第11話 70年80年代の洋楽

文字数 4,815文字

ボン・ジョヴィは、アメリカ合衆国のロックバンド。全米を代表するハードロック・グループの一つ。デビュー早々から成功を収め、特に3rdアルバム『Slippery When Wet』が1000万枚を超える大ヒットを飛ばして以降、世界的な知名度を誇っている。『グラミー賞では9回ノミネートされ、1回受賞し、2018年には『ロックの殿堂』入りした。

「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」(Livin' on a Prayer)は、ボン・ジョヴィが1986年に発表したシングル。

作詞・作曲 ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラ、デスモンド・チャイルド

チャート最高順位

1位(アメリカ、ニュージーランド、ノルウェー)

2位(スウェーデン)

4位(イギリス、オランダ)

20位(ドイツ)

貧しいながらも懸命に生きるカップル、トミーとジーナを主人公とした歌。

『Livin' on a Prayer』

作詞・作曲:ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラ、デスモンド・チャイルド

Once upon a time not so long ago

Tommy used to work on the docks
Union's been on strike
He's down on his luck
It's tough, so tough

昔々 そんなに遠くない昔

トミーは港で働いてたが
組合はストライキ中
彼はツイてなかった
キツい状況だった

Gina works the diner all day
Working for her man
She brings home her pay
For love, for love

ジーナは食堂で一日中働いてる
男のために仕事して
稼ぎを家に持ち帰る
愛のために

She says, we've got to hold on
To what we've got
It doesn't make a difference
If we make it or not

彼女は言う 今あるものに
しかみつくのよ
違いなんてないわ
うまくいっても いかなくても

We've got each other
And that's a lot for love
We'll give it a shot

私たちは一緒にいる
愛にはそれで十分
とにかくやってみるのよ

Woah, we're half way there
Woah, livin' on a prayer
Take my hand, we'll make it I swear
Woah, livin' on a prayer

僕らは まだ道半ば
願いながら 生きてる
手を取って 僕らはきっとうまくいく
祈りながら 生きてるんだ

Tommy's got his six-string in hock
Now he's holding in
What he used to make it talk
So tough, it's tough

トミーはギターを質に入れた
彼は我慢してる
よく鳴らしていたギターを
本当にキツい状況だった

Gina dreams of running away
When she cries in the night
Tommy whispers
Baby, it's okay, someday

ジーナは逃げ出したくなってる
彼女が夜に泣いていると
トミーがささやく
ベイビー 大丈夫さ いつかきっと

We've got to hold on
To what we've got
It doesn't make a difference
If we make it or not

今あるものに
しかみつくしかない
違いなんてないさ
うまくいっても いかなくても

We've got each other
And that's a lot for love
We'll give it a shot

僕らは一緒にいる
愛にはそれで十分
とにかくやってみよう

Woah, we're half way there
Woah, livin' on a prayer
Take my hand, we'll make it I swear
Woah, livin' on a prayer
Livin' on a prayer

僕らは まだ道半ば
願いながら 生きてる
手を取って 僕らはきっとうまくいく
祈りながら 生きてるんだ

Oh, we've got to hold on
Ready or not
You live for the fight
When it's all that you've got

しかみつくしかない
準備があってもなくても
生きて戦うんだ
今持っているものしかないのなら

Woah, we're half way there
Woah, livin' on a prayer
Take my hand, we'll make it I swear
Woah, livin' on a prayer

僕らは まだ道半ば
願いながら 生きてる
手を取って 僕らはきっとうまくいく
祈りながら 生きてるんだ

https://www.worldfolksong.com/sp/popular/livin-on-a-prayer.html

この曲は商業的な成功を超えて世間に影響を与えている。2001年9月11日の同時多発テロの後、ボン・ジョヴィは「America.A Tribute to Heroes」の特番で「Livin’ On A Prayer」のアコースティックバージョンを演奏。その後も黒人男性が電車や公園で歌う動画が世界中で拡散されたり、新型コロナウイルスのパンデミックが始まったときにはシカゴのアパートの窓から住民たちがこの曲を合唱したことも報道され話題となった。

https://www.udiscovermusic.jp/stories/bon-jovi-livin-on-a-prayer-feature?amp=1

この曲は世界中で知られている。新型コロナウイルスの(ロックダウンの)とき、シカゴの人々が窓越しに“Livin' On A Prayer”を歌い始めたときは、本当に感動した。本当に心に響いたんだ。ボン・ジョヴィを観に行くと、いろいろな世代の人たちに出会えるのもいいよね。肩に乗せた小さな赤ちゃんがヘッドホンをつけて、親が拳をあげてロックしている。おじいちゃん、おばあちゃんもいる。曽祖父母もいる。本当に年配の人たち、あらゆる人種の人たちがそこにいるんだ。“Livin' on a Prayer”はいつも最後の曲だから、これを聴くまでは誰も帰れない。真夜中まで彼らを引き止めているんだ。誰も帰らない。そして、その曲を歌うと、照明をつけられるんだ。バンドの演奏が聴こえないくらい、みんなが声を張り上げて歌っているからね。

http://bonjovi-forever02.blog.jp/archives/88476945.html

ヴィーナス」は、オランダのロックグループ・ショッキング・ブルーが1969年にリリースしたシングル。

ビルボード誌の「Hot 100」では、1970年2月7日に、週間ランキング第1位を獲得した。ビルボード誌1970年年間ランキングでは第22位。ビルボード誌の集計では、ショッキング・ブルー最大のヒット曲となった。フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ベルギーで、週間チャート1位を獲得した。オランダでの週間チャート最高位は、第3位だった。日本のオリコンでは最高2位。

ママス&パパスのキャス・エリオットがかつて在籍していたアメリカのフォークグループ、ザ・ビッグ・スリーが1963年に発表したシングル「ザ・バンジョー・ソング」にインスパイアされた曲だと言われている。

バナナラマのカバー曲は、ビルボード誌の「Hot 100」で、1986年9月6日に週間ランキング第1位を獲得した。ビルボード誌1986年年間ランキングは第30位。ビルボード誌の集計では、バナナラマ最大のヒット曲となった。日本のオリコンでは最高43位(洋楽チャートでは1986年11月17日付から9週連続1位)。ビルボード誌の「Hot 100」及びオリコン洋楽チャートにおいて、同じ曲で2組のアーティストにより1位を獲得した曲となった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヴィーナス_(ショッキング・ブルーの曲)

オランダの4人組(リード・ヴォーカルは2006年12月2日に亡くなったマリスカ・フェレス)ショッキング・ブルーの代表作「ヴィーナス」(1970年2月:米No.1/英8位/オリコン2位)の‘元歌’がビッグ・スリーのCDの8曲目「The Banjo Song」であります♪ 「ヴィーナス」はショッキング・ブルーのギタリスト、ロビー・ファン・レーベンが作詞・作曲、プロデュースを担当して世界に放った20世紀のスタンダード・ポップスなんですが、実は‘胸のすくような’パクリだったというのは近年YouTubeで聴き比べが為される等でようやく世間に知られ出してます。
しかし「ヴィーナス」が世に出た際は言うまでもなく、21世紀に入るまでそういったことが取沙汰される(事実が知られる)ことはほとんどなかったような。

https://merurido.jp/magazine.php?magid=00012&msgid=00012-1497981528

マイ・シャローナ」は1979年に発売された、ザ・ナックのデビュー・シングル。「ビルボードホット100」で5週連続1位を獲得、1979年を代表するヒットナンバーとして知られる。日本でも1979年8月20日に東芝EMIから発売され、オリコン・シングルチャートでは邦楽に混じり、最高26位を記録するスマッシュヒットとなった。

この曲の有名なリフは、バンドのギタリスト、バートン・アヴェールがナックに加わる前に作ったものである。リード・ボーカルのダグ・フィーガーによると、彼は当時17歳のシャローナ・アルパリンという少女に出会い一目惚れし、彼女のことを考えるうちにこのリフが浮かんだ。2人はそこから曲を構成し、メロディを造った。

マイケル・ジャクソンとプロデューサーのクインシー・ジョーンズが、『俺たちのマイ・シャローナを作ろう』ということで “Beat It” が生まれたというエピソードは語り草になっていますが、ザ・ナックはこの一曲でビートルズの再来と言われたり、ニルヴァーナがライブでカヴァーしたりで話題には事欠かず、評論家やアーティストの間でも高い評価を受けています。

また、1994年には映画「リアリティ・バイツ」のサントラに収録されてビルボードHot100で91位再登場、2005年には当時の大統領ジョージ・ブッシュのiPodのプレイリストに入っていたことで話題となり、そして2010年にはヴォーカルのダグ・フィーガーが亡くなったことで改めて注目を集めています。

https://blog.mryogaku.com/my-sharona/

2005年には当時のアメリカ合衆国大統領、ジョージ・W・ブッシュのiPodのプレイリストに収められていることで注目を集めた。

映画『パルプ・フィクション』にて元々、タランティーノは質屋でのマーセラスの拷問シーンで、この曲を流す予定だった。しかし、同じ年公開の映画『リアリティ・バイツ』に使用されていたため、曲の変更を余儀なくされた。

音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズは、マイケル・ジャクソンの1982年のアルバム『スリラー』に力強さを与えるため、ブラック・バージョンのマイ・シャローナを望んだ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/マイ・シャローナ

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