第43話 速い!

文字数 3,521文字

息子が嫌々習っていたピアノ。最後に超絶スローな『子犬のワルツ』で終わった。


かてぃんさん、大晦日の『東急ジルベスターコンサート』にゲスト出演されるんですね。

ワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1 は、フレデリック・ショパンが作曲したピアノ独奏のためのワルツで、晩年の1846年から1848年にかけての作品で『小犬のワルツ』の通称で知られている。この曲は英語では「1分間のワルツ(Minute Waltz)」という愛称でも知られている。

ショパンの恋人であったジョルジュ・サンドが飼っていた子犬が自分の尻尾を追ってぐるぐる回る習慣を持っており、サンドがショパンにそれを音楽で描写して欲しいと頼んだことから即興的に作曲されたものといわれている。この呼称は元来「小さなワルツ」を意味したものが、「とても小さな」を意味する英単語“minute”(マイニュート)が時間の「分」を意味する“minute”(ミニット)と同じ綴りを持つために誤解されて広まったものである。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%84%E7%AC%AC6%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3)

この曲は、日本では「天国と地獄」といった曲名として紹介されることが多いですが、厳密に言うと違います。

もともと「天国と地獄」は曲名ではなく、ジャック・オッフェンバック作曲によるオペレッタの作品名です。つまり、「天国と地獄」という作品内にある、曲の一つが有名になっているわけです。では実際、この聞きなれた曲名は何かという話になると、少し厄介なことになります。

「天国と地獄」として聴いてきた曲は、もともとはこの「地獄のギャロップ」から合唱を除いたものと言えるでしょう。ちなみに、曲名や舞台からわかるように、この曲は地獄(正確に言えば冥界)の場面で演奏される曲です。オリュンポスの神々がいますが、この曲に関しては天国要素はありません(というよりギリシャ神話には天国も地獄もありません)。

https://ameblo.jp/colonel3/entry-12632247565.html

リストが、弾ける人はいないだろうと思って作った『ラ・カンパネラ』4曲(33話)も弾いちゃう人がいるのだから、これも弾ける人がいるかも。
『地獄の黙示録』は評判につられて観に行ったが、全然わからなかった。
『地獄の黙示録』は、公開直後から映画に対する賛否両論が噴出した。映画評論家たちの間では、「ストーリーもあるようでないようなものである」「戦争の狂気を上手く演出できている」「前半は満点だが後半は0点」など、意見が分かれがちな映画である。作品としての質は別にして、批評家たちは「泥沼のベトナム戦争がアメリカ人に与えた心の闇を、衝撃的な映像として残した怪作である」と結論付けた。(Wikipediaより)
カラヤンの名声を知らしめた演奏(コメントより)

「はげ山の一夜」はロシアの作曲家、ムソルグスキーの代表作です。

しかし普段耳にするこの曲は実はムソルグスキーの友人でもあったリムスキー=コルサコフが作曲者の死後、改変したものなのです。

ムソルグスキーという人は生涯作曲家としての環境に恵まれず多くの曲が未完成に終わってしまいました。当然その多くが未発表となってしまったわけですが彼の才能を理解していた友人のリムスキー=コルサコフが「これはもったいない!」と奮起、曲を次々完成させていったのでした。

しかし「ムソルグスキーの作品は独創的で、斬新さと活気に満ちている!」とその才能をかっていたリムスキー=コルサコフもその技術には疑問を持っていたのです。そこでリムスキー=コルサコフは多くの作品を「正しい姿」に改変したのでした。

この「はげ山の一夜」は珍しく完成されていましたがリムスキー=コルサコフは改変したのです。

https://www.sonatine-music.com/library/?main_page=etc_page&keyword=moussorgsky_night_on_the_bare_mountain_wo_about_music


リムスキー=コルサコフの手により編曲されたことにより、原典版とはかなり異なる洗練された印象を受ける。そのため、原典版において感じられるムソルグスキーの粗野で魅力でもあるイメージがいささか失われたうらみが残るが、それでもムソルグスキーの描いた荒々しく不気味なイメージを、リムスキー=コルサコフ得意の華麗なオーケストレーションで表現してみせたことで、この曲は広く普及した。リムスキー=コルサコフの意図したとおりに、未完の大器ともいえるムソルグスキーの名声を轟かせた貢献は大きい。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/禿山の一夜

作曲者による原典版(1867年)

聖ヨハネ祭前夜の禿山』は、1866年から1867年にかけて作曲され、1867年6月23日、まさに聖ヨハネ祭の前夜に作曲を完了した。1866年3月にリストの『死の舞踏』を聞いたことがきっかけで作曲されたのかもしれない。リムスキー=コルサコフにあてた手紙には、「魔物たちの集合〜そのおしゃべりとうわさ話〜サタンの行列〜サタンの邪教賛美〜魔女たちの盛大な夜会」という4つの場面が曲想として構成されていると記されている。サバトで終わるところはベルリオーズ『幻想交響曲』の最終楽章と共通する。

バラキレフは、その粗野なオーケストレーションを批判し、修正を求めたが、ムソルグスキーが修正を拒絶したために演奏を断った。演奏も印刷もされないまま、この版の存在は忘れられていたが、ムソルグスキー研究者としての功績で知られるソ連の音楽学者パーヴェル・ラムが1933年に再発見した後、1968年に楽譜が出版された。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/禿山の一夜
リムスキー・コルサコフ? ああ、熊蜂ネ。

『展覧会の絵』はムソルグスキーの生前には一度も演奏されず、出版もされないままであった。そもそも作曲者本人が、「オペラ作曲中の気晴らしに絵画のような作品集を書いた」と、タイトルすら書かないほど関心を失っていたようである。そして1881年3月28日、ムソルグスキーはアルコール依存症と生活苦から衰弱してこの世を去る。

幸いにもリムスキー・コルサコフがムソルグスキーの遺稿の整理に当たった。そして、『展覧会の絵』のピアノ譜が1886年に出版され、ついに陽の目を見る。ただしリムスキー=コルサコフの改訂が目立つため、現在は「リムスキー=コルサコフ版」として、原典版とは区別されている。改訂は、現在では独創的で斬新とも評価されるムソルグスキーの原典版が、当時の感覚ではあまりに荒削りで、非常識と捉えられる部分もあったためと言われており、時にはリムスキー=コルサコフがムソルグスキーの音楽を理解していなかったからだとも言われている。しかし、ムソルグスキーの様々な作品の楽譜を世に出した意味は大きく、5人組の中で、リムスキー=コルサコフが最もその音楽の素晴らしさを認識していた証左といってよい。


1922年フランスのラヴェルが、指揮者クーセヴィツキーの依頼で『展覧会の絵』を管弦楽へと編曲した。この編曲版はクーセヴィツキーの率いるオーケストラによって、パリオペラ座で演奏され、これをきっかけに一挙にムソルグスキーの『展覧会の絵』は世界的に有名になった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/展覧会の絵

『展覧会の絵』(ラヴェル編曲)から『バーバ・ヤガの小屋』

バーバ・ヤガーとは何者か。一言で説明するならば、ずばり、ロシア版ヤマンバ。この妖婆は山の中の一軒家に住んでいて、子どもを喰う。この設定は、日本の昔話に登場するヤマンバそのものだ。

住居は鶏の足で支えられており、一種の高床式になっている。家の周囲には、人間の骸骨が飾られている。特徴的なのは移動手段。バーバ・ヤガーは臼に乗って移動するのだ。このとき、片手に杵を持つ。杵で臼をせきたてて高速移動するのである。そして、もう片手にはほうきを持つ。このほうきで自分が移動した跡を消しながら前進する。あまり効率的な移動方法とは思えないが、迫力はありそうだ。

https://ontomo-mag.com/article/column/baba-yaga/

すごいです。初めて観ました。カティアの露出度の少ない服。
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