第35話 モーツァルトの短調
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モーツァルトが生涯に書いたピアノ協奏曲は27作あり、20番以降の晩年の作品は特に傑作が揃っています。
全ピアノ協奏曲の中で短調は20番と24番だけです。 作品トータルの出来は24番を凌駕し、それどころか全ピアノ協奏曲の中でもおそらく最高傑作です。緊張感がありながらも美しい第一楽章、天国のやすらぎの第二楽章、激情とユーモアの交錯する華やかな第三楽章。
映画「アマデウス」でも重要な場面とエンディングで使用されていました。
ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K. 466 は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1785年に作曲したピアノ協奏曲であり、モーツァルトが初めて手掛けた短調の協奏曲である。
モーツァルトのピアノ協奏曲の中でも特に人気のある作品であり、とりわけルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが大変気に入っていた作品として知られている。
モーツァルトは短調のピアノ協奏曲を2曲(もう1曲は第24番 ハ短調(K. 491))作曲しているが、華やかさが求められた当時の協奏曲とはうってかわって、それまでの彼の協奏曲には見られない、激しい情熱の表出が見られる。暗く不安げな旋律、劇的な展開などが特徴である。
Yulia Miloslavskaya (ユリア・ミロスラフスカヤ)。ロシアの女性ピアニスト。
2004年に音楽高校を卒業後、モスクワ音楽院に入学。
2010年よりスイスに在住。フランスのガイヤールで開催されたアディリア・アリエヴァ国際コンクール、パリのジャン・フランセ国際コンクール、チューリッヒのキワニス・コンクールとランドルト・コンクール、ベルンのキーファー・ハーブリッツェルコンクール、イタリアのラグーサ・イブラのIBLAコンクールなどで入賞。
https://dukesoftware.appspot.com/pianist/Yulia_Miloslavskaya/
汲めど尽きせぬメロディと楽想の泉、音楽創作の世界の永遠のお手本です。
長調の楽しい作品が圧倒的に多く、「アイネクライネ・ナハトムジーク」とか、「クラリネット協奏曲第3楽章」とか、「オペラ・フィガロの結婚・序曲」とか、いずれも「親しみ易く、覚えやすく、明快」な作風は現代のポップスに通ずるものがあります。
なんでも、彼が生涯残した作品の73パーセントが長調だという調査結果もあり、カウントの方式によれば16分の15が長調だという意見もあります。
一方、数は少ないけれど短調の作品にも聴く者の琴線を掴んで離さない傑作が多いです。
哀愁と品格がありながらマーチのような軽快なリズムを持つユニークな曲で、ただひとつの主題旋律を手を変え品を変え変奏しまくっていく、とても楽しい短調作品です。
ルドルフ・ブッフビンダー(Rudolf Buchbinder 1946年12月1日)は、オーストリアのピアニスト。
5歳でウィーン国立音楽大学に入学して8歳でマスタークラスを履修し、同大学の最年少記録を打ち立てる。9歳で最初の公開演奏会を開いた。1966年1にヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールにおいて特別賞を、1967年にはベートーヴェン・ピアノコンクールにおいて1等を獲得した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ルドルフ・ブッフビンダー
ピアノ協奏曲第23番第二楽章
前後の第一・第三楽章ともカラッと明るいのに、突然深い悲しみのどん底に突き落とされるすごい曲。
ヴァイオリンソナタ第21番 ホ短調K.304(300c)
ヴォフルガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したヴァイオリンソナタ。
母アンナがパリで客死した時期のもので、明るい曲想の多い作曲者の作品の中では、数少ない短調の劇的なもの。
簡潔な2楽章構成。ホ短調。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヴァイオリンソナタ第21番_(モーツァルト)
愛知県生まれ。岐阜県にて3歳半よりヴァイオリンを始める。
2011年ベートーヴェン国際コンクール、2013年ユーロアジア国際コンクール、2014年国際ソロヴァイオリンコンクールにおいて最年少第1位受賞。
2016年第25回ABC新人コンサート最優秀音楽賞、ナウェンチュフ国際ヴァイオリンコンクール部門総合グランプリ。
2017年バルトーク国際ヴァイオリンコンクール審査員特別賞と3つの特別賞。
2018年シンガポール国際ヴァイオリンコンクール第2位、あわせて聴衆賞。
第1回国際ヴィクトル・トレチャコフヴァイオリンコンクール第2位。
第89回日本音楽コンクールバイオリン部門第1位及び岩谷賞(聴衆賞)受賞。
現在シンガポールRin CollectionよりStorioni Lorenzo1793を貸与されている。
「疾走する悲しみ」と表現される名曲。 短調作品の中では、琴線の揺さぶられ度合いがトップクラス。
オススメ盤/スローなテンポ→ブタペスト弦楽四重奏団+1・1966年
ブダペスト弦楽四重奏団は、20世紀を代表する弦楽四重奏団。
1917年にブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって結成され、メンバーの変遷を遂げながら1967年2月まで活動した。
1938年からアメリカに定着して活動し、最終的なメンバーは全員ロシア人となり、ハンガリーおよびブダペストとは関係が無くなったが、名声を得たのはロシア人のヨーゼフ・ロイスマンが第1ヴァイオリンとなって以後である。
なお、1962年以降の後任がジュリアード弦楽四重奏団である。
ロシア人メンバーたちはリハーサルのとき以外は別々に行動し、喫茶店でも別々のテーブルに座り、ミッシャ・シュナイダーとロイスマンがファーストネームで呼び合うまでには22年を要したという。アレクサンダーは最後までロイスマンやクロイトに対してそのような失礼を冒したことが無かった。これがグループとして長続きした秘訣だという。一方でメンバー同士でブリッジを楽しむことが多かった。
「ロシア人が一人いたら何者だろう? そいつは無政府主義者だ。二人いたら? チェスの試合だ。三人いたら? 共産主義グループだ。それではロシア人が四人いたら? それはブダペスト四重奏団だ。」
(ヤッシャ・ハイフェッツが言い出したとされるジョーク)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ブダペスト弦楽四重奏団
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