・ギターにクラシック音楽の要素を盛り込み、驚異的な速弾きでギター奏法に大革命をもたらした。
日本ではマイケル・シェンカーの「神」に対して「王者」と呼ばれる。
1970年、世界的なギタリスト、ジミ・ヘンドリックスが死去した。
TVで彼の特集番組を見て、ギターに興味を持ち練習を始める。また、姉からディープ・パープルのレコードを貰い、ここでもまた大きな影響を受け、ギターのコピーをし始める。
この頃からクラシックも聴き始め、ヴァイオリンの楽譜をギターで弾くことにも挑戦していた。
1987年6月22日、運転中、木に激突するという大事故を起こす。
8日間にわたる意識不明の重体で、右手に後遺症による麻痺も煩いリハビリで何とか克服するが、細かな手癖や後のギタープレイ自体にも支障を抱えることになる。
ウリ・ジョン・ロート
1968年、ギターに目覚める。主にコピーバンド中心に活動していく。
1969年、ジミ・ヘンドリックスのライヴを観て衝撃を受け、トリオ編成のバンドを結成する。
1973年、マイケル・シェンカーのU.F.O.参加により一度解散したスコーピオンズの再結成に協力する。アルバム『電撃の蠍団 フライ・トゥ・ザ・レインボウ』において弱冠19歳でありながらも驚異的なテクニックを披露。
1978年春、スコーピオンズのメンバーとして初来日。その後、バンドを脱退する。
1983年、現在のウリの愛器「スカイ・ギター」の第1号を完成させる。
1998年、ジョー・サトリアーニ主催の「G3」にてマイケル・シェンカーと共演。
2001年、23年ぶりに来日。トミー・ハート(ボーカル、フェア・ウォーニング)山本恭司(元VOW WOW、現BOW WOW)らと共演。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/メタモルフォシス〜天界の旅
ピアノの旋律をコピーしようとすると一本のギターでは再現が不可能に近いという事があり
右手パートと左手パートをわけて録音しました。
特に左手のパートが難しく、ギターでは音域が足りないので
アレンジしたり省いたりして何とか再現してみました。
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