第47話 ジミヘンと3大ギタリスト 2
文字数 7,390文字
ジェームズ・パトリック・ペイジ (1944年1月9日- )は、イギリスのロックギタリト、作曲家、プロデューサー。
ハードロックの代表格であり、ビジネス的にも大成功したレッド・ツェッペリンのギタリスト兼リーダー、プロデューサーだった。
ローリング・ストーン誌の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第9位、2011年は第3位。
レッド・ツェッペリンは、1968年にロンドンで結成されたイギリスのロックバンド。メンバーはボーカリストのロバート・プラント、ギタリストのジミー・ペイジ、ベーシスト/キーボード奏者のジョン・ポール・ジョーンズ、ドラマーのジョン・ボーナム。
ブルースやフォークミュージックなど、さまざまな影響を受けたスタイルでありながら、重厚なギターサウンドで、ハードロックやヘヴィメタルの先駆者の一つとして挙げられている。
結成当初、ニュー・ヤードバーズと名乗ったレッド・ツェッペリンは、アトランティック・レコードと契約を結び、かなりの芸術的な自由を与えられた。当初は批評家に不人気であったが、10年間の活動で8枚のスタジオアルバムをリリースし大きな商業的成功を収めた。
ペイジは曲の大半を執筆し、プラントが歌詞の大半を創作した。ジョーンズが作曲したキーボードベースの曲は、活動後期に彼らの音楽の中心となり、実験的な曲も増加した。活動の後半に行われた一連のツアーは数々の記録を打ち立て、自堕落な乱痴気騒ぎの悪評も得た。彼らは商業的に成功し、多くの批判も受けたが、1980年のボーナムの死後にグループは解散した。
「胸いっぱいの愛を」(Whole Lotta Love)は、レッド・ツェッペリンの1969年の楽曲。
アメリカ合衆国とドイツ(地元チャートで首位)、オランダ(地元チャートで最高4位)、 ベルギー、フランス、日本でシングル・カットされ、特にアメリカでは最初のヒット・シングルとなり(最高4位)、セールスは100万枚を突破した。
「胸いっぱいの愛を」の歌詞の一部は、ウィリー・ディクスン作の「You Need Love」から採られている。さらにプラントのフレージングは、スモール・フェイセスの「You Need Loving 」におけるスティーヴ・マリオットの歌い方によく似ている。ディクスン作の「You Need Love」との類似に関しては、1985年にディクスン側から訴訟が起こされ、最終的にディクスンに有利な形で法廷外での和解が成立した。
https://www.hmv.co.jp/artist_Jimmy-Page_000000000007677/biography/
「カシミール」は、ジョン・ボーナム、ジミー・ペイジ及びロバート・プラントによって作詞作曲され、1975年に発表された。
プラントがこの歌詞を構想したのはサハラ砂漠をドライブしていたときであり、現実のカシミール地方がイメージの源泉になったわけではない。歌詞の中に(おそらくは後付け的に)「Kashmir」という単語が現れる。
ロックアーティストよりもむしろクラシック音楽やクラシカル・クロスオーバーのアーティストに好んでカバーされており、構成の巧みさやメロディーの流麗さといった芸術性の高さがジャンルを超えた評価を受けていると考えられる。
プラントは、「カシミール」を "The Pride of Led Zeppelin" (レッド・ツェッペリンの誇り)と呼んでいる。派手なギター・ソロやアクロバティックなヴォーカルではなく、アンサンブルの妙によって傑出した独自性を実現したこの曲こそ、レッド・ツェッペリンの最も重要な作品だと評価できる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E6%9B%B2)
『作品の中の音楽』26話に『天国への階段』があります。
指揮者の帝王カラヤンがクラシック以外で認めた曲は、ひとつは日本国歌「君が代」。もう1曲が、ロックの金字塔、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」だ。カラヤンは、「私がオーケストラで演奏するとしても、これ以上のアレンジはない名曲だ」と称えた。
レッド・ツェッペリンに関する書籍や記事には必ずセックス、ドラッグ、破壊行為、酒、煙草のことが書いてある。ジミー・ペイジはコカイン所持で2回逮捕されている。
しかしそれは事実として、音楽に対しては純粋であり真剣だった。ジミーの言葉でいえば「全身全霊を傾けていた」のである。
酒を飲み麻薬をやり乱交パーティーをやったとしても、そこにジミーの本質はなかったのだ。彼は音楽をものすごく大切にしていた。いつも音楽への情熱がすべてのことの上にあった。だから最終的に、麻薬で死なずに済んだのではないかと思う。
それにしても麻薬は相当きつかったみたいで、抜け出すのはたいへんだったようだ。抜けたと思ったら首の太いオヤジになってしまって、それはそれで困ったことだった。しかしとりあえず、現在のペイジはとてもいい感じの白髪の紳士で、とうとうクスリも酒も煙草も断って健康そうである。
この美しい歳のとりかたを見ると、とうていジミーがそんなにクスリ漬けで自分を見失うほどだったとは思えないのである。いや、自分を見失った時もあっただろうけど、音楽にそれが出てしまっているとは思わない。
https://bluebonnet323.hatenadiary.org/entry/20121129/1354194445
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/31059/5/1/1
結婚は2回……?
ジェフ・ベック(1944年6月24日 - )は、イングランド出身のミュージシャン、ギタリスト。
日本では、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ3大ロック・ギタリストの一人とされている。『ローリング・ストーン』誌の選ぶ「最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第14位、2011年の改訂版では第5位。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジェフ・ベック
かのエアロスミスがビッグになり、ライブでベック時代のヤードバーズの曲「トレン・ケプト・ア・ローリン」を演奏したとき、ベックが急遽ゲストでステージに上がるや、ジョー・ペリーは感動で涙を流しながらその場に立ちつくした。
ジェフ・ベックは、エリック・クラプトンと共に天才ギタリストとして60年代半ばから活躍しながら、性格やギターに対する姿勢はまったく違っていた。"神様"と呼ばれながらも、常にフレンドリーで誰よりも人間的であったクラプトンに対し、ベックは性格も利己主義で自分勝手、非情だとまで言われ、どこか近寄りがたい存在であった。ギター奏法においても、かなり独創的でトリッキーなことから、後継者になるようなプレイヤーも現れず、いつしか「孤高のギタリスト」と呼ばれるようになっていた。
映画『欲望』(1966年)
ミケランジェロ・アントニオーニの描くスウィンギン・ロンドンは、このシーンから始まる。主役を演じるデヴィッド・ヘミングスが立ち寄ったモッズ・クラブでは、ジミー・ペイジとジェフ・ベックの両ギタリストが在籍するザ・ヤードバーズが演奏している。ジャズを目当てにクラブへ集まった客は、ステージをまるでロボットのように無表情に眺めている。バンドが演奏する「ストロール・オン」はレッド・ツェッペリンの原型とも言えるハードな曲で、「トレイン・ケプト・ア・ローリン」を露骨に思い起こさせる。ガムを噛みながら演奏していたジェフ・ベックが調子の悪い機材に怒ってギターを叩きつけたのをきっかけに、観客たちの間で暴動が起きる。現代の疎外感に対する批判なのだろうか? ただ、ジミー・ペイジのマトンチョップのもみあげは明確に何かを主張している。
「2010年初め、エリックとツアーしてたとき“歌ってみれば? また歌い始めたら、いいんじゃない”って言われた。でも、ちょっと遅すぎるって思ったよ。ヴォーカルをトレーニングしてきたわけじゃないし、自信がないよ。バンドが強く投げつけてきたら、うまく返せないと思う」
しかしながら、相応しいトラックがあれば考えてみてもいいという。
「もし誰かが俺の声にピッタリの曲を作ったら、考えるかもしれないな」
ジェフ・ベックがギタリスト達の間で未だにカリスマ的な人気を保っているのは、他の追随を許さないテクニックとセンス、並々ならぬギターへの情熱。
ジミヘンが派手にプレイして有名になったフィード・バック奏法や大胆なアーミング・アプローチ(ギターに付いているトレモロ・アームという音程を変える装置を使ったプレイ)、ピック・ポルタメント(弦の上をピックでギィーっと滑らせる奏法)も、すべてベックの奏法を取り入れたものだ。
67年には、ソロとしてベック自ら歌も唄っているシングル「ハイ・ホー・シルヴァー・ランニング」を発表。これが全英14位の大ヒットとなり、続けて「タリー・マン」「恋は水色」のシングルもスマッシュ・ヒットさせた。
68年になると、ソロ時代のバック・メンバーを中心に、ジェフ・ベック・グループを結成。そのメンバーの中には、ロッド・スチュワート(vo)、ロン・ウッド(b)、エインズレー・ダンバー(ds)、ニッキー・ホプキンス(key)らがいた。
このバンドはベックのわがまま(音楽的なもの)で、メンバーをコロコロ代えつつ2枚のアルバムを残し、69年のウッドストック・フェスティバル出演間際に突然解散した。
75年、付いて来るメンバーがいなくなったのか、はたまた付いて来られるメンバーが見つからなかったのか、ベックはついにソロとなり、全面インストゥルメンタル(=インスト。唄なし)のアルバム「ギター殺人者の凱旋(Blow By Blow)」をリリースした。今ではロック・ギタリストのインスト・アルバムなど珍しくもないが、当時はまだ前例があまり無く、かなり衝撃的なものだった。内容的にも、ジャズ寄りのミュージシャンを従え、ロックとジャズの融合を図った斬新なものだった。
このベック初のソロ・アルバムは全米4位の大ヒットを記録。インストのアルバムがこれほどのセールスを記録するのはたいへん珍しい。この大ヒットで、それまで3大ギタリストの中では、一番地味な存在であったベックも、一挙にクラプトンやジミー・ペイジと肩を並べるほどの存在となった。
また、このアルバムの成功は、ロック界のみならずジャズ界へもかなりの影響を及ぼし、あっという間にクロスオーヴァー・サウンドは一大ムーブメントを巻き起こす。そして、ついには「フュージョン」という1ジャンルとして独立してゆくまでに発展する。
世界が認める伝説のギタリスト、ジェフ・ベックと、ハリウッド・ヴァンパイアーズのシンガー/ギタリストとしても活躍する俳優のジョニー・デップがタッグを組んだ ”ジェフ・ベック・アンド・ジョニー・デップ” 名義によるスタジオアルバム『18』が完成。
この男と出会って以来ずっと笑いっぱなしだよ」(ジェフ・ベック)
「彼は俺のギターヒーローの一人であり、親愛なる友人の一人でもある」(ジョニー・デップ)
と交歓し合う両者の付き合いは5年以上にも及ぶ。
「孤独」(Isolation) は、ジョン・レノンの楽曲。1970年発表のアルバム『ジョンの魂』に収録されている。
この時期のレノンは、ビートルズの解散問題、妻オノ・ヨーコと共に直面していた攻撃、そして薬物の大量使用によってもたらされた深刻な不安と自信喪失によって、活動に幻滅を感じつつあったという。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/孤独_(ジョン・レノンの曲)
2001年、ニュー・アルバム「ユー・ハッド・イット・カミング」が発表された。
また新しい奏法を模索し、トリッキーで多彩なプレイを連発している。驚くことにベックはこのアルバムで、Fenderストラトキャスター・モデルのギターとMarshallのギター・アンプ以外一切使用していないということだ。
また女性ギタリスト、ジェニファー・バドゥン(元マイケル・ジャクソンのツアー・メンバー)や、女性ヴォーカル、アイモゲン・ヒープの起用は、今のロック界は女性がリードしているという、ベックの鋭いアンテナがとらえたロック界の現状なのだろう。このアルバムに収録されている「ダーティー・マインド」という曲は、2002年のグラミー賞でBest Rock Instrumental Performanceを受賞した。
*もともとはピアノを習っていた。
*少年時代はロカビリーに夢中だった。
*ジミー・ペイジとは古い仲だが、彼を引き合わせたのはジェフのお姉さん。
*子供はいないはず。
*菜食主義者である。
*ミック・テイラー脱退後、ローリング・ストーンスのメンバーに誘われたことがある。
*ドラッグには手を出していない様子。アルコールや女性関係などの、スキャンダルらしいスキャンダルもない。
*改造車(ホッドロッド)が好き。車いじりが好き。
*古城に住んでいる。
*その古城でCharとセッションしたことがある。Charがそろそろ帰るといったら、もっとプレイしたいと拗ねたらしい。
*2000年暮れの来日時、久米宏がジェフにインタビューしたことがある。でもジェフのファンの間では不評(You Tubeで見られます)。
*アコースティックやガットギターの腕前はない。歌唱力もなく、作詞・作曲の才能もない。つまり、エレキ・ギター『しか』弾けない(これは最大級の褒め言葉ですのであしからず)。
*商売道具であるギターの扱いは雑。ある年の名古屋公演ではプレイが終わった後、近くにいたスタッフにギターを放り投げて渡していた。
*好きなギタリストはジミ・ヘンドリクスやジョン・マクラフリンなどなど。
*イギリス人だがサッカーには興味がないらしい。
*『欲望』『ツインズ』ではギタリストとして映画出演しているが、『法王さまご用心』では、ロケの見学に行った時に郵便夫役で出演する事になった。
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