第32話 グリーグとシューマンのピアノ協奏曲
文字数 5,701文字
エドヴァルド・グリーグのピアノ協奏曲は、よくロベルト・シューマンのピアノ協奏曲と比較される(LPレコード時代からCD時代まで、同じ盤に収められることがよくある)
これは、両者とも同じイ短調で書かれ、始まりの部分や作風がよく似ていることなどによる。
実際にグリーグはシューマンのピアノ協奏曲を、ライプツィヒ音楽院に留学していた1858年に、クララ・シューマンの演奏で聴いていて、それに大きく影響を受けている。
1870年にグリーグと会見したリストが、彼の持ってきた手稿譜を初見で弾いて、第3楽章のある部分について「これが本当の北欧だ!」と絶賛したというエピソードがある。
「グリーグの主題が、シューマンの主題と音程関係が反行形になっている」ということを、作曲家の中澤久長は自作「降り注ぐ粒子 第一番」内で再解釈している。
グリーグとシューマンのピアノコンチェルトって作風が似てますけど、どちらのほうが人気があるんでしょうね?
グリーグは、明らかにシューマンの作風を意識して作ったと言われています。
グリーグのピアノの先生がシューマンの友人ヴェンツェルだったこともあり、シューマンのピアノ音楽には精通していました。
確かに同じ調だし、出だしも似ているし、構成にも共通点があります。
✳︎一般的にポピュラーなのは、グリーグです。
出だしのツカミからして、勝負になりません。
なぜか、ピアノ協奏曲なのに第2楽章のフルートの旋律に魅了されます。
✳︎シューマンでしょう! 特に日本では「○○○○○○○」の最終回に使用されたことで、広く知れわたりましたよね!
あれ、最初、グリーグ、と言う指示だったと言ううわさを聞きました。
ダンがアンヌに告白する場面、劇的なピアノソロで始まる、と言う事でどちらでも良かったのかもしれません。
この2作品非常に似ていますからね。
しかし……戦う場面など、やはり体がぼろぼろになりつつも、身をていして戦う、…………シューマンのピアノ協奏曲で、 何か崇高な、……見ても楽しめるような作品になったと思います。
ピアノ協奏曲イ短調 作品16は、エドヴァルド・グリーグが完成させた唯一の協奏曲。1868年、作曲者が25歳のときにデンマークのセレレズに訪問している間に作曲された、グリーグの初期の傑作である。
グリーグはその後出版社からの依頼を受け、1883年ごろに2番目のピアノ協奏曲を書こうとしたが書き上げられず、代わりにこの曲に何度も改訂を行っている。現在演奏されるのはグリーグの最晩年である1906年から1907年頃改訂され、1917年に出版されたもの。初期版と曲想の大きな違いはないが、楽器編成が異なり、独奏と管弦楽譜で400か所以上の変更点が見られる。
数あるピアノ協奏曲の中でも、非常に人気の高い曲であり、またグリーグの代表的な曲である。
アリス=紗良・オット(アリス=サラ・オット、Alice-Sara Ott、1988年8月1日 - )は、ドイツ・ミュンヘン出身のクラシック音楽のピアニスト。
ドイツ語圏を中心とする地域でのピアノコンクール優勝経験を持つ。
父親がドイツ人、母親が日本人。日本語・ドイツ語・英語を流暢に話せる。
2008年にはドイツ・グラモフォンと専属契約を結んだ。
2017年5月23日放送の『セブンルール』(関西テレビ)では以下の「ルール」が紹介された。本番前は指を温めるためにルービックキューブを揃える。ステージの上では裸足、家でクラシックは聴かない(番組の取材時には自室でサザンオールスターズを聴いていた)、買い物はインターネットで、ウイスキーはストレート、待ち時間は極力作らない、練習するより経験する、らしい。
2019年2月15日、多発性硬化症と診断されていたことを自身の公式サイトとSNSアカウントで公表した。
2022年現在では、活動を再開させている。
受賞歴
1995年 ドイツ連邦青少年音楽コンクール優勝。
1997年 スタインウェイ国際コンクール優勝。
1998年 イタリア・リゲティ国際コンクール優勝。
1999年 ハンブルク・スタインウェイコンクール優勝および特別観客賞受賞。
2000年 グロートリアン・シュタインヴェークピアノコンクール優勝。
2001年 カール・ラングピアノコンクール優勝。
2002年 カール・ラングピアノコンクール優勝。
2003年 リンダウ・ロータリー・ヤング・ミュージックコンクール優勝、ケーテン・バッハ・青少年コンクール優勝および市長特別賞受賞。バイロイト音楽祭に招かれ、ワーグナー愛用のピアノを使用してリサイタルを開催。
2004年 イタリア・シルヴィオ・ベンガーリ・コンクール優勝(史上最高得点)、中村紘子の招きにより日本でのデビューを果たす。ドイツのramレーベルよりCDデビュー。
2005年 ヨーロッパピアノ指導者連盟コンクール優勝。
2010年 「クラシック・エコー・アワード2010」にてヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。
『愛の夢』は、フランツ・リストが作曲した3曲から成るピアノ曲。「3つの夜想曲」という副題を持つ。第3番は特に有名。
もともと歌曲として作曲した3つの曲を1850年に作曲者自身がピアノ独奏版に編曲したものである。
『ラ・カンパネラ』(La Campanella)は、フランツ・リストのピアノ曲。ニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章のロンド『ラ・カンパネラ』の主題を編曲して書かれた。名前の Campanella は、イタリア語で「鐘」という意味である。
ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲イ短調作品54は、1845年に完成された、シューマンの遺した唯一の完成されたピアノ協奏曲である。
シューマンはこの曲の前にいくつかピアノ協奏曲の作曲に取り掛かっていた。1828年に変ホ長調の協奏曲の作曲を始め、1829年から1831年にかけてはヘ長調の協奏曲に取り組み、1839年にはニ短調の協奏曲を1楽章のみ完成させた。しかし、これらの曲はいずれも完成しなかった。
1841年、シューマンは後にピアノ協奏曲の第1楽章となる『ピアノと管弦楽のための幻想曲』を作曲した(初稿)。1845年にそれを改作し、間奏曲とフィナーレの2楽章を加えて曲として完成させた。この曲はシューマンの作曲した唯一のピアノ協奏曲となった。 曲は3楽章からなり、第2楽章と第3楽章の間は休みなしに演奏される。
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(NDR Elbphilharmonie Orchester)は、1945年に結成された、北ドイツ・ハンブルクに本拠を置くオーケストラ。旧称は、ハンブルク北ドイツ放送交響楽団(ドイツ語: NDR Sinfonieorchester Hamburg)。
エレーヌ・グリモー(フランス語: Hélène-Rose-Paule Grimaud, 1969年11月7日 - )は、フランスのピアニスト。
フランスエクサンプロヴァンスにユダヤ系の言語学者の家庭に生まれる。7歳でピアノをはじめ、9歳でエクサンプロヴァンスの音楽院に入学、J・クルティエに師事。その後、マルセイユでピエール・バルビゼに師事。
1982年、13歳でパリ国立高等音楽院に入学。ピアノをジャック・ルヴィエ、室内音楽をジェヌヴィエーブ・ジョワに学ぶ。
1984年録音デビュー。1985年ラフマニノフの《ピアノソナタ第2番》の録音により、モントルーのディスク大賞を受賞。同年、パリ音楽院研究科に進みジェルジ・シャーンドル、レオン・フライシャーに学ぶ。
1986年エクサン・プロヴァンス音楽祭に出演。1987年よりプロのソリストとしてパリで活動に着手し、ダニエル・バレンボイム指揮のパリ管弦楽団と共演。以後、欧米著名管弦楽団に連続的に客演し世界各国で演奏活動。
1990年クリーヴランド管弦楽団の招きで北米デビュー、翌年21歳でアメリカ合衆国に移住。
フランス人であるが、フランス近代音楽にさして興味がないこと、ドイツ・ロマン派音楽にとりわけ魅了されることを明言している。ラフマニノフ以外のレパートリーは、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ラヴェルのピアノ協奏曲のほか、リヒャルト・シュトラウスの《ブルレスケ》と、ブラームスの後期小品集がある。ドビュッシーなどのフランス人ピアニストの伝統的レパートリーにはあまり取り組んでいなかったが、近年では同作曲家のピアノ曲をリリースするようになった他、バッハやリストも最近取り組むようになった。ショパンについては、来日した際にマウリツィオ・ポリーニが演奏しているのを聴きに行き、それをきっかけとして演奏するようになった。
両親は共に大学教授。本人は大学で動物生態学を学ぶ。1999年、ニューヨーク・ウルフ・センターを設立。ニューヨーク州郊外で野生オオカミの保護活動に取り組むようになる。現在はニューヨークでの生活の一方で動物学を学び、オオカミの生態を研究しながら、その養育を続けている。共感覚の持ち主としても知られる。著書に『野生のしらべ』(北代美和子訳:ランダムハウス講談社、ISBN 4270000163)がある。
共感覚(きょうかんかく)は、ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく 異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象をいう。
例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに、色や形を感じたりする。複数の共感覚を持つ人もいれば、1種類しか持たない人もいる。共感覚には多様なタイプがあり、これまでに150種類以上の共感覚が確認されている。
共感覚を持つ人の割合については、昔は10万人に1人などと言われていたが、最新の研究では23人に1人というものもある。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/共感覚
ピアノソナタ第31番 変イ長調 作品110は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1821年に完成したピアノソナタ。
ベートーヴェンの最後のピアノソナタ3作品(第30番、第31番、第32番)は、『ミサ・ソレムニス』や『ディアベリ変奏曲』などの大作の仕事の合間を縫うように並行して進められていった。途中、やがて彼の命を奪うことになる病に伏せることになるが、健康を回復したベートーヴェンは旺盛な創作意欲をもってこの作品を書き上げた。楽譜には1821年12月25日と書き入れられ、これが完成の日付と考えられるものの、その後1822年になってからも終楽章の手直しが行われたとされる。こうして生まれた本作品には前作を超える抒情性に加え、ユーモラスな洒落も盛り込まれており、豊かな情感が表出されている。また、終楽章に記された数々のト書きは、しばしば作曲者を襲った病魔との関連で考察される。
作曲者はチェロソナタ第5番にみらるように、後期の作品ではフーガの応用に大きく傾いている。この曲の終楽章は、最後の3曲のピアノソナタの中では最も典型的にフーガを用いたものである。ドナルド・フランシス・トーヴィーは「ベートーヴェンの描くあらゆる幻想と同じく、このフーガは世界を飲み込み、超越するものである」と述べた。
(ログインが必要です)